本日発売の東洋経済の9月30日号で気になった記事に関して幾つか(他にもいろいろあるのですが、週刊誌ネタはあまり遠くない内にやらないとネタが古くなってしまいますし、ブックマークしている記事や買って何時でも読める本と違って処分してしまいますので、なるべく優先させたいと思っています)。経済誌は最近は毎週東洋経済・ダイヤモンド・エコノミストの3誌をチェックしていますが(今確認したら日本の週刊経済誌として他に日経ビジネスがありますが(そういえば!)、筆者の仕事場の近くの書店ではバックナンバーを含めて目立つように並んでいるのがその3誌だったので(本棚の形状としてワンスパンに3誌しか並びません)、その3誌をチェックしていました。3誌も4誌も一緒なので日経ビジネスもこれからはチェックするかもしれません)、本日気になったのは東洋経済のみです(さすがに全誌読むほど関心も時間もありません)。
経済学者のコラム「経済を見る眼」は筆者的には興味深いことが書いていることが多いですが、今週は柳川範之教授による「リカレント教育の本質」でした。安倍政権がやると言った最近ホットな話題ですね。
柳川教授によると、その本質は寿命が伸びているのに対して技術革新や環境変化のスピードが速く、このままでは取り残されると考える社会人が増えてきたことだろうと指摘しています。そしてその課題は、何をどう勉強すれば能力がより高まり、より活躍できるようになるのか、もっと即物的にいえば、どうすれば企業が中途採用をしたくなり、給料や待遇が改善されるようになるのかが、かなり不透明だという点にあるのだそうです。そして適切な教育プログラムを作ることがなかなか難しいのは、どのような知識や能力を身につけていれば企業側が中途採用してもよいと考えるのか、実は企業自身も十分に整理できていない場合が多いからであり、これは中途採用に限ったことではなく、どのような能力があれば昇進できるのかが明確でない企業が少なくないことを指摘し、本質的な課題ではないかと締めくくっています。
まぁ筆者のさほど豊富でもない経験によればですが、何かにつけて基準が明快でないことは有りがちな話であるように思いますね。人の倍仕事やっても要領が良くないみたいな扱いをされると何と何をやれば仕事をやったことになるのか明快にしてほしいと言いたくもなります。仕事の量をこなせば比較的要らない作業というのは分かってきますから、働き方改革みたいな政策に対して、量が大切だろうみたいなことを筆者は書きがちですが、あれやれこれやれでも残業はするなみたいな話をされると(多分日本企業あるあるだと思います)、上が何をすべきか明快にしたらどうかい?って気分になりますよね。どうせそういう主張をすると言い訳ガーとか、筆者も認める筆者の弱点の部分をつかれてやりこめられる展開が読めますから、一々そういう主張をしないようにしていますが、人がいないなか最低限やらないといけないことを確実にこなしている筆者に対してその部分を認めず他ならできると言う(担当を代えると示唆をしている)上司に対して、筆者は会社が提示する時間内に筆者が認める最低限の仕事ができる奴はこの世に存在しない、あるいはいるとしてもこんな時給で働くことは有り得ないから、やはり事実上存在しないと思っています。ただ単に辞めさせたいんでしょうが、筆者に対して説得性は全くありません。人の話を否定するの類の評価も筆者にとってはそれを言う側が筆者を認めていないというだけの話です。こちらにはこちらの考えがあって、説明すると言い訳しているとか反抗的だとかいう反応が見え見えですから、あまり言いたくもないのですが、言わないなら言わないで筆者に対する筆者的に事実でない低い評価が定着しますから、どうしたらええんじゃいですよね。まぁ真面目に考えるとやってられないところはありますね。真面目じゃないという指摘は、まぁその通りだと思いますが、真面目に豹変する訳にもイカンのでねって感じです。メンドークサイ奴で申し訳ありませんね。
さて脱線しましたが、柳川教授の話は非常に面白く思ったのですが、気になること(良く分からないこと)はリカレント教育を中途採用と結び付けている点です。リカレント教育(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)は「義務教育または基礎教育の修了後,生涯にわたって教育と他の諸活動(労働,余暇など)を交互に行なう教育システム」ということですから、必ずしも中途採用と関連しないのではないでしょうか?頓珍漢なことを言っていたら申し訳ありませんが、その企業で働くことを前提に生涯学習みたいなこともできるでしょう?
