茅葺の覆屋の中に本殿に、奥行の長い拝殿、そして鍵手に神供所を配する平面の神社は、祭神に関係なく、この人吉地域には目に付く。老神神社の祭神は日向三代、即ち霧島神宮同体である。勧請年代は未詳である(球磨郡教育支会著「球磨郡誌」1941)。球磨川流域の、人吉より西側には阿蘇系の神社が多いが、東側には霧島系が見られ始める。
棟札によれば相良頼尚(頼寛)の産土神として、犬童頼兄が社殿を造営したとある。頼尚の母は日向高鍋の秋月種美の娘であることから、既存の霧島系の神社をもって産土神としたものと推察される。なお頼尚の正室は頼兄の娘である。
本殿は入母屋造、栩葺で寛永五年(1628)の造営である。本殿の左右の虹梁には鬼が座り、神々を守る。
拝殿・神供所もほぼ同時期の造営とみられているが、今は桟瓦葺であるが、嘗つては茅葺であったとのことである。覆屋の茅葺と相俟って、神々の座と人の座を茅で覆う。
拝殿
本殿
(注)2018年2月撮影
棟札によれば相良頼尚(頼寛)の産土神として、犬童頼兄が社殿を造営したとある。頼尚の母は日向高鍋の秋月種美の娘であることから、既存の霧島系の神社をもって産土神としたものと推察される。なお頼尚の正室は頼兄の娘である。
本殿は入母屋造、栩葺で寛永五年(1628)の造営である。本殿の左右の虹梁には鬼が座り、神々を守る。
拝殿・神供所もほぼ同時期の造営とみられているが、今は桟瓦葺であるが、嘗つては茅葺であったとのことである。覆屋の茅葺と相俟って、神々の座と人の座を茅で覆う。
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(注)2018年2月撮影