「諸国名所百景」に二代目歌川広重の安政六年(1859)制作「上総笠森寺岩作り観音」がある。誇張はあるが、砂岩の露頭に上に建つ観音堂が描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/47/b2/5f82e35a04c5284a0c5ffaf50339dc71_s.jpg)
本尊十一面観音像の背面に応永三十三年(1426)の記銘があり、観音堂の建立はこの頃の可能性があるが、現観音堂には、落書も含め多くの墨書が残っており、そこから永禄三年(1560)頃に再建着工し、天正三年(1579)から十八年(1590)に完成したと見られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/45/f6/1941b263fe658ba9e68e834933bd40cc_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6c/70/8f068f6c484aa4412c5dafeb302a9f0e_s.jpg)
丁度露頭の上に十一面観音が立っているかのように須弥壇を置く。神社であれば、露頭の下に拝殿を建て、見上げる形をとるのであろうが、天台密教寺院である、観音と同一空間で礼拝することを意図したのであろう。束柱で内・外陣を持ちあげ、四方懸造とする。
(注)2015年5月撮影
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本尊十一面観音像の背面に応永三十三年(1426)の記銘があり、観音堂の建立はこの頃の可能性があるが、現観音堂には、落書も含め多くの墨書が残っており、そこから永禄三年(1560)頃に再建着工し、天正三年(1579)から十八年(1590)に完成したと見られている。
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丁度露頭の上に十一面観音が立っているかのように須弥壇を置く。神社であれば、露頭の下に拝殿を建て、見上げる形をとるのであろうが、天台密教寺院である、観音と同一空間で礼拝することを意図したのであろう。束柱で内・外陣を持ちあげ、四方懸造とする。
(注)2015年5月撮影