例えばプログラマーが(繁忙期はその余裕がないにしても)、仕事をしながら新しい技術を勉強することもできるはずです。独学より効率がいい前提で教育機関がある訳で、リカレント教育が言われるということは、その企業に残ること前提でもリカレント教育はされていないのかなって思いますが、どうでしょうか?大企業での教育投資はアメリカより日本はなされているらしいということには以前触れましたが(その実態は筆者には良く分かっていません)、だとすると(必要な教育はなされているとすると)、リカレント教育の問題はないということも考えられなくもありません。夜間制社会人大学などが欧米より流行っていないのでしょうか?(別の形で教育されているのでしょうか?)中小でアメリカより教育がなされないということの問題なのでしょうか?(これも同じ記事で以前触れています)
中途採用が低調(最近怪しいですが終身雇用制は一般的に言われますから事実でしょう)に関して考えてみますと、皆がお金を使わないからデフレになって皆が損をするという日本の罠と同じ問題があるいはあるのかもしれませんね。ただ、企業の立場にたって考えてみると、教育に投資したり教育にかける時間を確保したりしてあげても他所に行かれて敵を強くしてしまうなら、そんな行為は損なだけでただの馬鹿じゃないかってことになるのではないでしょうか?そういうことをクリアしないと中々実践的な政策にはならないと思います。欧米は個人の権利が強くて結果的に社会人教育があるのかなという気がしないでもないですが、個人の権利主張が弱い(ように思える)日本でそのままの政策が上手くいくとは限りません。いいから(何も考えず)欧米そのままの改革を断行しろっていう改革派では筆者はありません。そういうことも時には必要かもしれませんが、自分なりに咀嚼しつつ物事を(ある程度)理解した上で良い部分を残しながら今までの延長線上で漸進的な改革を行いたい保守派を筆者は自認しています(何も変えないが保守派のイメージだとしたら保守を勘違いしていると思います。ほんの少しでも保守を勉強しているならそんなことを言う人はいないはずです)。それは兎も角中途採用を論じるなら、企業にとってどういう中途採用の人材が必要かという問題設定にするのではなく、自分のところの貴重な人材を中途採用されるリスクを犯しても中途採用を活発にするメリットとは何なのか?を考えなければ、ブチあげた改革も尻すぼみになるのではないでしょうか?
筆者としては個人の権利が強くなって(有能な人材の)給与が上がることが結局は全体のメリットとなって企業に返ってくるということを指摘できると思います。日本のデフレ傾向・守りに入る傾向は否定できませんよね?守りと安定も大切ではあるんですが、どうにも(経済的には)やりすぎているという局面だと思いますね。馬鹿みたいに積みあがった預金(とりわけタンス預金)、企業の内部留保、景気を支えているのは政府の支出で山のように借金が積みあがっています(一方で政府は資産を貯えやはり守りに入っています)。実力に裏打ちされた(と本人が思っている)収入があれば、過度に守りに入らず収入の範囲内での支出があると考えられます。老後のことを考えるなら、現役の時に生涯年金を個人でかければいい。実力主義とも言われるアメリカではお金持ちは消費していると言われますよね。クビになったら雇用保険でつないで次の仕事を探し収入が減ったら収入にあわせて生活すればいい。ステップアップして収入が増えればもっと使ってもいい(消費じゃなく投資でもいい)。競争社会が嫌だという人はそれなりの収入でほどほどに生きてもいいと思いますが、もう護送船団方式の皆横並び社会は曲がり角を迎えているだろうと思います。日本も昔は身分制社会で皆横並びでは必ずしもなかったと思いますし、結果の平等を追い求める(実際には官僚支配の)社会主義・共産主義では世の中上手くいかないというのが筆者の信念です。
有能な人材が海外に流出したら(日本人は英語ができない人が多いと思いますが)、日本は損をしますよね。代わりに日本にも有能な人材が来るwin-winの関係だったらまだ分かりますが、どうも近隣に日本の技術を手に入れて日本のライバルとして戦いを挑んでくるメンドークサイ方々がいらっしゃるような気がします。メンドークサイだけならまだしも、日本に過剰に批判的(と思える)で力がある某大国に吞まれる事態を筆者は懸念しています。膨大なビンボー人口を抱える国が金満国家を支配して平均しようとしたら(そうしないと安心していらるほど筆者は人の善意を信じていません)どうなるか、真面目に考えると暗澹たる気持ちになるでしょう。ですから筆者は日米同盟を支持し外交安全保障を考えなければならないと思っていますが、日本の有能な人材とりわけ技術者を流出させて自分の分身と極力戦わないということを考えるなら、こちらで有能と考える人材は給与を上げて確保していくことが大切だということになるでしょう。これは必ずしも妄想ではなく、現実に日本の技術が反日国の土台になっているとも時折聞きます。華為技術新卒40万円のような話にもっと日本の経営者は危機感を持って本気を出すべきでしょう(華為の日本法人「新卒40万円」、理系離れを救うか 日経 2017/9/7 6:45)。日本の理系が救われたって、その技術を元に日本がやられたのでは笑えないですよ。
