家族が自家用車の必要性を思い知った30年前   

 今から30年前のGWの日曜日は、2週続けて救急病院の世話に
なるという波乱のGWとなった。

 まずは4月29日の16:00過ぎに突然オヤジが鼻血を出したま
ではよかったのだが、すぐに止まるだろうとタカをくくってい
たものの止まらずに営業終了後に市の救急センターに連れて行
く事になった。

 続いて翌5月6日には午後から祖父の熱が上がり、これまた救
急病院に連れて行ったら肺炎と診断され当番病院に運ぶ事にな
ったのだった。

 この時に大活躍したのが我が家の車。

 ご存知のように我が家は祖父の代から‘ウチの仕事に車は必要
ない’という事で89年11月に私が免許を修得するまで車はおろか、
免許を持っている者もいない始末で私が車の免許を取った時に
も‘大丈夫か’という雰囲気だったのだ。

 というのも私は正直言って大ざっぱな性格なので私の運転は
恐ろしいというのが実母や祖母達の考えで、私が運転する車に
乗るのを怖がっていたようだ。

 ところが4月29日に父が鼻血を出しただけでなく営業終了後も
鼻血が止まらないという状態になると大変なので救急センターに
連れて行く事にしたのだが、これがタクシーだと救急センターと
当番病院へと通算3度もタクシーを乗り換える必要がある。

 さらに5月6日は前日まで微熱があった祖父が当日の昼前まで
熱も下がっていたのだが、午後から熱が上がり39度越えしたの
だから前週に引き続き救急病院の世話になった。

 この時に祖父母が私の車に乗り込んで行ったわけで最も私の
運転する車を嫌がっていた祖母達が一番恩恵を受けた事になるし、
その日から肺炎と診断されたため入院したため毎日病院まで営業
終了後に見舞いに行ったわけで自家用車なしでは厳しいものが
あったのだ。

 こうして我が家でも車が完全に必需品と認定され、ある意味で
市民権を持つ事になったのだった。

 

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