住宅政策」が社会保障として重要なことが分かる映画『東京難民』
三原 岳
https://diamond.jp/articles/-/182712
古今東西の映画を通じて、社会保障制度の根底にある考え方や、課題などを論じていく連載「映画を見
れば社会保障が丸わかり!」。第21回は、一見すると社会保障制度と無関係に映るかもしれませんが、暮
らしに非常に密接に関係している住宅政策を取り上げます。(ニッセイ基礎研究所准主任研究員 三原
岳)
住宅と聞くと、「社会保障なのか?」という印象を持たれるかもしれません。多くの社会保障政策が厚
生労働省の担当であるのに対し、住宅政策は国土交通省が所管していますし、国内外の福祉国家研究でも
住宅政策は対象外でした。
ただ、住まいが決まらなければ生活は不安定になるので、住宅政策は社会保障の1つと理解できます。
この点を考える素材として、2014年公開の『東京難民』を取り上げましょう。
住まいを失ったことで生活が不安定化に
主人公は、「多摩国際大学」という大学に通う21歳の大学生、時枝修(中村蒼)。親からの仕送りを受
けつつ、何となくダラダラと学生生活を送っていました。
ところがある日、授業に参加するため、教室前の学生証を読み取る機械に学生証をかざしたところ、読
み取りエラーが出てしまいます。そこで大学の事務局を訪ねると、そこで衝撃的な言葉を聞かされます。
学生証が無効になっていること、前期の学費が未納で大学を除籍になっているというのです。
慌てた修は北九州市の実家に住む父親に連絡しますが、誰も電話に出ません。修が大学に進学した3年
前、母親が死亡、その後に設計事務所を営む父親がフィリピン人の女性に金を貢ぐようになったため、実
家とは音信不通でした。
「ゼロ・ゼロ物件」で追い出されて“難民”に
久しぶりに実家に帰ってみると、いわゆる夜逃げの状態。学費だけでなく仕送りも止まったため、途方
に暮れていると、家のチャイムが鳴ります。ドアを開けると、家を管理する「東亜パレス不動産」の荒木
(吹越満)という男が立っていました。
荒木 「昨日がこちらのお部屋の利用料の支払期限だったんですけれども」
修 「家賃はおやじが…」
荒木 「お家賃ではなく『利用料』です。ご入金がありませんでしたので、ご通告どおり本日で契約解
除ということでよろしいでしょうか?はい、では直ちに退出していただきたいんですけれども、ご準備の
方はお済みでしょうか?」
修 「急にそんなことを言われても…」
荒木 「あの先日、その旨は内容証明郵便にて通知させていただいているはずですが」
修 「でも、一方的に出ていけなんて、借りている側の権利だってあるじゃないですか」
荒木 「あっ、あの、このお部屋の契約が賃貸借契約ではないことをご存じですよね?お客様がなさっ
た契約は、あの冷蔵庫などの設備がついたこのお部屋の鍵の利用権の契約なんです。ですから入居時は敷
金も礼金も不要でしたよね?残念ながらお客様には居住者としての権利はないんですよ」
これは2007~08年に話題になった「ゼロ・ゼロ物件」を描写しています。つまり、敷金や礼金をゼロと
する代わりに、賃貸料ではなく「鍵の利用権」などの名目で部屋を貸し、入金を怠った場合に退出を命じ
る手法です。これは借主の権利を保障する借地借家法の適用外なので、「借りている側の権利」という修
の申し立ては即座に否定されたのです。
こうしたやり取りの後、荒木は修に対し、2日間だけ待つこと、それまでに入金を確認できない場合は
強制的に退出するよう言い渡します。
そこで修は金策に努めますが、うまくいかず、なけなしの金のほとんどをスロットで失います。さら
に、帰宅すると自宅の鍵が無断で取り換えられていました。電話で苦情を申し立てても、荒木は超過分の
利用料と原状回復費用を入金せよ、それまでは荷物を担保として預かると冷たく言い放ちます。
ここから修の「難民」が始まります。ネットカフェに宿を求めつつ、ティッシュ配り、薬の治験のアル
バイト、ホストなど、さまざまな仕事を転々とするようになるのですが、少し過剰な演出も含めて詳細は
DVDでご覧いただくとして、こうした展開を見ると、生活を不安定にした原因が「住まい」だったこと
になります。
親の「解散宣言」でホームレスに
実話をベースに2008年に製作された『ホームレス中学生』を見ても、社会保障政策としての住まいの重
要性を認識します。
映画の主人公は田村裕(小池徹平)。中学校から帰宅すると、家の玄関先に家具や荷物が全て家から運
び出されている様子にビックリします。
しかも、玄関には「差し押さえ」と書かれた張り紙が張られているだけでなく、家の鍵も取り換えられ
