ドカベン香川を偲ぶ

人懐こい野球少年=付きまとった「体重」―故・香川伸行さん(時事通信) - goo ニュース

 今朝のニュースに高校時代ドカベンの愛称で親しまれ浪商時代
甲子園で豪快なHRを放っていた人気者の香川伸行が、亡くなっ
たというニュースが出ていて驚いたものの‘やはり’という思いも
どこかにあった。

 というのも‘あの人は今’的な企画の番組で01年に急性腎臓症を
患い08年から人工透析を受けていたと聞いていただけでなく今年に
入って心筋梗塞出入院したという事もあったらしいので、あの体型
からすると厳しいのかなとは思っていたが こんなに早いとは思わな
かった。

 私が香川を知ったのは中3だった78年に74年以来4年ぶりに選抜
出場した浪商の4番キャッチャーが‘ドカベンの山田太郎のような選
手がいる'と話題になっていた。

 初戦の高松商戦では敗れたものの1打席目にセカンド強襲ヒットを
放ち、その打球の鋭さには驚いたものだ。

 翌79年になると牛島和彦とのバッテリーで春はHRを2本放つと、
夏も3試合連続HRを放つなどの活躍で優勝こそできなかったものの
春・準優勝、夏ベスト4に勝ち進んだ原動力となった。

 卒業後は南海ホークスに入団したのだが香川のようなスタイルの
選手がプロではどうなのか?と思っていたら4年目の83年に105
試合に出場し打率,313で15HR、61打点をマークしベスト9に選ば
れるなど活躍もした。

 ただ100㌔を越える体重では足腰への負担は大きかったようで徐々に
出場試合は減っていき10年目の89年を最後に引退となった。

‘10年しかプレーできなかった’という声に対し‘10年できた’と
引退後に語っていたが、個人的にも‘あの体で10年もプレーできたな’
と思っていた。

 サッカー日本代表の香川真司の応援バナーの中に「ドカベン香川」と
いうのが未だにありネットなどで‘香川真司とドカベン香川では格が違
うので、いい加減にあのバナーは外せ’という声が多々あったが、それ
だけ浪商から南海ホークスという大阪を代表するチームで活躍したド
カベン香川に対する愛着がC大阪のサポーターにあったのだろう。
 
