松中が引退会見「現実は厳しかった」今後は「野球に携わる仕事を」
元ホークスの松中信彦が自身の定めたキャンプ終了までに他球団
からのオファーがなかった事を理由に昨日引退を表明した。
アトランタ五輪で銀メダルを獲得した代表チームの4番という実
績を引っ下げて97年にホークスに入団後19年間活躍してホークス
の常勝時代を支えただけでなく、04年に三冠王を獲得し06年は代表
チームの4番として第1回WBC優勝に貢献と輝かしい実績を残し
ての引退だけに本来なら‘ご苦労様’と言いたいのだが・・・
たしかに昨年は柳田悠岐の台頭などで松中の出る幕は いよいよ
なくなっていたし、レギュラーシーズンの優勝が決まった後に一軍
に昇格したものの空振りを繰り返す姿に‘もはやこれまで’の感を
強くしたものだった。
ところが松中当人は‘自分のスイングができた’と語り出場機会
を求めて退団を表明したわけだが、後日‘NPB12球団以外でプレー
するつもりはない'と語ったのだから驚いた。
個人的には出場機会を求めてホークスを退団したのならNPBが
ダメでも独立リーグや韓国や台湾にマイナーリーグなどで納得行く
までプレーすればいいと考えていたし、とりあえずはトライアウト
を受けるべきだと思っていたら それすら受けなかったのだ。
40代のベテラン選手を大量に抱えていたドラゴンズですら昨年
限りで引退を含めた退団者を出していた時期に、出場機会を求め
ホークスを退団しながら12球団でプレーできないのなら引退と
いう姿勢には賛同しがたいものがある。
サッカーでは三浦知良がJ2の横浜FCでプレーしているからか
多くの力が衰えた選手達がJ2以下のチームでプレーし、若手選手
達に自らが生きた手本となって経験を伝えているので松中にも独立
リーグあたりで こういった事を期待したものだった。
実際にMLB帰りの藤川球児が独立リーグでプレーしてタイガー
スへ復帰する‘リハビリ’をするなど以前よりも身近になっている。
広尾晃氏もブログで同じような事を語られていたが松中が独立
リーグでプレーする事で、NPBのチームを戦力外になった選手達が
独立リーグでプレーする事に対する意識のハードルを下げてくれる
のではと期待していたのだがプライドが許さなかったのか。
例によってマスコミは労いの言葉一辺倒になっているが自分の
現在の置かれた状況に気付かずに、こんな中途半端な形での引退
とは大いに残念でならない。