入宋僧俊芿が嘉禄元年(1225)重閣講堂を建立し明年春落成(「泉涌寺不可棄法師伝」)。これが教・律・禅三学兼学の泉涌寺の始まりである。南宋仏教の移植である。伽藍もまた「東山泉涌律寺図」(古伽藍図)にみられるように、南宋の様式を模し、山門・法堂・仏堂・舎利殿を一直線に配し、廻廊でそれらを繋ぐ。しかし、応仁二年(1468)に全焼し今に残らない。
現在の仏殿は寛文八年(1668)建立、大工頭中井正知であった。「古伽藍図」に載る法堂に相当するのであろうか、典型的な禅宗様の建築である。舎利殿は、中井正知が関わった慶長期内裏の建物を移築したと伝わる。屋根を裳階付きに変え、軸部は蔀戸に桟唐戸・火灯窓を付加。和様に禅宗様を付け替えている。「古伽藍図」の舎利殿も火頭窓らしきものが描かれている。蔀戸に火灯窓を添えた理由か。
しかし山門・法堂そして廻廊は再建されることなく、「親しく大宋の儀を模するは唯この一寺のみ」と誇った伽藍の再興はならなかった。律を中心に、共同体としてのまとまりを重んじ、廻廊で囲まれた空間は、既に必要ではなくなっていたということであろう。
大門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/27/57990dbfcbf6ebe8e9fcb98f26c1b8af_s.jpg)
仏殿
舎利殿
経蔵
浴室
(注)2017年12月撮影
現在の仏殿は寛文八年(1668)建立、大工頭中井正知であった。「古伽藍図」に載る法堂に相当するのであろうか、典型的な禅宗様の建築である。舎利殿は、中井正知が関わった慶長期内裏の建物を移築したと伝わる。屋根を裳階付きに変え、軸部は蔀戸に桟唐戸・火灯窓を付加。和様に禅宗様を付け替えている。「古伽藍図」の舎利殿も火頭窓らしきものが描かれている。蔀戸に火灯窓を添えた理由か。
しかし山門・法堂そして廻廊は再建されることなく、「親しく大宋の儀を模するは唯この一寺のみ」と誇った伽藍の再興はならなかった。律を中心に、共同体としてのまとまりを重んじ、廻廊で囲まれた空間は、既に必要ではなくなっていたということであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/93/53b7461456103ceb5fd7ec44563a8673_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/41/0ca66c11b1424764cbc8370edfd4bb4b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/27/57990dbfcbf6ebe8e9fcb98f26c1b8af_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/22/81/bbb3da3fed936712479f91b33e776dbf_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/0a/e55509d0f7ebbaff5ca0355ec0d2775e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/9b/466dfc1f79358bb587da89c7053f2595_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4c/d9/d2b9d121f5deaed2fd14466b357a2d04_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/90/16a51079446df231b6225f41d94aa989_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/0f/58891f54af9e3a51014a739dd2312889_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/64/4fba944c78e2afe923e99fb3f437514b_s.jpg)
(注)2017年12月撮影