 それだけファンに愛されていたドカベン香川が52歳という若さで亡く
なったのは本当に残念だ。

コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
♪芽渟(ちぬ)の浦 曲(わ)ゆ朝風の 大和広野(やまとひろの)に 吹き満てば。。。 (なにわのヒバゴン)
2014-09-28 07:32:56
最近でこそ私の中でも香川=真司にシフトしてきましたが、ドカベンの強烈な存在感は79年当時のまま薄れることはありません。78年春はナイター試合で高松商に敗退。あの牛島でさえ緊張のあまり初球をワンバウンドさせたことからも経験不足の感は拭えなかったのかも知れませんね。   79年春は近畿大会を制しての出場でしたから期待はしてました。ただ夏春連覇を狙うPLの方が本番(甲子園)では勝ち進むだろう。76年夏準優勝、78年春8強・夏優勝の実績からも私世代は大阪=PL。‘昔は浪商やったんや。平古場や坂崎や尾崎らは凄かったんやで~’と父親が力説すれどまだ一度も校歌を聞いたことのない浪商は?でしたね。初戦が愛知というのも子供心にヤバイと感じてました。当時愛読書(笑)だった高校野球大百科(文庫版)で調べると4年前の初戦で岡崎工に負けている。79年春の時点で愛知県勢は春8回・夏7回の計15回優勝。今でこそ追い抜きトップに立った大阪もこの時点では春3回・夏5回の計8回で愛知勢とはほぼダブルスコアの差を付けられていたことからも愛知=強いはずだと。それにしてもこの頃は大阪は東海勢とよく当たってましたね。PLが中京に大勝した76年夏、大鉄がバンビに屈した77年夏、78年夏は逆転のPLの幕開けとなった中京戦。79年春は浪商と同日に登場のPLがまず中京商と対戦。。。終盤にPLが辛うじて逆転勝ちしただけに浪商も一筋縄にいかないだろうとテレビの前で正座して観てましたよ。試合のハイライトは右膝を着きながら低い弾道でバックスクリーン!技ありの一撃で度肝を抜いたドカベンの甲子園初アーチに尽きますね。打線の援護を受けて牛島もスイスイと完投勝利し‘今年の浪商は強い’と印象づけてくれました。高知商戦、川之江戦、東洋大姫路戦は何れも接戦での辛勝。決勝の箕島と相対した時何となく勝つのは箕島ではないかなと子供心に感じていました(笑顔満開の尾藤監督には勝てないだろうと)。牛島も石井も連投の影響なのか気力のマウンドでしたよね。最終的に北野のサイクル安打にしてやられた印象ですが、7回一時は勝ち越しとなる一打をライト線に放ったドカベンの器用かつ勝負強さも秀逸でこれ程ワクワクドキドキした決勝戦はあとにも先にもありません。この活躍が自信となって夏18年ぶりに大阪大会を勝ち抜き甲子園でもベスト4。新進気鋭の蔦池田に敗れたとはいえナニワっ子には永遠に刻み込まれる浪商・ドカベンの復活劇だったことに違いはないでしょう。ただ四国や徳島勢が苦手なのか23年ぶり出場となった02年春にも2回戦で鳴門工に敗退。細身の右腕村田(のち巨人)が牛島をオーバーラップさせるなど‘NAMISHO’のユニフォーム、NCマークの帽子には特別な感慨が沸き上がったも事実です。‘オレ牛島や’‘お前太ってるからドカベンやろ’。左打ちの奴は‘オレ小早川で’。箕島ファンの奴はやたらと石井のアンダーハンドを真似しつつ野球に興じた小学生時代。。。ホークス香川の印象もそれなりに残っています。83年の活躍は暗黒時代真っ只中(97年まで続くんですよね)にあるチームにとって一服の清涼剤といったところでしょうか。私も彼が10年(プロ選手の平均は全体で9年らしいですね)もプレーするとは当初思えなかったのが正直なところです。いくら超人気者でも数字を出せなければ存在価値など無いのは自明の理でしょうからね。本当に思い出は尽きません。今年の大阪桐蔭の対戦相手は初戦からどこだったかな?と即答できないのにドカベンの浪商なら立て板に水のごとくスラスラと言える私。。。だからこそ永遠の憧れのヒーローであり続けるわけなんですよね。有難う、偉大なるドカベン香川伸行さん。。。安らかに眠って欲しいです。
 
 
 
私も愛知戦は (こーじ)
2014-09-28 23:46:02
>なにわのヒバゴン様
 私も愛知戦で打った膝を突きながらのHRには痺れましたね。

 あの体制でバックスクリーンの隣まで運ぶのですから
度肝を抜かれた覚えがありますし、香川の活躍を1試合でも多く見たいと思いましたよ。

 実は前年春の高松商戦は塾の関係で3回以降は見られなかったし、初戦で敗れたので香川の1打席目のみでした。

 もっとも愛知戦は勝てるだろうと思ってましたが、2回戦が前年準優勝の高知商でベスト8は雨の中での川之江戦で延長という2試合は‘勝ってくれ’と思いつつ見てましたし、夏の決勝でPLに勝った時は凄くうれしかったのを
覚えてます。
 
 
 