ており、家の中に入れません。父親の借金で家が差し押さえられたのです。
相次いで帰宅した姉の幸子(池脇千鶴)、兄の研一(西野亮廣)も事態がのみ込めず、やがて個性的な
父の一朗(イッセー尾形)が帰って来るや、「厳しいとは思いますが、これからはおのおのが頑張って生
きてください。はい、解散!そしたら元気でな」と一言。
その瞬間、研一、幸子、裕の3人はホームレスとなり、裕は公園の滑り台で寝泊まりしたり、水を飲ん
で空腹を満たしたりして過ごします。
結局、裕の同級生の親の川井夫妻(宇崎竜童、田中裕子)、民生委員の西村スミ子(いしだあゆみ)の
善意と協力で家を借りることができ、曲がりなりにも3人は一緒に過ごせるようになるのですが、住まい
が不安定になれば、仕事や学業も安定しない以上、住宅政策が社会保障政策の1つであることに気づかさ
れます。
実際、近年では住宅政策を社会保障の視点でとらえ直す動きがあります。例えば、住宅政策の国際比較
を通じて、持ち家比率が高い国では福祉予算が少ない、言い換えると持ち家志向が強い国は住宅政策を社
会保障として見なしていない傾向が指摘されています(ジム・ケメニー『ハウジングと福祉国家』)。
北欧などの国では、住宅手当や公営住宅の整備などが展開されていますし、実は日本も戦前には「住宅
課」が厚生省(現在の厚生労働省)に置かれた時期があったので、むしろ戦後の日本が例外だったのかも
しれません。
「住宅すごろく」のゴールは戸建て住宅
では、戦後日本の住宅政策はどうだったのでしょうか。戦後、産業構造の変化や高度経済成長を受け
て、都市部への人口移動や核家族化などが進展、戦後は住宅を多く整備する「量」的確保を重視していま
した。そして、その方策として採用されたのが団地整備、持ち家の取得支援、会社による社宅整備です。
近年は国民の意識や企業の行動が変わってきていますが、民間企業や市場経済に多くを頼る住宅政策だっ
た点は指摘できます。
この結果、「学生時代のアパート→社宅→結婚後に少し広めの賃貸マンションに引っ越し→分譲マン
ションを購入→庭付き一戸建てを郊外に建設」といった形で住み替えることが一種の標準となりました。
2016年に改定された国の「住生活基本計画」では、こうした住み替えを「住宅すごろく」と形容していま
す。
以下、住宅すごろくを含めて、戦後の住宅政策について、いくつかの映画で見ていきましょう。まず、
団地整備に関しては、1955年に日本住宅公団(現在の都市再生機構)が設立されるなど、3大都市圏の近
郊に団地が次々と整備されました。
その様子については、1961年製作の映画『喜劇 駅前団地』に表れています。映画では、団地増設を見
越して病院を建設しようとする2人の医師(森繁久彌、淡島千景)、土地を売ろうとする農民(伴淳三
郎)、その妻(森光子)を中心としたドタバタが描かれているのですが、その間に建設中の「百合ヶ丘団
地」が随所に登場し、高度経済成長期の経済や社会の雰囲気を理解できます。
住宅すごろくの「あがり」に該当する持ち家取得支援については、住宅ローン減税、住宅金融公庫(現
在の住宅金融支援機構)による低利融資などの支援策が講じられ、戦後のインフレと相まって国民の間で
は「持ち家信仰」が形成されました。
寅さんシリーズでも持ち家に対する憧れの念
その場面は「寅さんシリーズ」の第26作、1980年製作の『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』にありま
す。
シリーズ全体の説明は余り要らないと思いますが、「フーテンの寅さん」こと車寅次郎(渥美清)を中
心に人情味と旅情あふれるストーリーが展開されるほか、「マドンナ」と呼ばれる女優に寅さんが失恋す
る話が登場します。
第26作では、寅さんが実家の団子屋「とらや」の敷居をまたぐと、妹の諏訪さくら(倍賞千恵子)から
マイホームを建てたことを知らされます。実際には、とらやを経営する叔父の竜造(下條正巳)から資金
援助を受けていたのですが、それでも寅さんは以下のように述べます。
「うち持ったのか、お前たち。(略)2階建て?ほおそら大したもんだ。いや俺もね、心配してたの、
いつまでこいつらがあの潜水艦みたいなアパートに住んでんのかなと思って」
同じような話は2001年に三谷幸喜監督が製作した『みんなのいえ』でも登場します。具体的には、家を
新築しようとするシナリオライターの飯島直介(田中直樹)と妻の民子(八木亜希子)に対し、父・長一
郎(田中邦衛)の大工仲間が「その歳で家建てるなんて、こりゃ大したもんだ」と声を掛ける場面です。
これは「住宅すごろく」を早くあがった夫妻に対する称賛の言葉と受け止められます。
