ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
20年前の今日は・・・
今朝は-2℃と冷え込んだ、なにしろ早朝ランニングに
行くと霜が降りていたのだ。
考えて見ると明日は‘大雪’だから寒くなって当たり
前だ。
実は今から20年前の今日は福岡での修行中だったが、
ちょうど日曜日で氷雨が降り最高気温が5℃ぐらいだった。
なぜそれを覚えているかというと、この日に行われた
2大スポーツイベントのインパクトが凄かったのだ。
まず12:00にスタートした福岡国際マラソンは、ケガで
欠場した瀬古利彦に見せ付けるかのような中山竹通が、ス
タートから激走し谷口浩美をはじめとしたライバル達を
脱落させていった。
35㌔までは世界最高まで49秒も早いペースで飛ばし、
最後にペースダウンしたが2:08:18の好記録だった。
本来この大会は、一発勝負で行われるソウル五輪の代表
選考レースのはずだった。そこで世間では、瀬古利彦と
中山竹通の新旧両エースの直接対決が見られると期待して
いたのだ。
中村清監督の下、早稲田からSBへ進んで栄光に彩られた
瀬古と、高卒の叩き上げで瀬古を倒す事を目標にしていた
雑草ランナーの中山の対決だ。
ところが直前に瀬古が足を痛めたので、陸連は急遽一発
選考レースを取り止めたのだ。
欠場を聞いた中山は「僕なら這ってでも出る」と発言、
悪い事にマスコミが当時「瀬古に這ってでも出て来い」と
言ったように書き立てた。
そういった背景もあっての中山の劇走だった。
レース終了後は、ラグビーの早明戦のディレー中継がOA
された。
この日の国立競技場は、雪が積もっていた。
俗に言う‘雪の早明戦’だ。
早稲田がラインアウトのボールを奪ってトライして先制
すると、明治はルーキーの吉田義人がトライして追い付く。
いったん明治がPGで勝ち越すが、早稲田も2本のPGをルー
キーの今泉清が決めて逆転する。
そのまま早稲田が逃げ切るかと思われたが、終了間際に
明治が早稲田のゴール前に殺到。
得意のスクラムで押し込み、早稲田は反則がらみで必死に
耐えるが、明治は引き分けが1つあるので引き分けでは優勝
できないためPGを狙わずスクラムトライを狙う。
あまりの寒さにスクラムを組む両チームのFWからは、湯気
が立ち上る状態だ。
結局再三のピンチをゴール前での決死のタックルで凌いだ
早稲田が逃げ切った。
試合後、早稲田の3番・頓所のジャージはビリビリに破れて
いたぐらいの激闘だったのだ。
あれから20年経つが、あれ以来12月の第1日曜にインパクト
のある戦いが続いたのを見ていない。
行くと霜が降りていたのだ。
考えて見ると明日は‘大雪’だから寒くなって当たり
前だ。
実は今から20年前の今日は福岡での修行中だったが、
ちょうど日曜日で氷雨が降り最高気温が5℃ぐらいだった。
なぜそれを覚えているかというと、この日に行われた
2大スポーツイベントのインパクトが凄かったのだ。
まず12:00にスタートした福岡国際マラソンは、ケガで
欠場した瀬古利彦に見せ付けるかのような中山竹通が、ス
タートから激走し谷口浩美をはじめとしたライバル達を
脱落させていった。
35㌔までは世界最高まで49秒も早いペースで飛ばし、
最後にペースダウンしたが2:08:18の好記録だった。
本来この大会は、一発勝負で行われるソウル五輪の代表
選考レースのはずだった。そこで世間では、瀬古利彦と
中山竹通の新旧両エースの直接対決が見られると期待して
いたのだ。
中村清監督の下、早稲田からSBへ進んで栄光に彩られた
瀬古と、高卒の叩き上げで瀬古を倒す事を目標にしていた
雑草ランナーの中山の対決だ。
ところが直前に瀬古が足を痛めたので、陸連は急遽一発
選考レースを取り止めたのだ。
欠場を聞いた中山は「僕なら這ってでも出る」と発言、
悪い事にマスコミが当時「瀬古に這ってでも出て来い」と
言ったように書き立てた。
そういった背景もあっての中山の劇走だった。
レース終了後は、ラグビーの早明戦のディレー中継がOA
された。
この日の国立競技場は、雪が積もっていた。
俗に言う‘雪の早明戦’だ。
早稲田がラインアウトのボールを奪ってトライして先制
すると、明治はルーキーの吉田義人がトライして追い付く。
いったん明治がPGで勝ち越すが、早稲田も2本のPGをルー
キーの今泉清が決めて逆転する。
そのまま早稲田が逃げ切るかと思われたが、終了間際に
明治が早稲田のゴール前に殺到。
得意のスクラムで押し込み、早稲田は反則がらみで必死に
耐えるが、明治は引き分けが1つあるので引き分けでは優勝
できないためPGを狙わずスクラムトライを狙う。
あまりの寒さにスクラムを組む両チームのFWからは、湯気
が立ち上る状態だ。
結局再三のピンチをゴール前での決死のタックルで凌いだ
早稲田が逃げ切った。
試合後、早稲田の3番・頓所のジャージはビリビリに破れて
いたぐらいの激闘だったのだ。
あれから20年経つが、あれ以来12月の第1日曜にインパクト
のある戦いが続いたのを見ていない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 植村謙二郎と廃屋 | 水木一郎に つ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |