今から30年前の今日88年3月7日は管理理容師講習を終え免許を
貰った日である。
管理理容師免許とは理容師免許を持ったスタッフを使うのに必要
なのもので国家試験の合格から4年経って8日間の講習を受けて貰
えるのだが通常は当時なら業界入りして早くて7年目、通信教育を
受けてだと8年目にならないと貰えないのを私の場合は高2で通信
教育を受けていたので2年目の秋に国家試験に合格し6年目の最後
に管理理容師免許を取る事ができた。
通常の理容師免許と違い国家試験がない代わりに1月11日から
2月8日を除き、毎週月曜日に9:00から15:00過ぎまで缶詰状態で
受けなければいけないし監視員までいて遅刻や居眠りなどは厳禁と
いう講習だ。
とはいえ休日の前日は多分に洩れず遅くまで起きているので睡眠
不足の中で居眠りをせずに受講というのは辛いものがあり、元ジャ
イアンツの堀内恒夫が実践していたノートに好きな事を書き綴ると
いう手段で居眠りを回避し‘そこまで熱心にノートを取りながら受
講する生徒は珍しい’と修了式ではお褒めの言葉を戴いた。
もっとも‘どんな事を書いているのか見せてくれ’と言われたら、
かなりヤバかったのだが・・・・・
期間中ビルの1階にある食堂で食べる昼食が唯一の楽しみだった
のだが経済的な事情もあって必ずラーメンを食べていた一方で、こ
の店のTVは当時としては珍しかった衛星放送が見られたのでカル
ガリー五輪の普段見られない競技を見ていたのを思い出す。
とりあえず修得してから すぐには必要ないと思われた管理理容師
免許だったが、意外にも3月下旬から入店した蒲田の店が5月から
3軒目の支店を出すのが決まっていたものの管理理容師がいなかっ
た事から私が持っていたので師匠から大いに喜ばれ初代管理理容師
となったわけである。
もっとも支店の開店初日早々メスシリンダーを壊すという失敗を
やらかしたわけだが、その話は2ヵ月後に・・・