昨日は箱根登山鉄道の新緑が見たくて、ロマンスカーで強羅を往復し、
帰ってきたらお花が届いていた。一つは息子だが、思いがけなくある
人からランが入った大きな花束が届いていて嬉しかった。大きな花瓶は
二つあったが、大分以前に割れた。お花を沢山お花を頂くが、アレンジ
メントが多いので、困ったことはなかった。 その一つは先日娘がくれた
花束を入れたので、大きな花瓶はない、とりあえず明日何とかしようと
ポリの屑籠を洗って、水を入れ花束をさしておいた。
朝食後にお花を入れ替えようとしたら、何と屑籠は空になっていた。
驚いたのは、お花を入れて水も沢山入れてあったからだ。
もしかしたら?とベランダのごみ箱を見たら、その大きな花束が捨
ててあった。お花が大好きな私はブチ切れた!
ベッドで寝ていた夫を「何でこんなきれいなお花を何故捨てたのよ」
と、私は思わず大声を出して「沢山お水が入れてあったのに、捨てる
つもりかどうかが分かるでしょ!」と怒鳴った。すると夫は布団から
顔を出し「ごめんなさい」と言った。考えたら夫は認知症満10年目だ。
多分そんな判断もできなかったのだろうし、ふつうであれば私に
怒鳴られてもっと激昂するはずだ、そう思うと怒りもせず素直に謝った
夫が、たまらなく可哀そうになった。認知症と診断されると、余命は5年
と言われるそうだが、認知症そのもので亡くなる訳ではない。
絶えず怒っているので、体の機能のすべてに悪影響が出るからだ。
それらを熟知しているので、私は只の一度も、夫を怒らせたことは
なかった。夫は布団を被って黙って寝ている。
どうしようもない自分の気持ちを納めるために、身支度をして家を出た。
経堂駅終点の3つ前のバス亭で降り、いつもバスから眺めている住宅街
の道や、公園のそばを歩きながら反省した。「怒りは自分で毒を生産して
いるのと同じ」だと。その歯止めが効かず怒りまくった自分、プロとして
失格だ、美しい新緑の並木、道端に咲く可愛い花に癒され、気持ちが
だんだんほぐされた。
書店では読みたかったノーベル文学賞受賞作カズオ・イシグロの
「クララとお日さま」をゲットできて嬉しかった。
家に帰ったら、いつもパジャマ姿でいる夫が、キチンと服に着替えて
いたが、彼なりに私の気持ちをきっと理解しての行動だろう。
これからは、より心して介護しなければと、改めて思った午前だった。