宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

ここからかー

2016年06月09日 | 日常の記録
福島県郡山市に行ったときに、駅構内に「フルーツショップAOKI」という果物のお店がお土産売り場の一角を占めていて、さすがフルーツ王国と思った。
そこのジューススタンドで、ことし初めてのすいかジュースを堪能した。
翌日はいちごミルクを飲んだ。

そこでうっすらと思うところはあったのだけど、検索してすっきり。
北陸にもあるジューススタンド「果汁工房 果琳」って、ここの系列で、全国展開しているお店だったのね。
特別なことはないけれど、1日のごほうびってことで、久々、本日はメロンジュースを飲んだ。
スタンプがたまって50円引きだった。わーい。

本店は郡山市なのかーというのが、本日の発見ということで書いてみた。
フルーツショップの併設のためか本場のためか、旅情もあってか、郡山のはひときわおいしかったような。
(値段に比してカップは大きかったような)

郡山の大通りは、ライブハウスと中古レコード店と楽器店と貸スタジオが並んでいて、なんだかよく分からないけどさすがーと思った。

ライブハウスを過ぎた少し先にGo Go Round This World! というブックカフェがあって、とてもステキで居心地がよかった。早めに来てちょっと歩いてみてよかった。こんなお店が近くにあったらなー
フィッシュマンズのサイン入り同名レコードジャケットが飾ってあった。
なんだかいいな。フィッシュマンズも聴いてみたいな。

slapstick!

2016年06月08日 | 
ふと中野翠さんのコラムタイトルが思い浮かび、読み返してみた。
それは
■スラプスティックなころび方 
(『迷走熱』所収/85~87年のコラムをまとめたもの。私が持っているのは文春文庫)

一読爆笑、これですよこれ。ぜひ全文読んでいただきたいものですが。
中野さんが「近来まれに見るミゴトなころび方」をしたときの話で、その描写がおかしいのだけど、ここではそのあとの、話を一般論に広げているところを引用したいのです。

(引用始め)
「アクション・ギャグの原点はころびにある--。3、4年前だったろうか、フジテレビ『月曜ドラマランド』の東八郎を見て、そう思った。あんみつ姫(小泉今日子)の家老(じい)役の東八郎のころび方は、軽快で、愛敬があって、他の人たちと一味も二味も違っていた。さすが、浅草軽演劇の世界から出て来た人だけのことはあると思った。昔の萩本欽一もすごかったしね。体を使って笑わせるコメディアンにとって、ころび方の洗練度は、重要なポイントになりそうだ。」
(引用いったん終)

お若い方にはなんのことやらかもしれませんがー…私も高校時代、クレージー・キャッツのこととか全然分からなかったものなー。今はいくらでも映像が見られるから恵まれている。
と、話をもとに戻して

この文章のあと、さらに『ザナック-ハリウッド最後のタイクーン』(早川書房)という本からの引用がある。アメリカのスラプステック・コメディー(過激なアクション・ギャグで笑わせる喜劇)の育ての親マック・セネットの言葉。孫引きで書き写しますと
「(役者の才能を見きわめたかったら)ころぶところを見るのだ。もちろん、それで笑いをよぶはずだ。役者なら誰でも、ころんで観客を笑わせることはできる。だが立ちあがるとなるとーそこがテストだ。もし立ちあがりながら、もう一度笑いを引きだしたら、そいつは喜劇役者だ。わたしなら長期契約を結ぶ」

うんうん、最近の芸人さんで体の動きで笑わせる人ってあまり見ないような気がするけど、どうなんでしょう。(ダンスがキレてる人はいたが)

ところが、コメディアンではない分野で、この「スラプスティックなころび方」を体現している人がいた!

いやー、スカパラ初心者ながら急速にはまりだした今日このごろ、CDショップに2011年の「Discover Japan Tour」ライブDVDがあったので、買ったんですね。
後追いでみると、4-5年分みなさんきっちり若いのが不思議な感じ。逆にここからさらにすごい進化してるんだーとも思った。
それはそれとして、GAMOさんのハプニングがっ
前からうすうす思っていたんだけど、確信した。喜劇人としての得難い才能。
しかしその才能は、あくまでスパイスとしてチラ見せするにとどめるところが、また贅沢な格好よさなのですなぁー

(この項「本」のカテゴリーに入れたけど、なんだか違うような気がしてきた(^^;)

