好きな仕事を続けられるのは ありがたい

 今年は私が、理容業界に入って40年になる。

 3月1日に西田川高校を卒業し29日に福岡市内の修行先に住み込
みで入店し30日から働き始め、営業時間は9:00~20:00までだ
が8:00までには住み込んでいる師匠の自宅から店に行って掃除
などの準備をし営業終了後は基本的に23:00頃まで店で仕事の
練習というスケジュールで6年間を過ごした。

 休日も月に1度は練習会が行われるし通常の企業に就職した友人
達に言わせると‘大変やのぉ~’と言われていたのだが、まぁ慣れと
は恐ろしいもので修行中は当たり前の話だし特に新人の頃は戦力
にならないので営業終了後の23:00までの練習時間の方が本当の
仕事と認識していたので決して苦にはならなかった。

 つまりモチベーションさえ充実していれば周囲から大変そうに
見えても、決して苦にはならないワケである。

 これ6年の修業を終えて蒲田で働いた1年半では全国大会での優
勝を目指す先輩達が必死に練習するので、その思いを更に強くで
きたのだ。

 なにせ土曜日22:00からの営業終了後に行われる全体ミーティ
ング時に差し入れが届き、終了後にそれをみんなで飲み食いして
終わったのは1:00前だったのだが全国大会優勝を狙う先輩は5本
目の缶ビールを空けながら‘3:00まで2回練習ができる’と言いなが
らいそいそと練習準備を始めたのにはさすがに驚いた。

 ただこれが自分の望んだ仕事でなければ大変で、苦しい事この
上ないだろう。

 先日OAされた ふたりのウルトラマンでは監督の円谷一と脚本家
の金城哲夫に上原正三が描かれていたのだが、ウルトラマンの頃ま
ではノビノビと仕事をしていたようだった。

 ところがセブンからテーマ主義を掲げるプロデューサーが赴任
すると上原正三は受け入れる事ができた一方、金城哲夫は相当に
苦戦したようで妙に窮屈そうだったようだ。

 しかもマイティジャックの失敗で大赤字となり再建のためにプロ
デューサー転向を打診された事もあり、円谷プロを辞め沖縄に帰っ
て沖縄芝居の脚本&演出やラジオパーソナリティに沖縄海洋博の構
成&演出で活躍したが地元民と本土の板挟みのストレスからアルコ
ール依存症になり事故死している。

 円谷一も父親の円谷英二が亡くなってTBSを辞め円谷プロ社長と
プロデューサー業に専念するも営業や接待に奔走した結果、持病の
糖尿病や高血圧を悪化させ脳溢血で亡くなっている。

 この2人が脚本や演出をそのまま続けられていれば、まだ長生き
できたのではと思うし好きな仕事をできるありがたみを改めて実感
するのだった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
そうでなきゃ (こうちゃん)
2022-05-12 08:19:16
続けられないもんね、生業というのは。頑張ってください。
 
 
 
ありがとうございます (こーじ)
2022-05-12 23:35:15
>こうちゃん様

 ありがとうございます、頑張ります。
 
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