真宗大谷派長浜別院である。大通寺は石山合戦の頃(1570ー1580)長浜町の町年寄衆によって設けられた惣会所を前身とすると伝えられている。湖北門徒の集会所である。東本願寺の連枝寺として成立したのは、彦根藩井伊氏が現在地を寄進したことに始まる。伏見城の遺構を東本願寺に移築後、更に承応年間(1652-1654)大通寺に本堂・大広間として移築した。表門は廃城となった長浜城の大手門を表門として寺としての結構は成り立った。且つ東本願寺十三世宣如の三男宣澄を住職として置いた。血脈の伝持である。(「無礙智山大通寺栞」大谷派長浜別院 1920)
山門には釈迦三尊像が安置されたのは、現台所門から置き換わった天保十二年(1841)であり、それまでは、外陣を広くとった本堂の阿弥陀像のみと、阿弥陀一仏を奉ずる。大広間には書院造の格好を整えた正面があるだけの、宗教色の見えないまさに広間である。惣会所を引き継いだと云えようか。キリスト教といった一神教の教会堂との類似性を感じさせる。
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(注)2019年12月撮影
山門には釈迦三尊像が安置されたのは、現台所門から置き換わった天保十二年(1841)であり、それまでは、外陣を広くとった本堂の阿弥陀像のみと、阿弥陀一仏を奉ずる。大広間には書院造の格好を整えた正面があるだけの、宗教色の見えないまさに広間である。惣会所を引き継いだと云えようか。キリスト教といった一神教の教会堂との類似性を感じさせる。
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(注)2019年12月撮影