ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
土浦日大の思い出は
今年の夏の甲子園は選抜の1回戦で対戦した仙台育英ー慶應の顔
合わせとなったが、今大会ひょっとして優勝するのではないか?
と思わせたのが土浦日大だった。
左のエース藤本士生、右の小森勇凛に伊藤彩斗ら‘3本の矢’とも
言える3人の投手陣の継投が冴えていたし、ここ一番の集中打や効
果的なHRが出るなど勝ち進むチームの典型的なパターンを持って
いた。
開幕戦で上田西相手に追い付かれながら延長タイブレークで勝
つと2回戦の九国大付戦では1塁ライナーを弾いた打球のリバウン
ドを2塁手がキャッチし、3回戦の専大松戸戦は0-6からの逆転勝
ちで準々決勝では6回に一挙5点を挙げて八戸学院光星を突き放す
など典型的な波に乗ったチームの勝ちっぷりだった。
個人的に土浦日大は野球に興味を持ち始めた時に、最初に覚え
た茨城県代表だ。
74年春・夏に186cmのビッグ工藤一彦を擁して甲子園に初出場
すると選抜では新居浜商に3-1で勝って茨城県勢選抜初勝利を挙
げ2回戦で優勝した報徳学園に1-2で競り負け、夏は初戦で東海
大相模相手に9回裏土壇場で追い付かれ延長16回に2-3でサヨナ
ラ負け。
この年は初出場ながら優勝候補の一角に挙げられていたので
‘強い’というイメージがあり、茨城健代表=土浦日大というイメ
ージが出来上がっていたのだ。
3年後の77年も選抜に出場するも初戦で智弁学園に2-4で敗れ、
その年の夏に決勝で木内幸雄監督率いる取手二に2-3で逆転負け
してから甲子園から遠ざかり、次に甲子園出場したのは86年夏で
初戦を島原中央相手に3-0で勝つも2回戦で松山商に2-5で敗れ
昭和の時代はこれが最後の甲子園に。
その後は常総学院の時代が長く17年夏に31年ぶりの出場で、
翌18年夏にも出場するが、17年は松商学園に3-12で18年も興
南に2-6で初戦敗退するなど甲子園では勝てないチームという
イメージになっていた。
ユニフォームも以前は青地にNIHONやTSUTIURA NIHONの
二段文字のロゴになっていたのが21世紀に復活した時は漢字で
土浦日大表記になっており、こうしてみると今回のベスト4で
漢字ユニの違和感がなくなっている。
やはり強い時のイメージは大事で、こうなると青地ユニのイ
メージはなくなるから不思議ではあるがレスリングや柔道に剣
道など格闘系が強いというイメージになるわけだが今回の活躍
で野球も強いとアピールできるのではと思う。
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サンデー毎日の総合95点で優勝候補でしたね。
しかし初戦がサンデー毎日の総合90点の大会屈指の好投手の
山口哲治投手の智弁と対戦して2-4で負けましたね
田中選手は高校時代に打球を眼に当て手術を受けた後遺症で
プロで活躍出来なかったですね。
77年の田中選手は注目されてましたが、打球を眼に受けたEPは選抜後に有名になりました。
サンデー毎日の評価は意外に当たってましたが、関東ベスト4の土浦日大の95年は違うだろうと思ってましたよ。
だから智弁に負けた時は順当だと思ってました。
この年の関東は優勝が作新学院で、準優勝が銚子商でしたから作新は別として銚子商より強いとは思ってませんでした。