好きな文章 分類編

2016年06月07日 | 
コラムニスト中野翠さんの本の中で、好きな「文章」というよりも、世の中や人を見るときの「視点」に、なるほどと思ったもの。

ふと思い出して、どこにあったかなと探してみた。

『厭々日記』(毎日新聞社 『サンデー毎日』連載コラム、主に1998年掲載分をまとめたもの)所収
「女マスコミにも金融恐慌の余波が」の冒頭より

仲よしの編集者が以前力説していたこと(男は「いいか・悪いか」に興味を持つが、女は「好きか・嫌いか」のほうに興味を持つ。男性誌と女性誌をそれぞれそういう考えでつくってきた。でも男女共通して興味を持つこともあって、それは「得か・損か」ということ。男性誌でも女性誌でもこれがたいせつなポイントになる)
を受けて

(引用始)
なるほどねぇ、そうかもしれない、うん、確かにそうだ。
1.いいか・悪いか(善悪)
2.好きか・嫌いか(好悪)
3.得か・損か(損得)
これ、人間の行動の判断基準の三本柱になっているよね。もの凄く大ざっぱに言ってしまうなら、この1.2.3.の優先順位の違いが、その人の個性ということになるかもしれない。
私自身はたぶん2→1→3だと思う。私にとっては2と1はほとんど直結していたりする。3に関しては、あんまり頭が働かない。自分では頑張って計算しているつもりなのに、結果的にはたいていはずしている。
なぁんて私のことはどうでもいいか。とにかく、男女共通して興味を持つことは「損か・得か」ということだ。具体的に言うとオカネ、ね。
(引用終 1.2.3.は原文では丸囲み数字)

「3に関しては、あんまり頭が働かない」というのが、好きなところです^^

(私自身も同じなのだが、私の場合は「『損して得取れ』という諺もあるしな」と一周回って小狡い考えが働いているような気もする・・・

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この文章を探すついでに『この世には二種類の人間がいる』(文藝春秋)を久々にめくったのだけど、そのなかの
「それは 時間をムダにしない人とムダな時間に生きる人だ」
という項に目がとまった。

人生の残り時間を鑑みて、「計画的行動」「時間割」を意識し、『日経WOMAN』のデキる女性のダンドリ術を興味深く読んだりもするのだけれど、どうしても無計画なムダ時間を過ごさずにはいられない。プルースト的というか森茉莉的というか、時の流れに身を任せたボーッとした時間が私には必要なのだー
と、葛藤する(?)今日このごろの私なのであった。

心配は疲れる

2016年06月06日 | 日常の記録
やりたいことや欲しいもの、こうありたい自分などをリスト化する「夢ノート」というのを、以前、時々書いていた。
その中に「疲れないココロと体」と何回も書いていたことを思い出す。

今も疲れることはよくあるけれど(そういうときは潔く(?)ブログの更新はお休みするのである(^^;)、昔の疲れとは違う気がする。

北海道の、置き去りにされて行方不明になっていた男の子が6日ぶりに救助された事件で、「大人だったらあれこれ心配して消耗するだろうけれど、子供だから思考がシンプルだったのがよかった」という意味のコメントをしていた人がいて、そうかもと思った。

大人だと助かろうとして動き回ってかえって肉体的に疲れるという意味だったのかもしれないけれど、精神的にも、不安や心配は人を疲れさせる。
子供でも繊細な子だったら消耗していたと思うけど、当の男の子はたくましかったのだろう。

何が言いたいかというと、昔の私の疲れは、漠然とした不安や心配によるものが大きかったのではないか。
今も思うとおりにならないことは多いし、嫌なこともあるけれど、自分の根幹に関わる部分に影響するものではない。
そういうストレスは、気分転換して解消できるものなのよね。
昔はそうではなかった。

いつのまにかそういう時期を通り過ぎ、振り返ってみるとやっぱりそういう星回りだったのかなーなどと思ったりする。
西洋占星術的にいうと、冥王星が射手座から山羊座に移行して、気持ちのあり方が変わった気がするので。
などと、いにしえの『My Birthday』(鏡リュウジ氏も愛読していた占い雑誌)読者としては、説明のつかない心の動きは、天動説的な星の運行の影響と思うのであった。

何か本当に書きたかったことからずれていったような気がするが、とにかく、不毛な心配は心身が疲れて損なだけなので、やめとこう、ってことかな?