香川さん打ったボール(球種)は?‘別にまあ~るいボール(美津濃)ですけど’オモロすぎますね☆ (なにわのヒバゴン)
2014-09-29 20:15:05
高松商の河地は夏も仙台育英打線を16回まで0に封じてましたから、新2年生が主力の浪商はまだ力不足だったのでしょう。香川が2打席敬遠気味に歩かされたことは何年か前に知ったのですよ。何でも甲子園練習でサク越えを連発。新聞に‘ドカベン本番でもアーチ予告’みたいな見出しが新聞各紙に踊ったことで高松商バッテリーは恐れをなしたのかも知れません。  そうなんですよ。尾崎で全国制覇以後春は何度か出場するも夏の扉が長く開けられないままでしたから、選抜準優勝以上に夏の復活はインパクト大だった気がします。PLのバスが大渋滞で試合開始ギリギリに到着。。。銚子商優勝の流れと同じく甲子園の神様も‘今年の夏だけは何としても浪商出場’するように仕向けたのではないかと。実際79年以降夏の大阪決勝へ進んだのは10年のみですから、牛島・ドカベン・山本昭良のトリオらの実力が如何に凄かったのか窺えますね。ただもしPLが出ていたら箕島の春夏連覇はなかった気もします。箕島は夏の実績に乏しかったですし、準決でPL×池田なら恐らくPL打線は橋川を攻略。さらに決勝がPL×箕島だとすると夏に滅法強いPLが春のリベンジを果たすような気が。。。しかし79年のPLは手力がイマイチだった印象ですから、硬軟織り混ぜた箕島打線が巧みに竹中・中西(阿部?)らから得点を重ね、最終的には尾藤野球が制す!のシナリオに落ち着く気がしないでもないですね。今はこーじさんも私もアラフィフ世代ですが、当時高校生のこーじさんと小学生の私の野球観は少し違ったかもです。浪商は春の高知商戦、川之江戦、夏の上尾戦はまさに紙一重の勝利。かと思えば広商や比叡山に大勝など両極端なところも漫画チックで魅力でしたよね。つまりドカベンが一発放てばベンチも大盛り上がりで相手は意気消沈。快勝スコアになったのかも知れません。牛島最終打席はバントのサイン無視。‘最後くらい思い切り振らしてくれよ’の本能から聞く耳など一切持たなかったのでしょう。選抜決勝では一点差に迫る二塁打を放ち、夏の上尾戦でも起死回生の同点2ラン。打撃も(高校レベルでは)非凡だったと言えるのでしょうか。思い切りの良さとリストの強さ。。。牛島とホークスの今宮は同じようなタイプですね。ドカベン香川、二盗を試みた走者を刺して上尾戦勝利。打撃だけでなくキャッチング、強肩?も魅力でした。まさに絵(漫画)になる男だったドカベン。‘カキーン’と銀傘に響き渡るZETT・powerのバット。捕手の鼓膜を破らんとばかりの強烈な金属音も当時の風物詩でしたね☆
 
 
 
79箕島は (こーじ)
2014-09-29 23:48:01
>なにわのヒバゴン様
 79箕島は3回戦=伝説の星稜戦をクリアしてからは負ける気がしない感じでしたね。

 だから決勝の相手が浪商やPLでも勝っていたと思いますが、例え負けても決勝ではPLよりも浪商の方が華があって盛り上がった気がします。

 だから準決勝で池田に敗れたのにはがっかりでしたけど、その流れが3年後の山びこ打線に繋がるのですから
コチラも歴史の流れというわけですね。

 ちなみに78年の高松商は優勝候補でしたから、むしろ
2回戦で東北に負けたのが意外でしたよ。
 
 
 
蚊こちらも多くて厄介。虫除けとキンチョール(アースジェット)振りまくりです☆ (なにわのヒバゴン)
2014-09-30 05:56:48
大阪桐蔭×光星学院の春夏同一カード決勝が記憶に新しいですが、79年夏も箕島と浪商でファイナルなら平日であれ満員札止め確実だったでしょうね。予選決勝の浪商×PLでさえ当時有り得ない日生球場外野席開放(パ・リーグの試合よりも観衆多い)したことからも窺えるように改めて浪商人気は凄まじかったのだと。。。ベテラン広瀬監督が指示する敬遠&送りバントも華麗に?スルーしてしまう牛島。彼を黙って服従させられるのはハリさんか高田繁氏(憧れていたそうです)くらいでしょうか。逆にこの強気、オレ流があったからこそ浪商が甲子園で復活を見せたとも言えますよね。核弾頭の椎名やライトの井戸(春の高知商戦で大ファインプレーして試合終了)も個性がある浪商らしい選手でした。池田の橋川は力投というより打ち気に早る浪商打線を巧くかわして完封した印象ですね。好球必打で初球からでもOKというムードのなか橋川から三振を喫しなかったですからね。好きなようにやって勝てれば尚良いが負けるんはしゃ~ない。そんな浪商はPLとはチームカラーも対局にあったのではないでしょうか。 高松商は夏は5年連続初戦負けも春はそこそこ活躍を見せてましたね。76年は崇徳とノーガードの打撃戦。78年は牛島攻略&完封。79年は大会ナンバーワン右腕(新聞によっては)府中東の片岡を滅多打ち。81年は8強進出。夏は組み合わせに恵まれなかった感もありますが、79年の明野(茨城。開校3年目の初出場)には勝たないと。。。滋賀の甲西に敗れた県岐阜商みたいなものですね。78年春の東北は二段モーションっぽい右腕薄木が力投。近畿王者の初陣村野工のミラクル千田に投げ勝ったあと高松商にも勝利。なのに全くノーマークだった浜松商に完封負けとは。。。勝負事は開けてみないと解りませんね。この時代東北のユニフォームは選抜用は縦縞に筆記体文字だったとか。。。竹田監督も細部までこだわりを持って指揮されていたのでしょうね。76年~85年までだと81年を除いて春か夏何れかは甲子園に導いていましたから、何とか全国制覇をの思いは年々強まっていたのかも知れません。72年春の準決勝‘仲根の桜丘を倒していればウチが優勝だった’と回想されてますし、仙台育英時代も含めて一度は優勝旗を手にしてもらいたかった偉大な名将竹田監督。3度のノーコンKO&4度目の正直で晴らした左腕中条、大型右腕金子、サブマリン北田、ご存知大魔神・佐々木。。。彼等のマウンドでの勇姿が懐かしく思い出されます☆
 
