井岡弘樹がエディ・タウンゼントと共に戦った最後の試合から30年

 今から30年前の今日88年1月31日に大阪城ホールで行われたWBC
ストロー級タイトルマッチで、王者の井岡弘樹は元IBF王者で1位の
李敬淵と初防衛戦を行い最終回の12Rにダウンを奪ってレフェリー
ストップで防衛に成功した。

 1Rから井岡はフットワークを使ってリングをサークリングしなが
ら李の突進を捌こうとするのだがプレッシャーに負けロープに詰ま
るシーンが目立つ展開で、6Rあたりからようやく左ジャブがヒット
し始め打ち下ろしの右ストレートから左フックへの返しも当たる展
開になり李もペースダウンし始める。

 10Rになると井岡の左フックで李の腰が落ちるシーンも見られ迎
えた最終Rに右クロスからの連打でダウンを奪うと、立ち上がって
来たところに連打を浴びせ李の手が出ないのを見たレフェリーがス
トップしたわけだ。

 11Rまでの採点を見ると井岡と李が1人づつでドローが1人と三者
三様の展開だっただけに、最終Rにダウンを奪っただけでなく結果
的にストップ勝ちした事で井岡の勝負強さが分かったし‘具志堅に
勝るとも劣らない王者になるのでは?’と期待されたものだ。

 実はこの試合は恩師であるエディ・タウンゼントが末期癌だった
にも拘わらず試合会場入りしたのだが、試合開始直前に意識不明の
危篤状態に陥り病院に引き返すというハプニングの中で行われた形
で心の動揺を抱えたまま防衛戦に臨んだ事になる。

 そしてエディ・タウンゼントは井岡の防衛を見届けた日の深夜に
息を引き取ったのだから、井岡にとってエディと共に戦った最後の
試合となった。

 その後の井岡はナパ・キャットワンチャイとの防衛戦で辛うじて
引き分け再戦で完敗すると減量苦からJフライに上げて17度防衛中
だった柳明佑に判定勝ちし2階級制覇を達成した以外は、消化不良
のような試合を続けてしまい‘早熟の天才’的な形でキャリアを終
える事になる。

 つまりエディさんと心でつながりストップ勝ちした李との初防衛
戦こそが、井岡の最も熱かった一戦ではないだろうかと思ってしま
うしエディさんがもう少し長生きしていればとも考えるのだ。

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