うちの子供達は3人ともキリスト教の聖心幼稚園にお世話になりました。
うちの家は仏教徒ですが、その幼稚園の先生の人柄や子供達の目線での保育、個性を大切にしてくれることなど、通わせて良かったと今でも思っています。
もうその幼稚園とも、卒園してから10年以上の年月が過ぎているのですが、お店で使った後の牛乳パックなど幼稚園での作品作りに使っていただいています。
たくさんの数の牛乳パックが出来るので、洗って乾かしているのですが、このパックが子供達の手によって椅子や小物入れ、時計などいろいろな物に変っていきます。
そんなこともあってか、幼稚園の子供達が「花の日」に素敵な絵とお花を届けてくれました。
「花の日」には子供達が家にあるお花を持ち寄り、幼稚園の祭壇にお捧げした後、お世話になった方々に子供達が描いた似顔絵とお花を届けます。
うちの子供達の頃からずっと続いている行事です。
うちに届けていただけるなんて、とても嬉しいことです。
純真な笑顔に癒されるひとときでした。
本当にありがとう。
1989年、ある地方の市民病院に外科医・当麻(堤真一)が赴任する。
大学病院に依存し、見栄と体裁ばかりにこだわる病院の中で、「目の前の患者を救いたい」という当麻の信念がまわりの人々も変えていく。
そんななか市長が倒れ、彼を救う唯一の方法は、日本ではまだ認められていない脳死肝移植だけだった・・・。
「孤高」とは「ただ一人世俗とかけ離れてけだかいさま。」とあります。
この映画、本当に感動的でした。
観終わった後もじーんと心に伝わるものが多くありました。
当麻医師の自分の名声や見栄などではなく、ただ純粋に患者と向き合う姿。
医師としての自分の信念を真摯に貫き、どんな時も決して手を抜かず全力投球で取り組む姿。
そのくせ、どこかお茶目で子供のような無邪気なところがまた可愛くて・・・。
そして、その当麻医師の人間性が回りの人を変えて行きます。
いろいろな場面で胸が熱くなるところがあります。
人は誰も生かされていて、どこかで繋がりながら生きていて・・・。
ある日突然、息子が交通事故で脳死になってしまう場面では、余貴美子さんが 演じる母の胸に迫る深く切ない想いに感情移入してしまい、胸が熱くなりました。
観終わった後の清々しい感じ、「良い映画だったなぁ・・・」と余韻に浸る感じ・・・。
本当に良い映画でした。
<wbr></wbr>6月2日から5日まで、県高等学校総合体育大会(総体)が開催されました。
次男は2日から川辺に試合へ・・・。
息子の高校はテニスも強くて、結果団体戦は準優勝。
個人戦も4チームが近畿大会、インターハイに進みます。
チームメイトは準優勝です。
次男はベスト32までは順調に勝ち進んだのですが、惜しくも近畿大会を賭けた試合で負けてしまいました。
とてもショックだったようですが、320近いチームの中を勝ち進んだのですから、私としては大満足です。
よく頑張ったと思います。(親馬鹿ですが・・・)
また次回に頑張ってくれたらいいなと思っています。
そして5日の決勝の後、クラブの打ち上げをうちのお店でしました。
キャプテンが決めてくれたようです。
みんな素敵なテニスの王子様です。
ホントに仲がよくて、礼儀正しくて、爽やかな男の子達。
(次男は真ん中でピースをしています。)
とってもみんなキラキラしていて、私も嬉しくなりました。
みんないっぱい食べると聞いていたので、とにかく多めに作ったのですが、満足してもらえたかな・・・。
「満腹です。」と言っていたから大丈夫かな・・・。
帰りはみんな「ご馳走様でした。ありがとうございました。」と一人一人きちんとお礼を言って帰って行きました。
本当に礼儀正しくて、クラブの中の雰囲気もとってもあったかで・・・。
そんな仲間に囲まれて息子もホントに幸せだな・・と嬉しくなりました。
うえすとこーすとの最寄駅はJR笠田駅です。
朝以外は無人になっている小さな駅ですが、この度、笠田駅に笠田駅舎観光案内施設「ステーション笠田の郷」がオープンしました。
かつらぎ町の観光案内所としてはもちろんですが、コミュニティーバスの待ち合い施設や憩いの場として作られました。
かつらぎ町は高野山の麓の町であり、世界遺産である「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」もあります。
フルーツが豊富でフルーツ狩りも盛り沢山です。
笠田駅から発車するコミニティーバスは一律150円で乗ることが出来るので、、たまゆらの里の出かける大阪の大学生の方達はいつも利用されています。
この施設がいろいろな意味で、たくさんの人達に利用されればいいなぁ・・・と思っています。
観光案内ということで、かつらぎ町のいろいろなお店や施設、おススメな所など紹介していただけたら嬉しいです。
うえすとこーすとのパンフレットも置いて頂けたら嬉しいのですが・・・。
施設の中は駅にちなんだ物を展示しています。
今は亡くなりましたが、国鉄に勤めていて、この笠田駅でも長い間勤務していました。
たくさんあるのですが、一部を記念に展示していただきました。
中の切符はこんな感じです。
中から抜粋してプレートに入れました。
これは昭和34年の記念準急行券
いっちゃんさんにとっては父の遺品、思い出深い物のようです。
いろいろ展示していますので、また見てください。
昔の笠田駅の写真も飾られています。