一葉一楽

寺社百景

十輪院 ー 石仏との対話

2013-09-02 20:59:54 | 寺院

龕の中に納められた石造地蔵菩薩を本尊とする。弘安六年(1283年)完成の無住の「沙石集」によれば「福智院ノ地蔵モ、十輪院ノ地蔵モ、知足院ノ地蔵モ、マシテ市ノ地蔵ハ思ヒバシヨラセ給候ナ」と、南都の地蔵の霊仏として挙げられている(日本古典文学大系 渡辺綱也校柱「沙石集」 岩波書店 1966年5月)。十輪院は元飛鳥坊と称し元興寺子院の一つであったというが、「和州旧跡幽考」には「十輪院は弘法大師の開基と言う。さもあらめ。御堂などを石にてつくられけるが世の人のなすべき事とも見えず。その内に石仏の地蔵尊の三四尺ばかりなるを同じ石にぞつくりそえられたり」という。

                

                       南門

鎌倉時代は、東大寺再建に寄与した伊行末ら宋人の石工が奈良を中心に活躍した時期、この石仏龕もと思うのも一興である。嘗ての飛鳥坊の一隅に石仏龕が置かれたのであろう。地蔵信仰の興隆にともなって、その礼堂として現本堂が建てられ、十輪院というようになったのであろう。建てる時は寺ということを意識していたとは思えない、人の集まる場所、石仏を拝む場所、を用意することではなかったのか。板葺であったことがそれを物語っている。

                

                

             

同じく地蔵菩薩を本尊とする、また同時期に建てられたと見られる裳階がついた福智院と比べると、違いが際立つ。

                   

                       福智院

(注)2013年1月撮影

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