高橋尚子のシドニー金から20年

 今から20年前の今頃はシドニー五輪が開催されていたのだが、
今日は女子マラソンが行われ高橋尚子が日本の陸上女子種目初の
金メダルを獲得した日である。

 レースは高橋が18㌔過ぎに先頭集団から抜け出すと26㌔あたり
からリディア・シモンとのデッドヒートが続いていたのだが34㌔
過ぎにスパートをかけて突き放すと、そのまま独走しスタジアム
のトラックでシモンから追い上げを受けるものの逃げ切ってのゴ
ールだった。

 レース前の予想では高橋は優勝候補の一角だったが最も怖いの
はケガで、実際に前年の世界陸上でもケガのため直前にリタイア
していたのを考えるといかにベストコンディションでレースに臨
めるかが最大の心配事だったのだ。

 とりあえずスタートから高橋はコンディション調整に成功した
ようで快調に先頭集団で走っており、20㌔手前からは集団を引っ
張る形での走りを見ると最低でもメダルはいけると思えた。

 ただし競り合っていたリディア・シモンは1月の大阪国際で先行
する弘山晴美をじっくりと追い上げ、最後は見事に逆転して優勝
を飾っているように粘り強さが身上なだけに終盤まで競り合うと
ヤバいのでは?と思っていたらゴール前8㌔地点で一気にスパート
して突き放したのだから見事。

 思えば女子マラソンは84ロスから正式種目になったのだが88ソ
ウルと2大会続けてメダルはおろか入賞もできず、ロスの佐々木
七恵の19位が最高成績だった。

 それが91東京世界陸上で山下佐知子が2位に入ると翌92バルセロ
ナで有森裕子が2位に、96アトランタでも有森が3位に入ったもの
の特にアトランタの時は93世界陸上優勝の浅利純子らも含めて最
強メンバーと言われながらの3位だけだったから有森の銅メダルは
嬉しい一方で少しばかり残念感があったのだ。

 そこで2年後の長野五輪で同じくスピードスケート男子500でメダ
ルは取れるものの金を取れなかったので、1年前に内定を与える事で
五輪に向けてじっくり調整させたやり方で清水宏保が金を取ったの
が参考になったのだろう。

 前年のセビリア世界陸上のメダリストに代表内定を与えるという
規定を作ったのだが、肝心の高橋が先述したようにケガでリタイア
という事になり少しばかり計画が狂っていた。

 それでも五輪本番でベストコンディションを作り、力を十分に出
し切れた高橋は本当に見事だった。

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