大久野島巡り後編は休暇村から島の西海岸を北上し、残りの島北側を見て回る。
島西側の外周路。南側の道同様に、整備された平坦な道が続き快適である。
そんな西海岸を進む長い道の途中には広場やテニスコートも設けられていた。
また休暇村の裏側から島中央の展望園地へ上っていける道もあり、その途中に
野ざらしタンク跡なる物もあるが今回は行きそびれてしまった。 →島内案内図←
テニスコートの裏には日本庭園跡があるが・・・どこがどう日本庭園だったんだ?
そしてここにも毒ガス貯蔵庫跡がある。だが、柵で仕切られているうえに
入口が土砂に埋もれてしまっているため内部の様子を窺う事すらできない。
説明板によると当時は、イペリット、ルイサイトなどの毒液を貯蔵するための
10tタンクが8つあり、この貯蔵庫だけで80tもの毒液が貯蔵されていたようだ。
そんな埋められた貯蔵庫跡の入口をよく見てみると、ここにもウサギが生息していた。
非常に危険だった毒ガスの貯蔵庫も今となっては、このウサギたちの住処と化している。
もう少し先にはトイレがあった。新しいトイレの手前にあるのが毒ガス工場時代トイレ跡。
壁や屋根は無くなっているが、ベンキは当時のものがそのまま残っていた。
独特の波模様は風化してできたものなのか、それとも最初からこうなのか?
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島西側の外周路。南側の道同様に、整備された平坦な道が続き快適である。
そんな西海岸を進む長い道の途中には広場やテニスコートも設けられていた。
また休暇村の裏側から島中央の展望園地へ上っていける道もあり、その途中に
野ざらしタンク跡なる物もあるが今回は行きそびれてしまった。 →島内案内図←
テニスコートの裏には日本庭園跡があるが・・・どこがどう日本庭園だったんだ?
そしてここにも毒ガス貯蔵庫跡がある。だが、柵で仕切られているうえに
入口が土砂に埋もれてしまっているため内部の様子を窺う事すらできない。
説明板によると当時は、イペリット、ルイサイトなどの毒液を貯蔵するための
10tタンクが8つあり、この貯蔵庫だけで80tもの毒液が貯蔵されていたようだ。
そんな埋められた貯蔵庫跡の入口をよく見てみると、ここにもウサギが生息していた。
非常に危険だった毒ガスの貯蔵庫も今となっては、このウサギたちの住処と化している。
もう少し先にはトイレがあった。新しいトイレの手前にあるのが毒ガス工場時代トイレ跡。
壁や屋根は無くなっているが、ベンキは当時のものがそのまま残っていた。
独特の波模様は風化してできたものなのか、それとも最初からこうなのか?
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