吉田経房の日記「吉記」承安四年二月十六日の条に、「先礼極楽院、此寺者、真如房上人建立也」とある。
この真如房上人は藤原実衡の後室とも天台の浄土教家円照とも云われている。江戸・明治の改修で創建時の姿を残すのは四天柱で囲まれた内陣のみであるという。内陣は舟底天井を含め、極彩色で彩られ浄土を表現していた。
桁行四間、梁間三間入母屋造、内陣は桁行方向に二間分の長さをとる。周丈六の阿弥陀如来像とその左右半歩前に脇侍を安置するための広さなのであろう。舟底天井、天上には、菩薩像や飛天を描き、仏後壁や四天柱にも描画する。また両脇侍は跪座し眼前の一人、二人に手を差し伸べようとする。この一人、二人のための浄土空間を演出しているのであろう。
(注)2021年9月撮影
この真如房上人は藤原実衡の後室とも天台の浄土教家円照とも云われている。江戸・明治の改修で創建時の姿を残すのは四天柱で囲まれた内陣のみであるという。内陣は舟底天井を含め、極彩色で彩られ浄土を表現していた。
桁行四間、梁間三間入母屋造、内陣は桁行方向に二間分の長さをとる。周丈六の阿弥陀如来像とその左右半歩前に脇侍を安置するための広さなのであろう。舟底天井、天上には、菩薩像や飛天を描き、仏後壁や四天柱にも描画する。また両脇侍は跪座し眼前の一人、二人に手を差し伸べようとする。この一人、二人のための浄土空間を演出しているのであろう。
(注)2021年9月撮影