2年半前にたまたま出逢った画家であり元格闘家の村上忠さんにエベレストの麓に奉納する絵を描いてもらいました。
そもそもなぜエベレストの麓なのかをせっかくなので書くと、ネパールには2007年頃に初めて旅をしました。
その頃は柔道着をザックに入れて、現地の柔道場を探しては一緒に稽古をして仲良くなるような旅のスタイルで、たまたま訪れた道場がストリートチルドレンを柔道を通してサポートしていました。その姿勢に感銘を受けて、日本からは周囲の方々の力をお借りして柔道着や畳を送り、現地では志高い日本人の若者を施設に受け入れてもらい、相互に交流をしていました。
ネパールで精力的に活動する後輩も現われて、私の役割も終わり、2014年に最後のご褒美的な感じでエベレストトレッキング(エベレストのベースキャンプまでの往復約80km超)を敢行しました。
おこがましいですが、エベレストにも挑んでみたいと思っていた時期もあり、ネパール人柔道家の友人を通して、教え子の親で登頂した方がいるというので何度か相談しました。
自分の能力全てが遥かに及ばす、金銭的にもこれまた全然及ばずに難しいことが分かり諦めました。
それならせめてエベレストを自分の足で地面にたって一目見てみたいとベースキャンプを一人で目指しました。
通常は2週間ほどかけて行くのですが、私のなんとか確保できたスケジュールは約8日。
4日目に4250mのペリチェという場所で、高山病になり、頭痛と吐き気と震えが止まらずに、水を飲んでも吐いてしまう状況でした。
「ここが私の限界でした。悔しい。情けない。細胞くんたち無理をさせてごめんなさい」と手記にも書いて、下山しようと思って夜寝たのですが、翌朝に小鳥たちの声が「天気もいいし、行っちゃいなよ!」と言っているように聴こえ、覚悟を決めて魂をエネルギーにして、寿命が3年くらい縮んでいいからその分を今日1日に力をくれとお願いして目的地の5365mにあるベースキャンプにその日の内に辿り着き、自分の足で立って見ることができました。
そこでゴールド・マンに変身してお祈りをしました。
相談にのってくれた方は約20日前にエベレストで雪崩に遭い旅立っていました。
その後、歩いている“私”を上から見続けるような不思議な感覚で歩きました。
約3日間何も食べてない身体にも関わらずに動き続けることができ、翌日の夜になんとか2850mのモンジョ村に着きました。
暗くなった中で辿り着いた山小屋でロッジのオーナーが元柔道家だったという巡り合わせがあり、何の導きか分かりませんがエベレストの麓とも柔道を通して交流がスタートすることになりました。
(このあたりの話はエベレストトレッキング体験記に赤裸々に書いています。PDFでお渡ししますので欲しい方はDMいただければプレゼントします。)
こうして最初の畳を様々な方のお力添えで2850mのモンジョ村に送ることができました。
その後、インド洋から自転車と自分の足でエベレストを登頂したオーストリアの女性柔道家兼登山家(本当にすごい!!)がその道場を発見して感動し、精力的にサポートされ、現在では3つの柔道場がエベレストの麓にあります。
お会いして親交を深めた画家の村上忠さんに、いつかエベレストの麓に奉納する絵を描いてもらいたいと夢想していました。
来週から日本の青年柔道家が約3か月弱ほどエベレストの麓で柔道支援をしてくるというので、そのタイミングで持って行ってもらおうと数か月前に依頼して、これらのお話を聴いてくださり忠さんの感性で描いてもらいました。
(以前の投稿で若者応援をしてくださった方々ありがとうございます!)
何の縁か分かりませんが、
流れのままに繋がり、
紡がれていくことに、
ありがゴールド🙏