今から40年前の今日76年11月24日にソウルの奨忠体育館で行
われたWBC:Jフェザー級タイトルマッチで王者のロイヤル小林は、
1位の廉東均に0-2の判定負けで初防衛に失敗し日本人世界王者最
短在位期間になってしまった。
45日前の10月9日に蔵前国技館でリゴベルト・リアスコを8Rで
KOし5月18日に輪島功一が敗れて11年ぶりの世界王者不在期間を
約5ヶ月で終わらせた小林だったが、このタイトルは曰く付きで8月
1日に王者のリアスコは釜山で行なわれた廉東均との防衛戦で小差の
判定防衛に成功したものの判定が一時は韓国サイドの抗議で覆るなど
二転三転した末のもの。
前代未聞の大失態でWBCはリアスコ-小林戦を認める代わりに
勝者は45日以内に韓国で廉との防衛戦を義務付けられていたのだ。
フェザー級ですら体重がきつかった小林はタイトル奪取試合の疲
れを取る間もなく減量に入ったのだが、最終調整は真冬のような寒
さのソウルで行なうハメになるなど最初からハンデが付いていた。
会場の奨忠体育館は空調がなく底冷えがする寒さの中で前日まで
機能していた控え室の暖房器具が故障で使えなくなるという敵地な
らではのアクシデントにまで見舞われた小林は、ウォームアップ不
足のままリングに上がり1Rにパンチを振るってバランスを崩した
ところに左が当たって手を付くスリップ気味のダウン。
2R以降 挑戦者は徹底的に足を使って動き回り打ち合いを避ける
戦法で時おり軽いパンチをヒットしてポイントを挙げるのに対し、
小林の強打は空転を続け遂に15Rまで捉えられず0-2の判定負け。
廉はリアスコ戦まで15試合で8KOを記録していた事からそれ
なりの打ち合いになると思われたのだが、1Rに奪ったダウンの
貯金を足を使って打ち合いを避け接近戦になるとクリンチという
戦法で逃げ切った形だ。
15Rマッチだった世界戦をフルラウンド戦うと本来ならフルマ
ラソンを走ったのと同じぐらい消耗するものだが‘打ち合わなか
ったので10Rはまだできるスタミナが残っているし、汗もかいて
ない'と試合後の小林は語っていた。
とはいえ日本で再戦すれば十分勝てる相手だと思っていたのだが
廉は2月に初防衛に成功した後、5月にプエルトリコに遠征して1
位だったウィルフレド・ゴメスの挑戦を受け1Rに痛烈な左フック
でダウンを奪うものの逃げ切れず12RでKO負けを喫する。
小林も捲土重来を期して77年は連続KO勝ちで1位までランキ
ングを上げ78年1月にゴメスに挑戦するが3Rに芸術的な左フッ
クのカウンターを打ち抜かれてKO負けすると、フェザー級に戻し
東洋太平洋タイトルを獲得して1年後の79年1月にエウセビオ・
ペドロサの持つWBAフェザー級タイトルに挑戦するものの王者の
技巧に強打を封じられ完敗と世界王者に返り咲く事はなかった。