3人目の師匠が亡くなって20年

 おかげさまで今年は私が理容業界に入って40年目になり、これ
まで福岡市内と東京の蒲田で通算7年半修行した。

 ただ修行を終えて家業を継ぎ研究団体hk北九州支局に入会した
のだが、今から20年前の昨日02年5月22日は私にとって3人目の
師匠とも言える当時の支局長の命日である。

 今から35年前の87年に福岡市内での修行をこの年度で終える私
としては東京で働いてみたいと考え、北九州支局に通っていた父
親が支局長に東京の店を紹介してもらったのだが当初は沼袋の店
に決まりかけていたところ88年になって急遽蒲田に変更になった。

 沼袋の先生や店も良かったのだが蒲田は更に相性が良かったわ
けで、よくぞこの店を紹介してくれたと今でも感謝している。

 修行を終えてからは北九州支局に入会して支局長の下で役員と
して働いたのだが、打ち上げの席などで何かと気に入られていた
のだから驚いた。

 家に帰って以来毎年盆休みに上京し蒲田の師匠宅を訪ね現地の
友人と旧交をあたためていたのだが90年から99年まで行っている
間に家族などから批判を受けていたのだが、支局長だけは‘いい事
をやってるな、できる事なら続けなさいよ’と言ってくれた。

 また役員旅行で他の店が替え刃のカミソリを使っているのに、
我が家は今でも砥いだ本レザーを使用している事をボヤき気味に
話すと‘いいじゃないか、他所がやってないからこそ売りにすれば
差別化ができるんじゃない’と言われて砥いだ本レザーを使用する
事に吹っ切れたものだ。

 さらにオウム真理教が信者を増やしてテロ活動を行って話題に
なっていた頃には‘確かにオウムは悪いけど、信者を増やすノウハ
ウは顧客を増やすノウハウに通じるのだから見習うべき事がある’
と清濁併せ吞む必要がある事を語られいていたのを思い出す。

 最後に会ったのは同年3月18日=奇しくも私の結婚記念日に福岡
市内で行われたコンクールの審査員で参加し挨拶に行ったところ、
既に体調を崩していた支局長は挨拶に立つため控室に寝袋を置い
ておりキツそうにイスに座って‘‘いい嫁さんもらったな、大事にす
るんだぞ’’と言ってくれたのが最後の言葉になった。

 あれから20年経ち私の結婚式に出席してくれた支局長や先輩方
でも亡くなられた方が結構いるので、それを考えると20年の長さ
を実感する。

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