‘北の怪童’死す

北の湖理事長が死去=「怪童」「輪湖時代」、62歳―大相撲

 昨日の夜 元横綱・北の湖理事長が直腸がんによる多臓器不全で亡
くなったというニュースが流れていた。

 ちょうど昨日は貧血のため救急車で搬送されたという話は聞いて
いたものの、10日目に猫だましを使って勝った白鵬を批判するなど
健在だとばかり思っていたので容態が急激に悪化しての死去には驚
くばかり。

 たしかに最近は体調を崩しがちだとは聞いていたし協会挨拶など
公式行事でも見る機会はなかったのだが、あらためて最近の写真や
映像を見ると以前とは比べ物にならないぐらい痩せていて最近の
体調の悪さを実感した次第。

 北の湖といえば私的に相撲を一生懸命見始めた頃に横綱に昇進し
輪島や貴ノ花と好勝負を演じていたイメージが強い。

 輪島や貴ノ花が人気力士だったのに対し憎たらしいぐらいに強い
ので完全な敵役という立ち位置だったのだが、本人は むしろそれを
勲章と思っていたようで確かに敵役は強過ぎるぐらいでなければ務
まらないと実感したものだ。

 特に輪島戦は必ず左四つの取り口で始まるので輪島が得意な左下
手と北の湖が得意な右上手を取り輪島の右からの絞りをいかにこら
えるか、それが効くかで勝敗の分かれ目が出ていたし前半は輪島が
優勢だったが後半になると長期戦に持ち込んで北の湖が勝つという
展開が多かった。

 この2人が千秋楽の結びで相星決戦4度という実力拮抗のライバル
関係だったのだが、最近の相撲にそういう展開が無いのは寂しい
もの。

 しかも輪島だけでなく同い年の2代目若乃花や三重の海といった
4横綱時代でも中心だったし、大関陣にも先述した貴ノ花をはじめ
旭国や魁傑ら個性派力士が多く打倒北の湖に燃えて挑んだのを悉く
跳ね返す勢いがあったし彼らと名勝負を繰り返していたので記録
にも記憶にも残る横綱だったのは間違いない。

 理事長が本場所中に亡くなるというのは前代未聞だが中1から
上京して相撲を取っていた北の湖にとって、亡くなる前日まで
会場で業務にあたっていたというのは本望だったのかもしれない。

 

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