 
 
スキがあったから浪商 (こーじ)
2014-09-30 23:44:32
>なにわのヒバゴン様
 やはり浪商のよさは豪快な反面、ワキが甘くスキを見せるので試合巧者相手には足下を掬われるケースが多かったですね。

‘橋川はいつでも打てる’と思っていたら、打てそうで打てないので焦り始めたとは牛島氏がスポニチ連載で語ってましたよ。

 1番・椎名、2番・木村、3番・香川、4番・山本、5番・牛島、6番・川端、7番・井戸、8番・石見、9番・片山というのが夏のメンバーでしたね。

 もっとも牛島は池田戦の最終打席は延長になったら翌日の箕島戦で勝てそうにないので、9回に一気に逆転サヨナラを狙ってのバントサインの無視だったようです。

 
 
 
 
浪商のオーダーが懐かしいですね。春はドカベンが四番で牛島が五番でしたっけ☆ (なにわのヒバゴン)
2014-10-01 05:25:43
そうでしたか。確かに仮にバント失敗(最悪併殺)すれば‘牛島は意外性もあるから打たすべきやろ’と我々も悔いを残したかもしれないですからね。ドカベンの存在は勿論ですが、牛島がいたからこそ3度の甲子園出場を果たせたことに異論はないでしょう。サイン無視も気持ちの中でチームの勝利を彼なりに考えていたと知り改めて‘総番’牛島の男気を再認識した思いです。聞くところによると本当の武闘派は牛島より椎名だとか。彼は如何にもヤンチャ坊主でキレたらヤバそうな雰囲気を感じました。79年の池田は山びこ打線の序章という印象で各打者ともにスイング&打球が速かったですね。中京が完全に後手に回って完敗した一戦など‘池田の時代到来’を何となく感じさせました。ただ高校野球を変えるほどの強打で夏春連覇するまでは予期できなかったですね。ドカベンも生まれは徳島県出身。戦った池田ナインの中に面識のある者がいたとかで少し因縁も感じます。プロ初打席もホームランでしたし重ね重ね記録以上に記憶に残る個性溢れる選手でしたね☆
 
 
 
まさしく個性派集団だったわけで (こーじ)
2014-10-01 22:31:58
>なにわのヒバゴン様
 なるほど椎名が最も武闘派だったわけですね。

 浪商復活キャンペーンの一環で才能選手が集められたという事は、同時に武闘派メンバー集結を意味していたのですね。

 浪商といえば34年選抜で旧・浪華商時代に東邦商との
決勝でエースの納屋が延長10回に2アウトからランニング
HRを放ちながら、直後の打者が初球を打ってアウトになり呼吸を整える間もなくマウンドに上がり逆転サヨナラ負けを喫した事がありました。

 牛島の最後の併殺打は戦前から個性派集団という伝統
にもよるかもしれませんね。
 
 
 
