森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

私の仕事遍歴(笑)

2014-09-05 | 思い・つれづれ
独身の頃勤めていた会社経理は、ある意味生真面目な私には向い
ていたかもしれないけれど、もうやりたくないと私自身は思っていた。
夫と別居後一番初めに就いた写真屋での仕事は、接客と写真作成する
ラボの機械操作が半々で、当時の機械はちょっとしたコツで写真の仕
上がりも変わることなどから技術を信頼してくれるお客さんも付くよ
うになり、閉店に至るまでの8年間、一度も飽きることなく勤めるこ
とができた。

その後、写真屋での経験から某ホテルの有名写真館に勤めること
になったとき、クオリティ以上の価格での営業力を求められ原価
を知っている私には「無理」だと早々に判断した。
早期判断で辞退した職は他にも幾つかあって、デパートの輸入雑
貨屋、婦人服のブティック、他社のミニラボの店舗等々・・。

ちょっと変わったところでは大手結婚紹介所。
数十万の入会金を払っても、結局は三高の人ばかりに紹介希望が
集中し、望む人とのマッチングはかなり難しく、パーティーには
無料入会した医者や経営者がサクラとして招かれる実態を知った。
一緒に入社した女性は一か月の研修期間にうつ病からくる無感覚
症状に陥り、私もそのからくりを隠す「営業トーク」を憶えたくなくて
結局二人して二か月目に辞職した。

ちょうどそのころ母の癌が発覚し、私はいつでも駆けつけられる
すぐ近くの場所に勤めることにした。一か月後にオープンするス
ーパーで初めてのチェッカー(レジ)の仕事だった。

それまでデスク仕事の方が多かった私は、写真屋でレジ打ちはし
たことがあったものの、バーコードを通す形の最新のレジは初め
て。それでも一か月もの研修を経て、チェッカーレディコンテスト
で準優勝し賞品のラ・フランスを一ケース貰うまでに(笑)

時にはお客さんに接客を褒めていただいたり、商品の花を買われ
た老紳士からそのまま「これは貴女に」とその花を戴いたり;
その紳士曰く当時の朝ドラに出ていた原日出子さんに私が似てい
るとかで、その後幾度かお花をプレゼントされ皆に冷やかされる
ことも度々(全然似てないんですけど・笑)

仕事はしんどかったけれど、40代半ばにして私には「嘘をつか
なくてよい接客」が合っていることを知った。母も同じ感想で喜
んでくれていたが、腕を痛めてそれも半年で辞めることになった。

その後母の死を挟んで、インポート物の雑貨屋や服飾雑貨販売
のいくつかの店に勤めた。
ある店ではオーナーがディスプレイを褒めてくれやりがいも感じ
られたけれど閉店になってしまったり、別の店ではオーナーがフ
ェアトレードを売りにしながらアジア工場で現地の人に物を投げ
たりすることを知り、尚且つ私が制作段階のデザインを担当した
にも拘らず出来上がったものは別の店舗で売り、「あれは商品に
ならなかったのよー」と嘘をつかれたり。

またある店ではディスプレイをオーナーが私に担当するように言
ったとたん、それまでディスプレイを担っていた先輩から執拗な
イジメに遭い果ては家にまで電話してくることも。オーナーから
その人を辞めさせると残ってくれるかと問われたけれど、私が辞
める選択をした。

彼女も離婚経験があるとかで、初め私に好意的に接してくれていた。
ある時、「あなた相談相手いる?」と問われ「はい友達が」と答え
ると「そうじゃなくて、ホラ経済的に頼れるヒト・・」
それでやっとパトロン男性のことを指して訊かれたことに気付いた
鈍い私(笑)

結局彼女はその後店に居られなくなり、パトロンから援助を受けて
あろうことか店のすぐ近くに同じ類の自分の店を構えた。
オーナーは店を閉じることを余儀なくされ、彼女の店は今も営業中@@;
そののち私は人が怖くなり、長いブランクに陥ることとなり今に至る。

母子家庭や離婚者に限らず、人には色々な隠し事や遍歴がある。
先日何か思うところあったらしい娘から、「お母さんは(男性関係や
金銭的トラブルなど)一切ないねぇ・・」としみじみ言われた。
確かに金銭的な面は良いとしても、ちょっと淋しいくらい何もない。
それはそれで大変だったんだけどね(笑)

でも「子供とマイケル」それだけで充分だったのは確かかも☆

 

最近、照れるとこんな顔をするふうちゃん。
目を閉じたら「そこに居ないことになった」気がするらしい(笑)
それにしても、生んだ娘より息子の小さな頃に激似でびっくり!!

 


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