浜田剛史の戴冠から22年!

 今から22年前の今日・86年7月24日はKOキングと言われた浜田剛史が
WBC世界Jウエルター級王者のレネ・アルレドントを1RにKOして見事に
世界を獲った日である。
 サウスポーの強打者・浜田は持ち前の強打でKOの山を築いていたが、
それゆえ自らの拳を骨折するハメになり4度骨折を繰り返して2年もの
ブランクを作ってしまう。
 復帰後に9連勝を飾り遂に強打の王者レネに挑戦。
 会場はジムの大先輩・大場政夫が全世界戦を戦った、かつての日大
講堂の両国国技館。
 立ち上がりから猛然とプレッシャーをかけ、接近してパンチを打ち込み
残り10秒で右フックがヒットしグラついた所に連打を叩き込み3分9秒でKO。

 やはり左拳の骨折に泣いたサウスポーの強打者・海老原博幸の初戴冠
同様1RでKO勝ちし、ファイティング原田が初戴冠した時同様に座布団が
舞った。

  実は、この試合の放送枠は2時間。
 試合前に佐瀬稔氏が中心に取材したと思われる浜田のドキュメントが
流される。
 左拳を4度にわたって骨折した浜田は、いつか試合ができる日を想定
して右拳のみでサンドバックを叩き続けていた。
 ‘もう1度骨折したら時間的に絶望’という事で、復帰してからは右フックを
フィニッシュブローにしていた。

 世界戦前に浜田は‘今日は心置きなく左を思い切り打てる’とコメントして
いた。
 試合が始まり浜田が接近してパンチを打ち込むが、本当のダメージは
与えられず反対にレネが体を入れ替えざまに打った左フックがヒットし
浜田は効いてグラつく。

 迎えた1Rの残り10秒で浜田が左ストレートを打ち込むべくステップバック。 
レネは浜田が‘左ストレートを思い切り打てる’と言っていたのを覚えており
ステップバックしたときに左ストレートに対する右フックのカウンターを狙って
いた。
 両者の思惑通り浜田が左ストレートを打っていれば右のカウンターを
合わされ浜田が倒れていたろう。

 ところが本能的に浜田は右フックを放ったのだ。

 浜田の方がリーチが短いのだがリードパンチの右フックの方が、レネの
利き腕のフックより先にヒット。

 これが勝負を分けた一発になった。

  芦沢アナの‘浜田のパンチが世界を制しました!’という実況に合わ
せて場内が歓喜の渦に沸いていたときに当の浜田は放心していたのが
印象的だった。

 やはり雌伏の2年間、ただひたすら復帰できる事を信じて右でひたすら
サンドバッグを叩いていた右が浜田に世界をもたらしたというのを考えると
感無量だった。

  こういうバックボーンがあるからこそ、

 ボクシングは面白いのだ。  

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
あのころは局も (屯田兵)
2008-07-25 03:58:26
ボクシング中継に熱注いでいたからね ここから柳ジョージのフォーユアラブって
曲も初めて知ったんだっけ
この年も巨人が弱くてね オロナミンの宣伝が流れると止めろ浜田が負けちまうじゃねぇかと マジに怒った記憶があるょ。
(連れも同じ事言ってた)
ライトにはカマチョがいてラミレスがいてロサリオがいて闘ってたら?どうだったんだろう?
ボクシングに燃えてましたよね 我々も
 
 
 
続き (屯田兵)
2008-07-25 04:03:39
現WBAライト級王者の小堀選手にはくれぐれも 日本人の○○の挑戦等は無視してルール通り一位のランカーと闘って欲しいょね、

価値が下がりますから。
 
 
 
あの頃は (こーじ)
2008-07-25 23:39:13
>屯田兵様
 浜田ストーリーが柳ジョージの‘フォーユアラブ’
で試合後に流れた大場政夫物語のバックは‘オープンアームズ’でした。
 あの頃の半分ぐらいのエネルギーを注いで中継してくれれば、まだ盛り上がるのですがね。

 レネとのリマッチに勝っていればカマチョ戦が実現してましたね。勝敗は別としてメジャーな連中との
戦いをできたら、どんなにいいかと思ってましたよ。

 小堀が1位と海外で防衛戦をやる事を熱望しますよ。
 
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