プレーイングマネージャーの限界

 先週話題になったのが東京スワローズの古田敦也監督が、出場
選手登録を抹消したというもの。
 ゴシップ新聞(もはやこの国にスポーツ新聞はない)によれば
選手・古田は今シーズン限りで引退だそうだ。
 これを見て思ったのが‘やはりプレーイングマネージャーはダ
メだ’という事。
 そもそもプレーイングマネージャー制度というのは、チームを
代表するスター選手が現役でプレーしながらも監督をするという
ものだ。
 代表的なプレーイングマネージャーは、中西太や村山実に野村
克也あたりか。あと江藤慎一もライオンズで1シーズンやっていた
のだが、あまり印象に残ってないようだ。
 草創期ならまだしも、残念ながらプレーイングマネージャーの
チームが日本一になったのはなく63年の中西ライオンズと73年の
野村ホークスの2チームのみで、いずれもシリーズではジャイアン
ツの軍門に下っている。
 しかも野村監督に言わせると‘73年のリーグ優勝は前後期制度
を上手く使っただけで、本当の優勝はブレーブスだった’という
もので実質昭和30年代で終った制度だというもの。
 平成に入って所沢ライオンズが、94年限りで退団した森昌彦の
後釜に生え抜きのキャプテンである石毛宏典を影の国賊オーナー
が指名した。
 ところが現役に未練がある石毛は固辞、すると影の国賊オーナ
ーは‘現役に未練があるならプレーイングマネージャーに’と
薦めたものの拒否し福岡へFA移籍してしまった。
 続いて02年に力が衰えていた伊東勤にまたしても(性懲りもな
く)プレーイングマネージャーを薦めるのだ。
 確かに伊東は次期監督候補と言われていたが、やはり現役一本
で続行し03年を最後に引退して04年から専任監督となっている。
 
 正直言って私はプレーイングマネージャーは過去の遺物だと思っ
ている。
 というのも昨今のレベルアップした現状で選手の片手間で勝てる
ほどコーチ業は甘くない。
 MLBではスーパースターだろうがマイナー崩れだろうがマイナー
リーグのコーチで実績を残さないとメジャーの監督にはなれない。
監督の腕と現役時代の実績は別ものだ。
 だから70年代以降、74年の金田正一や04年の伊東勤以外の日本一
監督はコーチ上がりか、返り咲き組ばかりで、解説者上がりですら
優勝できてない。引退即監督は尚更だ。
 プレーイングマネージャーは引退即監督を意味するわけで現実に
即してない。
 にも拘わらずスワローズファンが求めたにせよ、マスコミまでが
‘古田プレーイングマネージャー待望論’を垂れ流す現状には怒り
より空しさが募った。
 長嶋茂雄は‘後任に江川卓か原辰徳か?’と言われていたときに
キッパリと原監督に決めていたようだ。
 95年に引退後、NHKで3年間解説して99年からヘッドコーチとして
就任し、3年後の02年から満を持して監督に就任させている。
 ではなぜ江川でなかったのか?
 長嶋は監督復帰後の93年と99年に江川をピッチングコーチとして
招聘しようと考えて打診したが、江川が断ったらしい。
 タレント業が多忙な事と、コーチになって負けが込むと自分が批
判の矢面に立ってしまうという計算が働いたとも言われているが、
江川にすれば‘そこまでして監督にはなりたくない’と思っている
フシがあった。
そして現場を知らずして監督は務まらないというポリシーがあった
ようなのだ。
 王貞治も福岡では秋山幸ニに監督を譲る気配だ。
 引退後に在京のキー局ではなく、ローカル局で解説をしていたが
人間のクズが失脚したので現場復帰し2軍監督に就任した。
 そして今年からは1軍でベンチ入りし、王監督の隣で勉強している
ような感じである。
 それなのに2足の草鞋を履く羽目になった古田は不運ではある。
 やはり近代野球で引退直後に監督に就任したり、現役でプレーしな
がら指揮を取るのは無理があるのが分ったはず。
 プレーイングマネージャー制度は古田で最後にするべき時代遅れの
制度だと私は思う。 
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (GOSIN)
2007-06-14 23:00:28
古田さんがプレーイングマネージャーに就任した時
は、てっきり伊東ヘッドが時期監督かな~・・・と
予想していた僕としては驚いた反面、どうなるかと
期待もしていました。

しかし就任2年目の今期、戦力が足りないとはいえ
セントラル最下位。スタートダッシュの出遅れから
4・5月の低迷が響いて、交流戦で中々の成績を残
していますが借金を返しきれないでいます。
それにチームとしては、捕手は若手の福川・米野の
成長を重要視していますし、年齢による力の衰えに
加え、監督兼任という重圧から思うようにプレーが
出来ない等、原因は山ほどあったと思います。

今期限りで引退、というゴシップ新聞の報道もあな
がち否定は出来ませんね。うーん・・僕としては、
引退後は監督を伊東ヘッドに任せて、古田さんには
バッテリーコーチをして福川や米野ら捕手の育成に
力を注いで欲しい所です。野村監督から学んだもの
は、決して無駄にはならないはずですから。

「代打、オレ」が聞けるのはいつの日か・・。
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-06-15 23:43:46
>GOSIN様
 やはりキャンプがままならないというのは厳しいですね。
 岩村の流出の補填を中村紀でやろうとしたのにフロントから断られたというのが影を落としてます。
 私個人としては、これだけレベルが上がると、もはや
選手が監督をやるのは無理だろうと思ってます。
 それを儲け主義のフロントの方針で、プレーイングマネージャーとなったのですが、どこまで古田が監督をやりたがっていたのか。
 むしろ伊東ヘッドを監督にした方がスッキリするのでは
と思ってましたから。
 
 
 
話しだと (屯田兵幸雄)
2007-06-16 03:51:13
監督も追われるとか・信望が薄いとかが原因か
 
 
 
それは残念 (こーじ)
2007-06-17 06:49:42
>屯田兵幸雄様
 それが本当なら残念ですね。
 上った後に梯子を外されるようなものですよ。
 
 
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