宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「善行」とその「手段」

2004年11月15日 | Weblog
キリスト教団体から身に覚えの無い郵便物が届いた。アフリカに
食料や医薬品を無償で提供するための寄付金を求めている手紙で
あり、こうした手紙というのはこちらでは珍しくない。

その手紙が他の手紙と大きく異なるのはごみ箱に直行しないための
奇策として、5セント(約5円)コインが貼り付けられてある事だった。
寄付をしなければコインを剥して自分のものとも出来るし、寄付をする
場合はその台紙に貼り付けたまま更に自分の寄付金額を書いて送り返し、
寄付金の支払いを小切手の同封なりクレジットカードなりで行うのである。
コインを剥がすだけの人は実際ごく少数であろう。
「あなたの良心を問う」という訳だ。

わたくしは配偶者の妹から先に断っていた彼女の家族の靴を一方的に贈られた
ことがある。その靴はデザイン的に好まない、サイズの全く合わない、
使い古されたものだった。寄付金は使い古された靴よりもはるかに役立つ
ことは間違いない。わたくし自身は貧困にあえぐ人々の生活と社会の確立に
向けて援助を行う事自体は賛成だが、寄付金なり靴を渡すなりの社会的
「善行」であっても、わたくし自身がそのための手段や方法に全面的賛同が
出来ない場合も時にはある。


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