人気ブログ「くるねこ大和」さん。
いつも訪問させていただきながらも、ROM専門の私。
この日のブログには泣かされた(笑)
私は以前書いたように、この方やジュルのしっぽさんの
ブログを読み、疑似体験させてもらったお陰で
猫アレルギーの娘を持ちながらも、福太郎を飼うに至ったと
言っても良い。
それまでは近所で見かけた危機的状態の仔猫などに限り、
病院に連れて行き里親さん探しをする程度のスタンスだった私。
いくら野良猫や捨て猫に対する「人としての罪悪感」があっても
懐かない野良猫を避妊手術に連れて行くことまで考えなかったし
トラップを借りられるなどということも、知らなかった。
情報を得る場所としても、関わり方の手本としても
これらのブログが大変参考になっている。
でもこういう場所には、必ずと言っていいほど
批判的なコメントもある。
この日のブログのコメントにもあり、大荒れになったようだ。
野良や捨て猫を助ける側には、金銭的にも時間的にも大変な負担が
かかる。
それでも助けてしまうのは、そのまま放置して見て見ぬふりを
すれば、命が助からないと思う時。
そのままだと罪悪感に苛まれて心の痛みに耐えられないから。
なのに、助けた方にこのような批判を浴びせ、無責任にも
捨てた本人の方は何処吹く風だったりするのだから、理不尽にも
ほどがある。
確かに不定期にエサやりだけをし、後片付けもせず放置し
「助けてやった」と嘯く人もいる。
一旦餌やりを始めたなら、最後まで責任を持つ覚悟が要る。
先日ブログにも記した母猫の避妊手術の話。
公園猫の餌やりさんには不定期にチーズやちくわなどを投げて去る
人もいれば、ほぼ毎日たくさんの缶詰を発泡スチロールの皿に盛って
置いていくだけの人もいた。私や娘は、専らその後始末を担い、
足りない時や誰も来られない時の補充もしていた。
ある日娘が、そのたくさんの缶詰担当の人に母猫の次の妊娠を
心配していることを話したら、その人が「誰かが手術に連れて行って
くれるなら自分も費用を負担するけど」と言ったことがきっかけで
私がボランティアさんに協力してもらうよう約束をとりつけた。
ボランティアさんへの支払いは一切なく、それぞれ手術費を折半する
ことで話が決まっていた。
ところが母猫があまりにも痩せていたために、手術後ボランティアの
一人が様子を見てくれることになり、一ヶ月経った頃、情が移ったら
しく、この子を育てたいという申し出があり、私は喜んでそれを受けた。
ただ、費用を負担するもう一人の人が捕獲の日にもボランティアさん
とは会うこともせず、そのうちボランティアを装った猫捕りかもという
疑いさえ口にするので、間に入った私は困り果て、写真でも良いので
手術後の様子だけでも見せて欲しいとお願いしていた。
関わったボランティアさんは、引き取ったボランティアの方の家に
一週間以内に行って写真を撮ってくださると承知してくれ、
それが整い次第、こちらへの連絡をくれることになった。
それからさらに一ヶ月、何の音沙汰もなく、私の方も少し疑問に
思い始めていた。でも、今は仔猫がたくさん生まれる時期。
きっと忙しくしているんだろうと思い、福太郎を保護してしまった
私も、その世話や雑事に忙殺されていた。
少し時間が空いた8月末、まだ費用を払っていないこともあり
気になっていた私はボランティアさんに連絡をした。
これで4度目の催促になっていた。
「あまりにもご連絡がないので、引き取ってくださった方が
費用もご負担してくださったのでしょうか?」
いくら忙しいとは言え、ここまで言わなければボランティアさんは
また同じように約束を忘れるのだと思った私は、少し言い方を変えてみた。
あれ以来、まるで借金をしているようで気持ち悪さがずっと付きまとって
いたのだ。
それが功を奏したのかボランティアさんはその日のうちに費用の
受け取りと写真を持参すると約束し、約束どおり来た。
その時間既に餌やりに来ていたらしいもう一人の負担者の人の
家まで訪ねて行くと、「何の話?」と惚ける。説明しても
自分はそんなつもりじゃなかったとか、「お宅の娘さんが
勝手に決めた」とか言った挙句、「これっきりにしてくださいね!」
とはき捨てるように言い放ち、一万円札を渡そうとする。
私が娘に聞いたまま話し、「間違いないですよね?」と聞くと
相手はしぶしぶ認めたが、「でもそういうお気持ちでしたら
私が全部お支払いすることで結構ですから」と引きあげようと