楽園を見た

2016年06月03日 | 音楽

ライブ映像はありがたい!
って同じことを何度も書いておりますが(^^;

GYAO!の動画は貼り付けできないみたいで残念。

無料動画GYAO!で東京スカパラダイスオーケストラがさかなクンとコラボしたライブ映像が配信されているのですが

http://yahoo.jp/ohHZf2

↑東京スカパラダイスオーケストラ 「Paradise Has No Border(Live Ver.)」

このセットこの配置、そして講釈師GAMOさんが大好きだったので、映像に残っていてまた観られるのがすごく嬉しい!
さかなクンは京都の追加公演でのゲストで、私は初めて観るんだけれども、くーっなんていうんでしょうか、まさしくParadise Has No Border、パラダイスってこれだわと、さかなクンの存在でありありと思った。

うまく書けないなー
や、私はさかなクンのファンですが、ほかのバンドとコラボしても、さかなクンがその良さを生かしつつカッコよくいられることを想像するのは難しい。
違った存在を受け入れる包容力の大きさっていうんでしょうかねー。
そこにパラダイス感を感じるのかな。

それにしても、谷中さんとかもそうだけど、MCに(アジテーションのときにも)時どき「です」「ます」が混じるところがまたいいなーと思う。品の良さがにじみ出ますなー。

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6月10日追記

わーい、You Tube にフルヴァージョンが。

東京スカパラダイスオーケストラ 「Paradise Has No Border」(Live Ver.)


正しいモブのあり方

2016年06月02日 | 日常の記録
正確にはオーディエンスのあり方というべきなのかもしれないけれど、聴く態度とかそういうことではなく、主にぱっと見た目の印象についてのことなので、これでいっか、と。

なんのことかといいますと、
先日、ふっと気づいて、昨年のさとがえるコンサート「矢野顕子+TIN PAN part2」のDVD(正確にはBlu-ray って今気づいたけどBlue じゃないのね!?)を再生してみる。
実際に自分が行ったものは、慌てて観なくていいかなとそのままにしていたのだけど。

カメラが観客席に向いたときに注目しますと、

あ、私映ってる。

私だと思って見ないと、まず分からないくらいなんだけれど、私だと思って見ると、紛れもなく私だ。
相当はっきり映り込んでいる。
あーこのセーター着ていったんだったと思い出したりして。
前の人の頭に隠れて全面でなかったことが幸いだった。

ほんの一瞬なんだけど、とにかく悪目立ちしていなかったことにほっとする。
そして楽しそうに、舞台と一体化していることが見てとれる。
(顔全体は映ってないけど目元が楽しそうだった。そして私以上に頭を揺らしている人はいなかった・・・が、それも悪目立ちしない程度だったので、よし)
鼻ほじったりしてなくてよかった・・・

いやーテレビやビデオのライブ映像では、観客の姿にもわりと注目するほうだったんだけど、自分がそちらの立場になる可能性もないわけじゃないわけだ。

ミュージシャンに興味をもってたまたま映像を見た人が、「げ、こんな人がファンにいるの」と退くような、マイナス要因にならないようにしたいものだ。
といっても、自意識過剰な人もまたなんだかなと思うし、自然体で嬉しそうなのが、見ていてこちらも楽しいですね。
あと、やっぱりそれなりにちゃんと身だしなみを整えていこうと思った。当たり前か・・・

いつの日よりも今ですよ

2016年06月01日 | 音楽
「いつの日よりも 今の君が」という歌詞がありますが、
(by『朝日のあたる道』)

これ、そのまま聴きながら思う。
いやーなんでORIGINAL LOVEを今までちゃんと聴いてなかったかなと、曲を聴くとともに、昔の映像、画像を見たりするんだけど、やっぱり過去のどのときも自分は好きにならなかったな、と結論づける。
当時の自分はそういう自分で、そのころの自分にとっては惹かれる要素がなかったんだな。

自分にとっていいものは、いちばんいいタイミングで訪れるものだーと思う。

新譜の『ゴールデンタイム』、You Tube で観たときから、いい!!と思っていたんだけど、やっぱりいいなー。初夏の季節感にもぴったり。

そして、カップリングの『こどものなみだ』というのが、タイトルだけみると「なんだこりゃ?」って感じだったんだけど、一聴、身に沁みた。
歌詞カードで歌詞を見直すということを久々にした。

大人の歌っていいな。
(男の子の歌も好きですが)