![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1f/d0a970bff580aa7d17deea42ea9c419d.jpg)
|・) 九州の玄学界のアレクサンドリア木星王、どうもありがとうばい。
|・)ノhttp://gnosis317.web.fc2.com/shen.htm
+++++++++++++++++++++++++++++
不思議に思って、それから斯う云ふ事を聞いたさうであります。
「あなたの飲ませた薬は、どう云ふ薬でありましょうか。
あれを飲んでから心持がはっきりして、今までの疲れを忘れたやうである。」
と申しましたならば、
「山の草木の中にあるから気を付けて見よ。」と言って、教へて呉れませぬ。
それから「どうも分かりませぬ。」と言ふと、
再び教へて呉れた。「桂樹の下には草生ぜす、麻黄の茎には雪積もらず、其の他は皆之に準じて知るべし。
草木を心かけて山を廻らば、自然に薬を知ることが出来る。
必ずしも他の教を待たぬのである。
又雨のときに松樹の下に光を放つものがある。
之は茯苓だ。其れを析くと茯神がある。分てば精と神とになるが己が身中にも亦自から神もあれば、
精もある。」
と云ふことを言ひまして、それから段々道理を説いて聞かせました。
それを初めとして色々の傳を受けたと云ふことであります。
それが初めでありまして、それから帰って来ましても、折々山に通って居ました。
明治九年の夏の頃でありましたが、大坂の私の寓居を尋ねて来ました。
其の時に「アケビ」の実を二つ持って来ました。
尤も中間に中沢と云ふ者を紹介者として居りますが、実は山に這入らぬ前にあなたの講義を聞いて、
神の存在を確信して山に這入りました。
さうして終に茲に至りましたから、此の度御伺ひ致しますと言云ふことで、
其の後私共の所に屡々来ました中に、何も食べませぬ。
唯葛湯をたった一椀食べましたし、朝昼晩は葛湯を飲んで、其の間には空気を吸って居りました。
そこで三日泊めて見ました。
あのやうに言ふけれども、何か食ひはせぬかと思って、三日泊めて見ましたが、何も食べませぬ。
それで元気は少しも衰へませぬ。其の時が丁度五十位でございました。
或時腹を出して見せました。「私は食事をしませぬが此の通りでございます。」と言って見せましたが、
鞠のやうに脹れて居りました。
それに力を入れて打つと、ボンボンと太鼓を打つやうな音がしました。
それで自分が今の山中照道に教へをうけたものを筆記させました。
眞誥と申しました写しがあります。
河野至道の家内の兄の木村知義と云ふ者が至道から聞きました事や文通した物を集めまして、
三十五六通ありますが、それを写して呉れました。
此の傳を見ますと、そんな物を多く集めてあります。
それから明治十年に帰りました河野至道は、内務省に勤めて居りました。
十三円の月給であったが、毎月十円宛の貯金をしました。
何も食はぬで居りますから、少しも入費が要らぬのであります。
それから山岡さん初め段々入門されたと云ふやうな訳で、東京で七十人から弟子がありました。
私の知って居ります湯川と云ふ紀州の者でありますが、さう云ふ工夫でやって居ります。
それから
拓殖石見守と云って伊勢神宮の禰宜でありますが、穀を焼きましてやかましくなりましたが、
是も門人でありまして一向食事をとりませぬ。
それから岩倉さんから御話を伺ひましたが、穀を食はぬ者は黒色がないそうでありますが、
今の拓殖は穀を絶って生食を繋いで居りましたが、
子供が出来まして西洋人のやうに赤い髯が出来ましたが、
そんなやうなことで、是も早く死にました。
死にましたところが是は御話がございますが、是は不思議なものであります。
此の仙人の中に白日昇天と云ふ事があります。
天智天皇などは白日昇天でありますが、御靴を召して行き方の知れない事がありました。
其の外に伊勢の常昌と云ふ神主をして居りました者は、石段の十八段目から空中に上って仕舞います。
それが白日昇天であります。
それから唯家の中で隠れて仕舞った者は無数であります。
其の中の尸解と云ふものは、世の中の人には死んだやうにしまして、
其の後偶々其の人に逢ふことがあります。
此の尸解に就いては色々の御話がありますが、長くなりますから止めて置きますが、
今の河野は尸解したのであります。丁度暑中でありましたが、
七月の末から八月の初めまでに掛けて行をして居った。
それで百日間断食をして居りました。是までは水を飲みましたが、
其の時には水も飲みませぬでしたが、百日経たぬ中に死んで仕舞いました。
然る処墓を掘ってみると、着物だけ有って、躰が無いと云ふことでありました。
畏れながら日本武尊が逝去されたに就て、百官が集って御祭りをして居る中に、
白い鳩が御墓の所から飛んで出ました。
それから不思議に思って掘って見ると、何も無かったと云ふ事が歴史にあります。
今の河野も定めし尸解したのであらうと云ふことでありますが、
墓の中を掘って見る訳にいかぬで、見たいと思って居るが仕方がないのでありますが、
妙な事であります。