すると、後ろから追いかけてきてムキになって手渡そうとしてくる。
「だったら、写真を確認してください」とボランティアさんの
待つ場所まで来てもらうことで私が詐欺でもしているかのような疑いを
晴らせると思った。
そこで彼女は餌代だって苦しいのにとか、こんなに協力者が少ないとは
思わなかったとかボランティアさんにさんざんみっともない愚痴をぶつけ
ボランティアさんから「餌やりさんは行政側から見たら飼い主とみなされ
避妊手術するのは義務ですから」と逆に説教されてしまった。
「だったら餌をやるのはやめればいいんでしょ?やめますよ」
と言い放ち帰っていき、ボランティアさんも「次があるので」と
早々に立ち去った。
私は開いた口も塞がらず、暫くそこに立ち尽くしてしまった。
無責任な考えの餌やりさんにも腹が立ったけれど、
ボランティアの人にも疑問が残った。
ボランティアさんがたとえ約束を何度も守らなかったとしても、
もし一度でもあちらから連絡をくれれば誠意は伝わってきたはず。
餌やりさんに払わない口実を作ってしまったことには一言も触れず
正論だけを言って、逆に可哀相な野良猫をまた作ってしまうかもしれない
ことを、彼女は感じているだろうか。
翌日も黒猫ちゃんとその息子は、理由も知らず、来るはずのない
大量の餌を持ってくる人を、いつものように公園のベンチの下で待っていた。
お母さん猫の避妊は、もしものことがあっても仔猫が生きていける月齢を
待って踏み切ったけれど、それでも私はこの子が野良として自立しても
ここに来る限りは最後まで「一人で」面倒を見る覚悟を、改めて決めねばなら
なかった。
性格の良い黒ちゃんにも、里親探しを頑張ろうと心に誓わねばと、
重い責任感で心がどんよりと曇る。
娘が言うには、このことがきっかけで人間には二つの人種があると
分かったらしい。
自己満足を愛と勘違いする人。人を思いやる心を持ち約束を守る人。
人を思いやれる人間はそんなに多いわけじゃないけど、
お手本となるボランティアさんが、ネットの世界には、いる。
ただ責任感だけでは続けられないことだからこそ、感じる。
先日もらった写真の中の、心なしかふっくらしてきた母猫の姿を
救いにして、しなやかで強靭な心を持たねばと自分に言い聞かせる。
いつも訪問させていただきながらも、ROM専門の私。
この日のブログには泣かされた(笑)
私は以前書いたように、この方やジュルのしっぽさんの
ブログを読み、疑似体験させてもらったお陰で
猫アレルギーの娘を持ちながらも、福太郎を飼うに至ったと
言っても良い。
それまでは近所で見かけた危機的状態の仔猫などに限り、
病院に連れて行き里親さん探しをする程度のスタンスだった私。
いくら野良猫や捨て猫に対する「人としての罪悪感」があっても
懐かない野良猫を避妊手術に連れて行くことまで考えなかったし
トラップを借りられるなどということも、知らなかった。
情報を得る場所としても、関わり方の手本としても
これらのブログが大変参考になっている。
でもこういう場所には、必ずと言っていいほど
批判的なコメントもある。
この日のブログのコメントにもあり、大荒れになったようだ。
野良や捨て猫を助ける側には、金銭的にも時間的にも大変な負担が
かかる。
それでも助けてしまうのは、そのまま放置して見て見ぬふりを
すれば、命が助からないと思う時。
そのままだと罪悪感に苛まれて心の痛みに耐えられないから。
なのに、助けた方にこのような批判を浴びせ、無責任にも
捨てた本人の方は何処吹く風だったりするのだから、理不尽にも
ほどがある。
確かに不定期にエサやりだけをし、後片付けもせず放置し
「助けてやった」と嘯く人もいる。
一旦餌やりを始めたなら、最後まで責任を持つ覚悟が要る。
先日ブログにも記した母猫の避妊手術の話。
公園猫の餌やりさんには不定期にチーズやちくわなどを投げて去る
人もいれば、ほぼ毎日たくさんの缶詰を発泡スチロールの皿に盛って
置いていくだけの人もいた。私や娘は、専らその後始末を担い、
足りない時や誰も来られない時の補充もしていた。
ある日娘が、そのたくさんの缶詰担当の人に母猫の次の妊娠を
心配していることを話したら、その人が「誰かが手術に連れて行って
くれるなら自分も費用を負担するけど」と言ったことがきっかけで
私がボランティアさんに協力してもらうよう約束をとりつけた。
ボランティアさんへの支払いは一切なく、それぞれ手術費を折半する
ことで話が決まっていた。
