1人部屋は自由だったものの

 今から40年前の84年は業界に入って3年目に入っていたのだが、
年末の83年12月いっぱいで同部屋の先輩が店を辞めたため正月休
みから帰って来ると1人部屋という形になったのだ。

 私が入店した時に先輩方が3人いて師匠の自宅の2階の2部屋に2
人づつで生活していたのだが、前年5月初めに当時の店長が結婚&
退店し2年先に入った先輩の1人部屋となったのに続いて84年の年
頭から師匠の娘を含めた1人1部屋という少しばかりぜいたくな状
況になっていた。

 ちなみに新店長は2年先に入った先輩の実兄で店の2階に住み込
んでいたので、コチラも本来2人の部屋に1人状態だったのである。

 今だからこそ言えるが同部屋の先輩は度々朝帰りするケースが
あって、その時は我々がいた部屋の隣がベランダだったので師匠
の自宅の門柱からベランダによじ登り窓をコンコン叩いて帰って
来た事を知らせるのでベランダのカギを開けていた。

 だからか以前記したように前年10月のゴジラ復活オールナイト
を見に行く時にはベランダから門柱を伝わって降りる方法を教え
てくれたし、会場のテアトル西新に行く時は城南線に出てタクシ
ーを拾って行けばいいなどというアドバイスも貰う事ができた。

 先輩と同部屋だと営業&練習終了後に部屋に帰って来てから、
その日あった事などの雑談をしてワケの分からないお客さんに対
する相談にものって貰えるわけでステレオタイプでいわれる付き
人的な事などはする必要はなかった。

 また出身が直方だったので同じ筑豊出身という事から先輩も、
話しやすかったようだ。

 1月4日の夜に正月休みを終え師匠の自宅に戻ると、その先輩が
いなくなっていたので自由になった以上に妙に寂しかったわけで
ある。

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