宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

心配は疲れる

2016年06月06日 | 日常の記録
やりたいことや欲しいもの、こうありたい自分などをリスト化する「夢ノート」というのを、以前、時々書いていた。
その中に「疲れないココロと体」と何回も書いていたことを思い出す。

今も疲れることはよくあるけれど(そういうときは潔く(?)ブログの更新はお休みするのである(^^;)、昔の疲れとは違う気がする。

北海道の、置き去りにされて行方不明になっていた男の子が6日ぶりに救助された事件で、「大人だったらあれこれ心配して消耗するだろうけれど、子供だから思考がシンプルだったのがよかった」という意味のコメントをしていた人がいて、そうかもと思った。

大人だと助かろうとして動き回ってかえって肉体的に疲れるという意味だったのかもしれないけれど、精神的にも、不安や心配は人を疲れさせる。
子供でも繊細な子だったら消耗していたと思うけど、当の男の子はたくましかったのだろう。

何が言いたいかというと、昔の私の疲れは、漠然とした不安や心配によるものが大きかったのではないか。
今も思うとおりにならないことは多いし、嫌なこともあるけれど、自分の根幹に関わる部分に影響するものではない。
そういうストレスは、気分転換して解消できるものなのよね。
昔はそうではなかった。

いつのまにかそういう時期を通り過ぎ、振り返ってみるとやっぱりそういう星回りだったのかなーなどと思ったりする。
西洋占星術的にいうと、冥王星が射手座から山羊座に移行して、気持ちのあり方が変わった気がするので。
などと、いにしえの『My Birthday』(鏡リュウジ氏も愛読していた占い雑誌)読者としては、説明のつかない心の動きは、天動説的な星の運行の影響と思うのであった。

何か本当に書きたかったことからずれていったような気がするが、とにかく、不毛な心配は心身が疲れて損なだけなので、やめとこう、ってことかな?