森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

我が家の床下には「死体」がある・・

2019-09-19 | 動物
今年の春のこと。近くの山の麓の公園に、散歩がてら姉と桜を観に行った。
私が小学生の頃には春には必ずそこに遠足に来ていたけれど、今は手入れも
行き届かずかなり廃れていて、そのせいで人もほとんど見かけなくなった。

車の通る高架橋から雑木林化した桜を見下ろす場所で、降り積もった桜の花
びらの中心に、何か薄茶色の丸い物体が見えた。  
橋の上から身を乗り出し10メートルほど下にあるその場所を目を凝らして
観ると、それは紛れもない「猫の死体」だった。

最初はあまりにも綺麗にまぁるくなっていたので、眠っているのかと思った
けど、やはりよく観ると死んでいるのが判った。身体の上に幾重にも重なった
桜の花びらに包まれて、不謹慎かもしれないけどまるで絵画のような、本当に
「美しい死体」だった。私は姉に気付かれないように目を閉じ「寒かったね・・」
と呟いてその場を後にした。

その話はあれ以来誰にもしなかった。何でだろう・・できなかった。
誰かに飼われていた迷いネコだったかもしれないけれど、そのまま誰にも気
づかれず、土になるのも良いかもしれないと思った。願わくば、私自身もそ
うありたいと、心の何処かで思っているのだ・・。

「猫の死体」と言えば、もう一つ、なぜか人に言わなかったことがある。
以前、我が家の床下に小太郎が逃げ込んだ時のことを書いたけれど、あの床
下に繋がった押し入れの50センチ四方の穴から、懐中電灯で鳴き声を頼りに
小太郎を探した時のこと。

湿った土(あるいはコンクリート?)の表面に、黒いフワフワした物体が見え
た。咄嗟に「死体だ」と思った。小太郎はその穴の高さからはジャンプできず
私は家の中から小太郎を救出するのを諦め、蓋を閉めて外へ出て、小太郎が侵
入したと思われる破れた通気口の網の近くに小太郎をおびき寄せて、何とか捕
獲した。

でも、あの時は一昼夜かけて救出した小太郎のことで必死だったので、そのま
まその死体のことは忘れていた(というより、考えないようにしていた・・)
新しい死体だったならともかく、それはもう「死体」というより、もはや長い
年月が過ぎ身体が朽ちて無くなった「黒っぽい毛の塊」だったから・・。

だけど、落ち着いてみると、私は奇妙な感覚に襲われた。普通なら気持ち悪いと
感じるかもしれないその死体に、安心感のようなものを覚えたのだ。
私の中に、思い当たるふしがあったからだろうか。その死体はもしかして、あん
なに探しても見つからないままだった「ボク」だったのかもしれないし、「シ
ッポちゃん」だったかもしれないのだ。

小太郎がこの場所で私たちの声や福太郎の声に反応したのだから、彼らのどちら
かも、体が弱った時に安心できるこの場所で体を横たえながら、私たちの声を聴
いていたかもしれない・・・。猫とはそういうものだと本で読んだことがある。

「ボク」はキジ猫だったけど、黒っぽい毛だったし「シッポちゃん」は間違いな
くほぼ黒かった。
そう思うと、この場所で息を引き取っただろうその誰かが、愛おしくてたまらな
い。そして、このまま私の寝る寝室の真下で眠っていてもいいと思えるのだ・・。

彼らが安らかに一緒に居るような気がするから、きっと私は誰にも言わずにいたの
だろうと思う。





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