元大関4代目・朝潮死す


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-bt-tp1-231103-202311030001600

 一昨日ネットを開いていると‘元高砂親方が死去’というニュースが
載っていたので‘元高砂親方?’と思って調べると、4代目・朝潮太郎
が67歳で亡くなっているではないか。

 高砂親方といえば元大関の朝潮というイメージがあったのだが、
既に定年で退職し朝赤龍が高砂親方を名乗っていたので67歳という
事もあり‘早過ぎる’と驚いたのだ。

 朝潮太郎=本名・永岡末弘といえば相撲を本格的に見始めた77年、
近畿大で学生横綱に輝いた事で名前は知っていたし(この年の大河
ドラマが花神で長岡市が出ていたので覚えていたのだ)将来の横綱
と言われていたのでどんなものか?と角界入りした時から注目して
いた。

 すぐに十両まで上がり78年九州場所で新入幕となり9勝6敗で勝ち
越すと、続く79年初場所では大関・貴ノ花に勝つなどで10勝を挙げ
敢闘賞を受賞して春場所では前頭筆頭に上がり四股名を朝汐にする
が5勝10敗と大きく負け越し。

 この頃からがんばれタブチくんを描いた いしいひさいちのワイは
アサシオやのモデルになるなど存在感もあったし、82年秋場所から
朝潮に改名し大関を目指すと83年初場所に14勝1敗で準優勝すると春
場所で12勝を挙げ遂に大関に昇進。

 81年九州や83年初場所と決定戦で負ける勝負弱さがあったが85年
春場所では若嶋津との優勝争いを見事に制して初優勝を飾り、その
後も6年36場所にわたって大関の座を守り続けたし特に大横綱・北の
湖に強かったのが印象に残っている。

 引退後は親方として朝青龍を横綱に朝乃山を大関に育てるなど指
導力を発揮する一方で朝青龍が起こす不祥事に度々大きな体を小さ
くしながら謝罪していたが、本人も現役時代には休場中にも拘わら
ず神宮球場でスワローズージャイアンツ戦を観戦して厳重注意を受
けるなど‘やらかし’を演じていたので‘この師匠にしてこの弟子あり’
と言われた。

 とはいえ朝潮自身の人柄か、そういった不祥事を起こしても憎め
ないキャラだったのは人徳だろう。

 今頃は天国で千代の富士や隆の里らと酒を酌み交わしているのか
もしれない。

 

 

 

 

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