ところが母猫があまりにも痩せていたために、手術後ボランティアの
一人が様子を見てくれることになり、一ヶ月経った頃、情が移ったら
しく、この子を育てたいという申し出があり、私は喜んでそれを受けた。
ただ、費用を負担するもう一人の人が捕獲の日にもボランティアさん
とは会うこともせず、そのうちボランティアを装った猫捕りかもという
疑いさえ口にするので、間に入った私は困り果て、写真でも良いので
手術後の様子だけでも見せて欲しいとお願いしていた。
関わったボランティアさんは、引き取ったボランティアの方の家に
一週間以内に行って写真を撮ってくださると承知してくれ、
それが整い次第、こちらへの連絡をくれることになった。
それからさらに一ヶ月、何の音沙汰もなく、私の方も少し疑問に
思い始めていた。でも、今は仔猫がたくさん生まれる時期。
きっと忙しくしているんだろうと思い、福太郎を保護してしまった
私も、その世話や雑事に忙殺されていた。
少し時間が空いた8月末、まだ費用を払っていないこともあり
気になっていた私はボランティアさんに連絡をした。
これで4度目の催促になっていた。
「あまりにもご連絡がないので、引き取ってくださった方が
費用もご負担してくださったのでしょうか?」
いくら忙しいとは言え、ここまで言わなければボランティアさんは
また同じように約束を忘れるのだと思った私は、少し言い方を変えてみた。
あれ以来、まるで借金をしているようで気持ち悪さがずっと付きまとって
いたのだ。
それが功を奏したのかボランティアさんはその日のうちに費用の
受け取りと写真を持参すると約束し、約束どおり来た。
その時間既に餌やりに来ていたらしいもう一人の負担者の人の
家まで訪ねて行くと、「何の話?」と惚ける。説明しても
自分はそんなつもりじゃなかったとか、「お宅の娘さんが
勝手に決めた」とか言った挙句、「これっきりにしてくださいね!」
とはき捨てるように言い放ち、一万円札を渡そうとする。
私が娘に聞いたまま話し、「間違いないですよね?」と聞くと
相手はしぶしぶ認めたが、「でもそういうお気持ちでしたら
私が全部お支払いすることで結構ですから」と引きあげようと
すると、後ろから追いかけてきてムキになって手渡そうとしてくる。
「だったら、写真を確認してください」とボランティアさんの
待つ場所まで来てもらうことで私が詐欺でもしているかのような疑いを
晴らせると思った。
そこで彼女は餌代だって苦しいのにとか、こんなに協力者が少ないとは
思わなかったとかボランティアさんにさんざんみっともない愚痴をぶつけ
ボランティアさんから「餌やりさんは行政側から見たら飼い主とみなされ
避妊手術するのは義務ですから」と逆に説教されてしまった。
「だったら餌をやるのはやめればいいんでしょ?やめますよ」
と言い放ち帰っていき、ボランティアさんも「次があるので」と
早々に立ち去った。
私は開いた口も塞がらず、暫くそこに立ち尽くしてしまった。
無責任な考えの餌やりさんにも腹が立ったけれど、
ボランティアの人にも疑問が残った。
ボランティアさんがたとえ約束を何度も守らなかったとしても、
もし一度でもあちらから連絡をくれれば誠意は伝わってきたはず。
餌やりさんに払わない口実を作ってしまったことには一言も触れず
正論だけを言って、逆に可哀相な野良猫をまた作ってしまうかもしれない
ことを、彼女は感じているだろうか。
翌日も黒猫ちゃんとその息子は、理由も知らず、来るはずのない
大量の餌を持ってくる人を、いつものように公園のベンチの下で待っていた。
お母さん猫の避妊は、もしものことがあっても仔猫が生きていける月齢を
待って踏み切ったけれど、それでも私はこの子が野良として自立しても
ここに来る限りは最後まで「一人で」面倒を見る覚悟を、改めて決めねばなら
なかった。
性格の良い黒ちゃんにも、里親探しを頑張ろうと心に誓わねばと、
重い責任感で心がどんよりと曇る。
娘が言うには、このことがきっかけで人間には二つの人種があると
分かったらしい。
自己満足を愛と勘違いする人。人を思いやる心を持ち約束を守る人。
人を思いやれる人間はそんなに多いわけじゃないけど、
お手本となるボランティアさんが、ネットの世界には、いる。
ただ責任感だけでは続けられないことだからこそ、感じる。
先日もらった写真の中の、心なしかふっくらしてきた母猫の姿を
救いにして、しなやかで強靭な心を持たねばと自分に言い聞かせる。