パワー野球の元祖だった原 貢氏

甲子園2度V、辰徳と父子鷹/原貢氏略歴(日刊スポーツ) - goo ニュース

 5月31日にネットを覗くとジャイアンツの原辰徳監督の父・原貢
氏が29日に亡くなっていたという記事が載っていた。

 原貢氏といえば東海大相模の監督時代に原辰徳と親子鷹で活躍
していたというのが一番大きなイメージだが、氏のインタビュー
などを聞いていたら今では常識的な事を昭和40年代から既に実践
していた事に驚く。

 00年に九州の某校のエースが夏の甲子園で試合中に脱水症状で
ダウンした時に‘水を飲んだらバテると思って飲まなかった’と
言って失笑を買った事があったが、原貢氏は三池工監督時代から
対照的に水分&塩分補給をしっかりやらせていたという。

 また長時間練習を嫌い短時間で集中的な練習をさせていたよう
だが、これも野球は瞬発系の競技なので短時間で集中的にやった
方が効果的と最近でこそ言われているものの当時は特に高校生の
ような若い世代は質より量を求めていた時代だから価値がある。

 今では常識になっているボールを引き付けて しっかり振り抜く
という理論も、バットを短く持って当てていくスタイルが主流だ
った時代には斬新で異端視されかねかなったが三池工と東海大相
模での全国制覇という形で結果を残している。

 そして70年夏は‘好投手ある所に栄冠あり’という定説を完封
勝ち&スクイズによる得点なしという結果で打ち砕き、スクイズ
不要論を宣言して1-0野球を非主流にする流れを作ったのだ。

 こういう理論をベースに池田やPL学園などのパワー野球が花開
き、日本の野球がMLBに対しても引けを取らないぐらいレベルアッ
プする事ができたのだから氏の功績は絶大である。

 球界の恩人の1人である原貢氏の冥福を祈りたい。

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