そのためには何が収益を生みその収益を生む仕事をしている有能な人材は誰で更に収益を生むにはどうしたら良いか経営者が責任をもって考え実行していくことです。そういう潮流の中で筆者はリカレント教育を考えると良いのではないかと考えた次第です。
経済学者のコラム「経済を見る眼」は筆者的には興味深いことが書いていることが多いですが、今週は柳川範之教授による「リカレント教育の本質」でした。安倍政権がやると言った最近ホットな話題ですね。
柳川教授によると、その本質は寿命が伸びているのに対して技術革新や環境変化のスピードが速く、このままでは取り残されると考える社会人が増えてきたことだろうと指摘しています。そしてその課題は、何をどう勉強すれば能力がより高まり、より活躍できるようになるのか、もっと即物的にいえば、どうすれば企業が中途採用をしたくなり、給料や待遇が改善されるようになるのかが、かなり不透明だという点にあるのだそうです。そして適切な教育プログラムを作ることがなかなか難しいのは、どのような知識や能力を身につけていれば企業側が中途採用してもよいと考えるのか、実は企業自身も十分に整理できていない場合が多いからであり、これは中途採用に限ったことではなく、どのような能力があれば昇進できるのかが明確でない企業が少なくないことを指摘し、本質的な課題ではないかと締めくくっています。
まぁ筆者のさほど豊富でもない経験によればですが、何かにつけて基準が明快でないことは有りがちな話であるように思いますね。人の倍仕事やっても要領が良くないみたいな扱いをされると何と何をやれば仕事をやったことになるのか明快にしてほしいと言いたくもなります。仕事の量をこなせば比較的要らない作業というのは分かってきますから、働き方改革みたいな政策に対して、量が大切だろうみたいなことを筆者は書きがちですが、あれやれこれやれでも残業はするなみたいな話をされると(多分日本企業あるあるだと思います)、上が何をすべきか明快にしたらどうかい?って気分になりますよね。どうせそういう主張をすると言い訳ガーとか、筆者も認める筆者の弱点の部分をつかれてやりこめられる展開が読めますから、一々そういう主張をしないようにしていますが、人がいないなか最低限やらないといけないことを確実にこなしている筆者に対してその部分を認めず他ならできると言う(担当を代えると示唆をしている)上司に対して、筆者は会社が提示する時間内に筆者が認める最低限の仕事ができる奴はこの世に存在しない、あるいはいるとしてもこんな時給で働くことは有り得ないから、やはり事実上存在しないと思っています。ただ単に辞めさせたいんでしょうが、筆者に対して説得性は全くありません。人の話を否定するの類の評価も筆者にとってはそれを言う側が筆者を認めていないというだけの話です。こちらにはこちらの考えがあって、説明すると言い訳しているとか反抗的だとかいう反応が見え見えですから、あまり言いたくもないのですが、言わないなら言わないで筆者に対する筆者的に事実でない低い評価が定着しますから、どうしたらええんじゃいですよね。まぁ真面目に考えるとやってられないところはありますね。真面目じゃないという指摘は、まぁその通りだと思いますが、真面目に豹変する訳にもイカンのでねって感じです。メンドークサイ奴で申し訳ありませんね。
さて脱線しましたが、柳川教授の話は非常に面白く思ったのですが、気になること(良く分からないこと)はリカレント教育を中途採用と結び付けている点です。リカレント教育(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)は「義務教育または基礎教育の修了後,生涯にわたって教育と他の諸活動(労働,余暇など)を交互に行なう教育システム」ということですから、必ずしも中途採用と関連しないのではないでしょうか?頓珍漢なことを言っていたら申し訳ありませんが、その企業で働くことを前提に生涯学習みたいなこともできるでしょう?