こうした場面やセリフは、日本人の持ち家に対する憧れの念を反映しているのかもしれません。
会社による社宅整備については、1953年製作の『東京マダムと大阪夫人』という映画があります。ここ
では会社が整備した「あひるカ丘」の戸建て社宅に住む一家を主人公にしつつ、 伊東家の夫妻(三橋達
也、月岡夢路)を中心に、近所に住む会社の同僚たちとのドタバタを描いており、住宅政策における社宅
の地位を見て取れます。
しかし、こうした住宅政策には漏れが生じます。『東京難民』『ホームレス中学生』のように家を失
い、「ネットカフェ難民」「ホームレス」となった人たちだけでなく、持ち家を建てるだけの所得を持て
なかった人、あるいは会社を退職したり、所得が減ったりした高齢者です。言い換えると、年齢や所得、
仕事などの理由で「住宅すごろく」にうまく乗れなかった人です。
こうした人たちについては、安い賃料で家を提供する自治体による公営住宅の整備、あるいは生活保護
の住宅扶助という仕組みがありますが、「住宅すごろく」に乗れない人は必ずしも少数派とは言い切れな
くなっています。
例えば、戦後のようにインフレや経済成長を期待できる時代であれば、「寅さん」シリーズのさくら夫
妻のようにコツコツ働くことで、マイホームを持てる可能性がありましたが、今のような低成長時代では
難しい面があり、やはり社会保障として住宅政策を意識することが求められます。
さまざまな映画で描かれる高齢者をめぐる住まいの課題
実際、そうした政策は少しずつ強化されています。例えば、2017年10月に改正住宅セーフティネット法
が施行され、高齢者、低所得者、子育て世帯などの「住宅確保要配慮者」の入居を拒まない賃貸住宅の登
録制度の創設などを進めるとしています。
さらに、国土交通省は厚生労働省と共管する形で、「サービス付き高齢者向け住宅」という制度を2011
年にスタートさせました。これは介護・医療制度との連動を視野に入れつつ、高齢者を支援するサービス
を提供する賃貸住宅であり、既に約23万戸が登録されています。
ただ、過去にさまざまな制度改正を積み重ねた結果、高齢者の住まいに関する制度は複雑化していま
す。その一端を映画で取り上げると、息子と認知症の母をめぐる物語を描いた『ペコロスの母に会いに行
く』という2013年公開の映画では、「グループホーム」(認知症共同生活介護)と呼ばれる施設が登場し
ます。これは家庭に近い環境で、少人数の認知症の人を受け入れる介護保険のサービス類型になります。
さらに、要介護状態となった越前和紙職人を1人の主人公とした2016年公開の『つむぐもの』では、ブ
レークする前の吉岡里帆が新人介護職員として登場しています。そして、そのロケ地となったのは特別養
護老人ホームという類型の施設。要介護3以上の重度な人を受け入れる介護保険の施設です。
複雑に入り組んだ制度を簡素にする視点も
認知症になった母親との生活を描いたドキュメンタリー映画シリーズ『毎日がアルツハイマー』の最新
作では、娘の映画監督が股関節を手術した際、母親を「お泊まりデイサービス」に預ける話が出てきま
す。こちらも泊まり機能を持ったサービスであり、少し説明を要します。
介護保険制度では、在宅の人を対象に「通所介護(デイサービス)」と呼ばれるサービス類型がありま
す。しかし、デイサービスは通常、日中しか高齢者を預からないため、夜はスペースが空いています。そ
こで、このスペース(例えば、2階の空室)にベッドを入れて高齢者を一時的に受け入れるのが「お泊ま
りデイ」です。
お泊りデイは制度上、介護保険サービスにはならない分、価格や質にバラツキがあり、数年前には劣悪
な環境で高齢者を受け入れている事業者の実態も顕在化したのですが、制度に縛られていない分だけ使い
やすいということで、利用者には重宝されている側面もあります。
このほか、「特定施設」と呼ばれる有料老人ホーム、退院した高齢者を自宅に戻すまでの間にリハビリ
テーションなどを提供する老人保健施設、家族の用事などの時に在宅の高齢者を一時的に受け入れる短期
入所生活介護(ショートステイ)など、いろんな類型があります。
私のようなオタク(!?)は介護に関する映画を見ると、「どんなサービスが登場するか?」を細かく
チェックしていますが、多くの観衆は「施設」「泊まり機能」ぐらいに大まかに理解しているのかもしれ
ません。
言い換えると、マニアな楽しみができるほど制度が分かりにくくなっているのです。今後、高齢化が一
層進む中、高齢者を受け入れる住まいの量的な整備とともに、複雑に入り組んだ制度を簡素にする視点も
求められているのではないでしょうか。