アキヒロ・タロウ君の思い出

 私が蒲田で働いていた頃、高校生でアキヒロ・タロウ君
(仮名)という店の常連客がいた。
 来客順にスタッフが順番でカットしていくローテーション
を組んでいるのだが、何故か私は入店して以来タロウ君が来
ると必ず当たっていた。
 あまりにも当たるので他のお客さんを準備していたにも拘
わらず師匠がタロウ君のカットを回してくれた事もあるのだ。
 それぐらい縁があったので89年の年明けにはかなり打ち解
けて「休みの日に1回遊びに行っていい?」と聞かれたので、
「2月の第1月曜ならOK」という事になった。
 印刷工場の2階にあるメトロン星人が出てきそうなアパート
が我々の寮だったので、そこに学校を終えたタロウ君が遊びに
来たのだ。それが18年前の2月6日である。
 ウルトラ好きのタロウ君のためにウルトラセブンのビデオな
どを準備してもてなしたが、一通り見るとタロウ君は持って来
たゲーム機を私のTVにセットしロールプレイングゲームを始め
た。見ているとかなり面白そうだが、私はかつてインベーダー
ゲームで失敗した前科があるのでゲームは自粛していたのだ。
 因みにタロウ君がやっていたゲームはデスという」キャラに
やられてゲームオーバーとなっている。
 余談ながらタロウ君と仲がよかった同級生で大石アキヒロ君
(仮名)という幼なじみのお客さんがいた。
 そして仲良くなった理由というのが幼稚園時代に登園すると
下駄箱に‘あきひろ’と書いていたので自分の所だと思ったも
のの既に靴が入っているので‘オレの所に入れたのは誰だ!と
思い靴を捨てていたら‘人の靴を何する’と言われ見てみると
自分の名前と同じ苗字の人間がいたと驚いたらしい。
 彼らの同級生に言わせると‘オオイシ・アキヒロ・タロウ’
とよく言っていたそうだ。
 面白いのがタロウ君の父親の出身地が大分の日田だから同じ
九州人という事で親近感を持ってくれていたようだ。
 これ以降私が帰郷するまでタロウ君との付き合いは続き、帰
郷してからも98年までほぼ毎年上京する度に最低1泊はさせて
もらっていた。
 そしてタロウ君との交流は未だに続いているのだ。
 タロウ君とつるんだネタはまた後日アップする予定。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (ハカセ)
2007-02-08 01:19:49
それほど年齢は離れていませんよね。素晴しい関係です
もてなしがセブンでしたか、その頃も特撮趣味だったんですね。
修行時代というのは、キツかったり、ツライ事も多いですが、一番思い出されます。
 
 
 
いつもながら・・ (taro)
2007-02-08 12:43:37
驚かされます(^^;;;
ウっちゃんの記憶力には・・。18年前の2月6日でしたか。スゴイな~。昔から手帳に出来事を書き留めたりしてるの?過去の自分のことだけど、そんな昔の事だと記憶の彼方だから今こういうこと聞くととっても新鮮です。ぜひとも続きをお願いしますね~(^^)
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-02-08 22:18:20
>ハカセ様
 私が25歳でタロウ君が18歳の時の事ですから7つ違いで
すね。当時はここまで年の離れた者と打ち解けるとは思っていませんでした。いつもカットしながらウルトラ系の話で盛り上がってましたので、接待はセブンビデオでしたよ。

>taro様
 手帳などに書き留めたりしませんよ、全て覚えてます。
 楽しい思い出は特にインパクトがありますのでね、続きはまたの機会に。
 
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