今日で10年となる「あの日」3月11日の動画を、朝からネットで観ていた。
観ると必ず、体が震えるほどの衝撃を受ける。恐らく日本中の多くの人も
同じように「記憶の奥に沈めてはだめだ」と感じて、同様の動画や映像を
折に触れて見返すのだと思う。
同じ日の別の動画を次々にリレー再生しても、その膨大な映像の数々を全
て見終えることはないような気がする。津波に次々に飲み込まれていくビ
ルや家々、船や車や巨大なクレーン、時には飛行機までも。
映画以外であのような光景は観たことが無かった。後で観た映像でも、地
元の人達が同じことを言っていた。あの濁った水が、あんなにもたくさん
の人や動物の命を飲み込み奪い去っていき、人々の日常までも奪ってしま
った。その哀しみは、まだ今も癒えずにいる。
地震直後、「津波が来るぞ!逃げなさい!」と気丈にも従業員を非難させた
男性が、従業員らとその恐ろしい光景を眺めながら「止めてくれ!止まって
くれ!」と、悲鳴にも似た叫びをあげる動画に涙が止まらなかった。
地震直後、友人と被害の大きさをテレビで観ながら電話で話していた最中
突然、中継中のカメラがリアルタイムでその光景を映し出し、会話は途切
れ「何??」と受話器のあちらとこちらで息をのんで、ただ茫然とした。
あの日「自然の脅威」に人は「成す術がない」ということを、思い知った。
だけど、本当の脅威は「自然」だけではなかったことを、私たちはすぐに
あの原発事故により知ることとなる。
原発周辺の沿岸では、津波は沿岸の北と南両方からおし寄せたという。
それにより被害は想定より大きくなったというが、決して事故があっては
ならないものに、「想定内」の防御設備しかなかったことは「人災」以外
の何物でもないと思う。
それらを背負うべきは原発を推し進めた「国」と「東電」であるはずだが
果たすべき責任をそれらが担ったかと言えば、決してそうと思えず。
そもそも、汚染された土地や健康を害した方々が元通りにならない限り、
果たされるはずもなく。
つまり「原発」は、「安全」が保障されない限り建ててはならなかったの
だと、チェルノブイリ以来「確信」している。(以前の日記にアリ)
前回の「逆転人生」で、「あの日“加害者”になった私 東電社員たちの10年」
というタイトルのドキュメンタリーを観た。
東電社員だった三人の男性の、あの事故後の生き様を知り、感銘を受けた。
国と会社の責任はあるとは言え、彼らが個人的に責任を取るべき問題では
ないと、普通なら思うが、彼らはそうは思わなかったのだ。
彼らは福島の人の心に寄り添い続け、除染作業をし、畑で作物を作りながら
放射性物質の測定をして安全な作物を作るために奔走してきたり、地元の人
々のきわめて個人的な(電球の取り換えなどのレベルの)要望に応え続け、
日々、「償う」努力をしてきた。またある人は早期退職を選び、福島でNPO
を立ち上げ、そこに居を構えた。それぞれに今も「事故」と向き合い続けて
いる。
国会議員やしかるべき役職にあって自らが種をまいた汚職や失態にも拘わら
ず、醜い言い逃れや「入院」などといった形で「風化」するのを待つだけの
情けない人間も多い中、このような人がいることは暗闇の中の「一條の光」
のように感じた。