明暗が分かれた友利正と渡辺二郎の初防衛戦から30年

 今から30年前の今日82年7月20日はWBC:Jフライ級王者の友利正が1位
のイラリオ・サパタに僅差の判定負けして初防衛に失敗した日である。


 遡る事3ヶ月前の82年4月に友利と同じく世界タイトルを奪取したのがWBA:
Jバンタム級王者の渡辺二郎で渡辺はラファエル・ペドロサ、友利はアマド・ウル
スアからの奪取だったのだが2人には それぞれ共通点があった。


 実はペドロサがタイトルを奪ったアルゼンチンのグスタボ・バラス、ウルスアが
タイトルを奪ったイラリオ・サパタは共に‘タイトルを守る’立場に回ると非常に
手ごわい選手だったのだが、ペドロサ&ウルスアと‘強打者だが何とか取れそう’
なタイプの王者だった。


 そういう意味では2人ともラッキーではあったのだが初防衛戦の相手はバラス&
サパタが来たのだから、ある意味 真価を問われる初防衛戦となったのだ。


 金沢で行われた友利-サパタ戦はサパタの のらくらしたスタイルに巻き込ま
れて一進一退の状況で進み10R終了時点では友利が3ポイントほどリードして
いたにも拘らず、終盤の5Rでポイントを失い1-2の判定負けで初防衛に失敗。


 一方7月29日に冷房のない猛暑の大阪府立体育館で行われた渡辺-バラス
戦は序盤こそ渡辺の足捌きでバラスの前進をシャットアウトしていたものの、
中盤からバラスが執拗なボディブローで渡辺を追い詰めペースを奪いかけた。


 ところが9Rに‘こうなったらド付き合い’と覚悟を決めて正面から打ち合った渡辺
が暑さで消耗したバラスを打ちまくりギブアップに追い込んで初防衛に成功した
おかげで最終的に両団体で通算10度の防衛まで記録を伸ばしたのだったから
バラス戦は天下分け目の一戦だったと思う。

‘もしバラスが王者で自分がアルゼンチンに乗り込んで挑戦だったら勝てる自信は
なかったから、バラスが挑戦者で日本に迎える事ができて運がよかった’とは初
防衛に成功した直後の渡辺の言葉だ。


 渡辺と友利は同じシチュエーションでタイトルを取りながら友利は煮え切らない
戦いで僅差の判定でタイトルを失ったのに対し、渡辺は自分のスタイルをかなぐり
捨てて正面からの打ち合い消耗戦に持ち込んでバラスをギブアップさせたのを
比べると両者の勝利に対する執念の違いというのが最終的に勝者と敗者に分け
たのだと思った30年前の7月だった。


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