例えばプログラマーが(繁忙期はその余裕がないにしても)、仕事をしながら新しい技術を勉強することもできるはずです。独学より効率がいい前提で教育機関がある訳で、リカレント教育が言われるということは、その企業に残ること前提でもリカレント教育はされていないのかなって思いますが、どうでしょうか?大企業での教育投資はアメリカより日本はなされているらしいということには以前触れましたが(その実態は筆者には良く分かっていません)、だとすると(必要な教育はなされているとすると)、リカレント教育の問題はないということも考えられなくもありません。夜間制社会人大学などが欧米より流行っていないのでしょうか?(別の形で教育されているのでしょうか?)中小でアメリカより教育がなされないということの問題なのでしょうか?(これも同じ記事で以前触れています)
中途採用が低調(最近怪しいですが終身雇用制は一般的に言われますから事実でしょう)に関して考えてみますと、皆がお金を使わないからデフレになって皆が損をするという日本の罠と同じ問題があるいはあるのかもしれませんね。ただ、企業の立場にたって考えてみると、教育に投資したり教育にかける時間を確保したりしてあげても他所に行かれて敵を強くしてしまうなら、そんな行為は損なだけでただの馬鹿じゃないかってことになるのではないでしょうか?そういうことをクリアしないと中々実践的な政策にはならないと思います。欧米は個人の権利が強くて結果的に社会人教育があるのかなという気がしないでもないですが、個人の権利主張が弱い(ように思える)日本でそのままの政策が上手くいくとは限りません。いいから(何も考えず)欧米そのままの改革を断行しろっていう改革派では筆者はありません。そういうことも時には必要かもしれませんが、自分なりに咀嚼しつつ物事を(ある程度)理解した上で良い部分を残しながら今までの延長線上で漸進的な改革を行いたい保守派を筆者は自認しています(何も変えないが保守派のイメージだとしたら保守を勘違いしていると思います。ほんの少しでも保守を勉強しているならそんなことを言う人はいないはずです)。それは兎も角中途採用を論じるなら、企業にとってどういう中途採用の人材が必要かという問題設定にするのではなく、自分のところの貴重な人材を中途採用されるリスクを犯しても中途採用を活発にするメリットとは何なのか?を考えなければ、ブチあげた改革も尻すぼみになるのではないでしょうか?
筆者としては個人の権利が強くなって(有能な人材の)給与が上がることが結局は全体のメリットとなって企業に返ってくるということを指摘できると思います。日本のデフレ傾向・守りに入る傾向は否定できませんよね?守りと安定も大切ではあるんですが、どうにも(経済的には)やりすぎているという局面だと思いますね。馬鹿みたいに積みあがった預金(とりわけタンス預金)、企業の内部留保、景気を支えているのは政府の支出で山のように借金が積みあがっています(一方で政府は資産を貯えやはり守りに入っています)。実力に裏打ちされた(と本人が思っている)収入があれば、過度に守りに入らず収入の範囲内での支出があると考えられます。老後のことを考えるなら、現役の時に生涯年金を個人でかければいい。実力主義とも言われるアメリカではお金持ちは消費していると言われますよね。クビになったら雇用保険でつないで次の仕事を探し収入が減ったら収入にあわせて生活すればいい。ステップアップして収入が増えればもっと使ってもいい(消費じゃなく投資でもいい)。競争社会が嫌だという人はそれなりの収入でほどほどに生きてもいいと思いますが、もう護送船団方式の皆横並び社会は曲がり角を迎えているだろうと思います。日本も昔は身分制社会で皆横並びでは必ずしもなかったと思いますし、結果の平等を追い求める(実際には官僚支配の)社会主義・共産主義では世の中上手くいかないというのが筆者の信念です。
有能な人材が海外に流出したら(日本人は英語ができない人が多いと思いますが)、日本は損をしますよね。代わりに日本にも有能な人材が来るwin-winの関係だったらまだ分かりますが、どうも近隣に日本の技術を手に入れて日本のライバルとして戦いを挑んでくるメンドークサイ方々がいらっしゃるような気がします。メンドークサイだけならまだしも、日本に過剰に批判的(と思える)で力がある某大国に吞まれる事態を筆者は懸念しています。膨大なビンボー人口を抱える国が金満国家を支配して平均しようとしたら(そうしないと安心していらるほど筆者は人の善意を信じていません)どうなるか、真面目に考えると暗澹たる気持ちになるでしょう。ですから筆者は日米同盟を支持し外交安全保障を考えなければならないと思っていますが、日本の有能な人材とりわけ技術者を流出させて自分の分身と極力戦わないということを考えるなら、こちらで有能と考える人材は給与を上げて確保していくことが大切だということになるでしょう。これは必ずしも妄想ではなく、現実に日本の技術が反日国の土台になっているとも時折聞きます。華為技術新卒40万円のような話にもっと日本の経営者は危機感を持って本気を出すべきでしょう(華為の日本法人「新卒40万円」、理系離れを救うか 日経 2017/9/7 6:45)。日本の理系が救われたって、その技術を元に日本がやられたのでは笑えないですよ。
そのためには何が収益を生みその収益を生む仕事をしている有能な人材は誰で更に収益を生むにはどうしたら良いか経営者が責任をもって考え実行していくことです。そういう潮流の中で筆者はリカレント教育を考えると良いのではないかと考えた次第です。