宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「地上の喜びをへ巡りて、受難の曲にまで至ること」

2004年11月11日 | Weblog
もう二年程前の事になるが、「ブランデンベルク協奏曲」を
聴いた日だったかもしれない。その晩の夢中に一人の若い、大きな
目が印象的な婦人が登場した。彼女はやがてJ.S.バッハと婚約する
に至った。

バッハの生涯を調べ、また「バッハの思い出」という本を取り寄せ目を通す
うちに確かにそれらしい女性の存在を見つけ、またその書の記述と夢で見た
情景に同じ点を見出した。
記憶は無いのだが、それより以前に彼の生涯に関する話しを何処かで聞いて
いたのかもしれない。

わたくし自身はこの夢を見た事自体を特に気に留めなかったのだが、これに
よって結果様々な勉強の機会を与えられた様に思った。

またその後もその書を何度も熟読したのだが、この書の中で特に印象に残る一文
があった。
全ての音楽と通奏低音に関しての「神を讃美し、魂を歓喜せしむるをもって一
に究極の目的となすべきものである。」というものである。
彼の書いた音楽には宗教音楽も多いが、作品の多くより高潔な印象を受けるのはその
理念のためもあるのだろう。

彼の音楽の中に身を置く時、時に共に奏でるかの様な内側からの共振を感じる。
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