結局のところ、「不偏不党」のメディアの政局的価値判断こそが日本の政治を悪くする最大の癌でしょうね。以前紹介した「選挙報道」を見て知ったのですが、早稲田大学政治経済学術院の山本武利教授によれば、そもそも「不偏不党」という言葉を最初に使ったのは、明治の藩閥指導者で、台頭する政党政治と責任内閣を排除することが目的だったという(前掲書137P)。またそれが営利主義の観点から広がり定着していったそうで。
先の記事の中吊り広告は極端としても、通常の不偏不党マスメディアの一方的な政局報道が政治に無用な介入をしているのは否めないでしょう。政治はとても大きな権力を持っているので、娯楽として消費されるべきものではないことは明らかです。
公平な政局報道とはどのようなものでしょうか。私は世間一般の認識とは真逆で政党支持のあるメディアの報道が現実的に可能な事実上の公平な報道だと思います。ブログ書きの経験からにはなりますが、支持政党があるとあまり無茶・低質な政局報道は出来なくなります。「不偏不党」といったところで、政局的価値判断を下す以上、中立では有り得ないことは明白であって、根本的に言い分が成り立っていないんです。検察や弁護士が中立と思う人はいないでしょうが、裁判官は両方の言い分を聞いたうえで、法・判例に則って、中立的判断を下しているのであって、報道では非常に中立が非常に困難であることは明らかです。
結局、一方的な不偏不党マスメディアの「評価」によって、都議選のように、政策論おいてけぼりで、イメージで決まってしまいそうな今度の衆院選ですが、日本でも早くメディアが支持政党を明らかにしてほしいと思っています。タイミングは当たり前ですが気付いたらば直ぐです。
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