ガッツ石松がタイトルを失って40年

 今から40年前の日本時間の今日76年5月9日にプエルトリコの
サンファンで行われたWBCライト級タイトルマッチで、王者の
ガッツ石松は2位エステバン・デ・ヘスス相手の指名試合に臨み
0-3の大差判定負けし6度目の防衛に失敗した。

 2年前の74年4月にロドルフォ・ゴンサレスを8RでKOして3度
目の挑戦でライト級タイトルを奪取した石松はゴンサレスとの
リマッチや、強敵ケン・ブキャナンに勝つなど1年8か月の間に
5度の防衛に成功していた。

 ただし5度目の防衛戦となったアルバロ・ロハス戦では1か月
で18㌔もの厳しい減量を強いられるなど‘そろそろ石松危ない
のでは’と思われていたのだが、そんな中で指名挑戦者として
名前が挙がったエステバン・デ・ヘススは石松がKO負けした
ロベルト・デュランにノンタイトル戦で判定勝ちした強豪だ。

 とはいえヘススもデュランとのタイトルマッチでは初戦同様
1Rにダウンを奪いながら逆転KO負けし、一階級上げてアント
ニオ・セルバンテスにも敗れているので3度目の正直で地元開
催に拘ったため開催権が入札に持ち込まれヘスス側が落札した
ためプエルトリコでの防衛戦という事になってしまった。

 ただでさえ暑さに弱い石松だが計量時間も次々と変わるなど
あらゆる敵地の洗礼を受けコンディションを崩しては勝ち目は
ない。

 1Rからヘススのスピードに翻弄され7Rあたりになると一方的
に打ちまくられるなど大苦戦し、終盤は完全にポイントアウト
されて139-149・137-150・135-150という大差の判定
負けとなった。

 ジムの米倉健司会長は‘日本開催なら勝てた’と語っていたら
しいが地力からすれば格上だけに日本開催でも勝つのは厳しい
とは思うものの、こういう敵地ならではの試合前のゴタゴタが
神経をすり減らしての惨敗という事を実感するものだった。

 ちなみに石松からタイトルを奪取したヘススはバズソー山辺
をKOするなど3度の防衛に成功した後、デュランとの統一戦に
敗れるとJウエルター級でソウル・マンビーに挑戦して敗れた
年に射殺事件を起こして収監されただけでなく9年後にエイズ
で亡くなるわけで石松戦がある意味 人生最良の日になった形
だろう。 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 名作曲家・富... 約1か月で4つ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。