宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

言葉を漬け込む

2016年06月11日 | テレビ・ラジオ・映画など
金曜日に録画しておいたTBS系『ぴったんこカン・カン』を観る。
ゲストは『報道ステーション』降板後、初バラエティ出演の古館伊知郎氏。

母校立教大学放送研究会の学生たちを前に話していた中の

「僕はね、おしゃべりっていうのは、基本的に発酵物だと思っている」

という言葉にうんうんとうなずく。

外国語学習は「慣れ」=「熟れる」ことなのかなと思ったことがあったけど、話し言葉も書き言葉もインスタントじゃなくて、ずいぶん前から漬け込んで醸成されたものが、表に出てくるものなのね。

古館氏の94年『トーキング・ブルース』における「外郎売(ういろううり)」ならぬ「薬局のドリンク売り」をまるまる再現、その後、涙を見せる安住アナの姿が、この回のハイライトだった。

相手を立てつつ、自分の存在感も示し、かつ現場をまとめ、バラエティにおいては、常に軽佻浮薄な立場を崩さない。
アナウンサー畑の人ってすごいものだとあらためて尊敬する。

久々拝見した芳村真理さんが雰囲気まったく変わっていないことも驚きだった。

中野翠さんが書いていた文章そのままで、引用したかったのだけれど、見つからない。
たしか
「これは褒めて言うのだが、彼女ほどビジネスライクで口先だけの司会者というのもめずらしかったんじゃないの」
というの。
文章のニュアンスは間違ってないと思うけど細かい言い回しが分からない。
見つけたら出典書き添えよう。

御年80歳過ぎてこの浮薄さは将来の指針としたいと思いましたです。

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本日夜はNHK『トットてれび』を観て、恥ずかしながらぼろぼろ泣いちゃったよー
徹子さん、晩年の渥美清の病気のことにほんとにまったく気づかなかったのかしら。
無邪気すぎていろいろ気づかなかったことに、後から気づかされるときの気持ちっていうのかなぁ、そういうのに、泣いたのかも。
そして、原作本のタイトルは『トットひとり』だけど、「ひとり」の境地っていうのかなぁ、そういうのに…うーん、うまく書けないなぁー

(書けないなら書かなければいいようなものだけど、日記というか覚え書きとして)