如何にもNAMISHOらしい歴史ですね! (なにわのヒバゴン)
2014-10-02 05:29:36
そうでしたか。確かに打って走って息も絶え絶えの内にマウンドに上がらなければならない投手(まして決勝での僅少差)に対しそれまで通りスイスイと投げ切れと言うのにも無理がありますよね。試合巧者のチームなら早打ちするなとか、バントの構えで揺さぶれとかは徹底した投手潰しに来るのではないでしょうか。古くは75年夏の決勝、新居浜商の村上が同様のパターンでマウンドに上がり追い付かれ9回習志野にサヨナラ負けしましたよね。高校野球の投手は総じて打撃も優れていますから、出塁し長打により長駆生還など十分に有り得ます。難しいところですね。浪商に大鉄に89年の上宮。。。常勝を義務付けられているPLのような堅さや悲壮感?(上手く言えませんが)と違って見ていて楽しいチームでした。勝ち負けも大切やけど思い切り甲子園で暴れ楽しもうや!常勝阪急ではなく、いてまえ打線の近鉄バファローズのようなテイストが大阪人にウケたことは間違いないでしょう。東邦と相対した大阪勢。。。大鉄、北陽、近大付、上宮も敗れてますし昔から大の天敵。08年夏に大阪桐蔭がやっと勝ったと喜ぶも東邦指揮官は阪口氏の教え子の森田監督。阪口監督コンプレックスは今世紀に入っても続き10年に桐蔭が大垣日大に完敗。何とか初勝利をと願い続けているのですが☆
 
 
 
たしかに近鉄のノリですね (こーじ)
2014-10-03 00:00:02
>なにわのヒバゴン様
 たしかに浪商の雰囲気は近鉄のノリでしたね。

 豪快だけど今ひとつ勝負弱いというのは人間味があっていいわけで、これがPLよりも人気がある理由かもしれません。

 たしかに東邦は大阪勢の天敵の感が強いですね。
 
 
 
ドカベンが亡くなったなんて信じられない・信じたくない。・゜゜(ノД`)。。。 (なにわのヒバゴン)
2014-10-05 03:35:45
西武おかわり中村や森友哉、日ハム中田、その他の大阪出身のスラッガーが阪神の選手として甲子園で打ちまくっていたら。。。なんて想像するのですが、香川はホント南海で良かったです。阪急や近鉄は当時強豪チームで勝つ野球を強いられたでしょうし、阪神は。。。85年までは江本の事件などなどイマイチ話題も少なかった印象でしたからね。グランドレベルに近いすり鉢型のスタンドから痛烈なヤジ(シャレが効いてて笑いもある)が飛び交うミナミの大阪球場は香川のイメージにピッタリ。優勝を期待するものの明らかに上位球団とは見劣りする戦力ゆえ‘南海(何回)やっても優勝でけへん’という緩い空気が充満してましたからね。‘ドカベンや門田の一発が見れたら負けてもええ’そんなオッチャンファンが多かった気がします。    さて今でも思うんですが、79年夏仮に上尾が浪商に勝っていたら(仁村がロージンを撞け忘れなければ牛島は打てなかった気が)どこまで勝ち進めたのか。倉敷商には浪商と同じく4対0くらいで順当勝ち。広商には接戦でも上尾の勝利。比叡山も左腕藪内が不安定なことから上尾が5対1で勝っていたとみます。準決勝池田との対決!浪商は早打ちして橋川の術中に嵌まりましたが、奇才?野本監督ならば‘狙い球を絞れ’‘球数を投げさせろ’と指示を出したかも知れないですね。橋川から3点は取れる気がしますが、仁村が池田打線をどこまで抑え込めるのか。池田は選抜で東洋大姫路の軟投派左腕・萩原を打ち込みましたが仁村のようなサイドの変化球投手はいざ対戦してみないと想像が付きませんね。この上尾がひょっとしたら埼玉夏初優勝を達成していたかもと35年経った今でも当時の充実したチーム力が懐かしく、切なく?オーバーラップ。箕島は前年春の準決勝サブマリン板倉の福井商に敗れてますし、82年よりも79年での上尾戦が見たかったと今更ながら思う私です。
 
 
 
仮に上尾が勝っていたら (こーじ)
2014-10-05 23:41:39
>なにわのヒバゴン様
 たしかに上尾が浪商に勝っていれば倉敷商には勝ったでしょうけど3回戦の広島商戦がカギですね。

 比叡山は上尾の方が格上ですし、池田相手ならどうなっていたか。

 埼玉勢の得意パターンで初戦で優勝候補を倒しても今年の夏の春日部共栄や02年の浦和学院のように次で意外なほどあっさりと負けるケースも多々ありますからね。

 でも上尾は75年に一生分のツキを使い果たしていたかもしれませんね。
 
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