ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リア王の悲劇」

2024-10-18 23:09:38 | 芝居
10月3日 KAAT 神奈川芸術劇場で、シェイクスピア作「リア王の悲劇」を見た(翻訳:河合祥一郎、演出:藤田俊太郎)。





フォーリオ版での本邦初の公演。その楽日を見た。

冒頭、赤ん坊の泣き声がする。女が赤ん坊を抱いて登場。リア王と家来たちが来て彼女を見ると、女は子供を抱いたまま去る。
家来の一人がリア王に王笏と王冠をぶっきらぼうに渡す。
これは何?こんなシーンないでしょ?違和感が募る。早くも嫌な予感が・・。

音楽(宮川彬良)はカッコイイ。
1幕1場(グロスター伯爵がケント伯爵に庶子エドマンドを紹介する場面)は無い。
舞台の背後に古代ブリテン王国の地図。
「地図を持て」と王が命じるのに誰も持って来ない。
バーガンディ公爵とフランス王は最初からそこにいる。実に変だ。
この二人がすべてを目撃していたのなら、コーディーリアの身に何が起こったかもわかっていたはずだ。
ケント伯爵(石母田史朗)が王(木場勝己)に進言すると、王は「わしに向かってため口か」と言う。
ゴネリル役の水夏希とリーガン役の森尾舞がうまい。

エドマンド(昌平)はジャングルジムみたいなものの上にいる。
手紙は羊皮紙みたいなの。
グロスター伯爵を伊原剛志が演じる。
エドガーを土井ケイトがやるというので、彼女が男の役をやるのかと思ったら、そうではなくて、エドガーを何と女にしてしまっている!
青いワンピース風の服にアクセサリー。長い髪。
これには驚いた。
だが、それでいいのか。
当時、遺産は嫡男がすべてを相続することになっており、娘は相続できない。
では息子がおらず、娘しかいない場合、どうしたか。
娘は未婚のままでは財産を相続できないが、誰かと結婚すれば相続できた。
だからコーディーリアの婿選びが財産分与と同時に行われるのだ。
エドガーが嫡男でなく長女だったら、エドマンドが嫉妬することもないはずだ。
彼は自分が私生児で庶子だから、父グロスター伯爵の財産をもらえないことを恨んでいるのだから。
エドガーが姉だったら、エドマンドは長男として、父の財産を全額もらえるわけだから、陰謀を企む必要もないでしょう。
エドガーを女にするという奇天烈なアイディアがどうして出て来るのか、まったく理解に苦しむ。
責任者出てこい、と言いたい。
エドマンドが何度か「姉上」と言うので、「兄上」のはずなのに、この人滑舌が悪いのか、と思っていた(笑)。

リアが道化(原田真絢)を待っていて、道化が登場すると、音楽に合わせて家来たちもみな歌って踊る。
道化が王に向かって皮肉を言うと、みんな一緒になって笑う。
でもここは王が道化と二人っきりの方がいい、と思う。

嵐。最前列の席だったので、半ば狂ったリアと、狂人に化けたエドガーとのひそひそ話が聞こえた。
「キンチョール」とか「「フマキラー」とか(笑)。
王をドーバーにお連れするところで休憩。

<2幕>
狂ったリアは、エドガーが途中で変装のためにかぶった白い帽子を「この帽子いいねえ。阿呆の帽子より・・」と言いかけ、
阿呆(道化)のことを思い出し、「阿呆、阿呆・・」と呼ぶ。

ゴネリルは陰謀がばれると短剣を出して夫を殺そうとする!
ゴネリルとリーガンは、最後に舞台に出て来て、ドッと倒れて死ぬ。分かり易い。
ラスト、王はコーディーリアを車椅子に乗せて登場。

~~~~~~~ ~~~~~~~

リア王役の木場勝己が素晴らしい。
彼は、今までよく井上ひさしの戯曲で説教臭いことを言う役柄だったので、そのイメージが強くて特に期待していなかったが、
今回、彼のリア王が見られて本当によかった。
コーディーリアと道化を演じる原田真絢も好演。
この二つの役を同じ役者が演じるのは、外国では時々あるようだが、実際にナマで見たのは初めて。

翻訳はよくない。
エドマンドは最後近くでゴネリルとリーガンの死体が運び込まれると、
 だが、エドマンドは愛されていた。
 姉が妹を毒殺したのは俺のため。
 そのあとで自殺した。(松岡和子訳)
と言う。
原文は Yet Edmand was beloved . ・・・
この日、ここの「愛されていた」を「モテたんですよ」にしていた。
それはないでしょう。
現代風にしたつもりだろうが、あまりに軽い。
このセリフには、彼の鬱屈した思い、愛されることへの意外な渇望が見えて(悪人ではあるが)胸打たれるのだ。
その辺のことがまるでわかってない。ぶち壊しだ。
「王に向かってため口か」も嫌だ。ケント伯爵は命懸けで王の行為を止めようとしているのに、
ここも軽過ぎる。

結局このフォーリオ版が上演されなくなったのは、やはり感動が薄いからだと言えるのではないだろうか。
1幕1場もやっぱりあった方がいい。


   






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「広い世界のほとりに」

2024-10-11 22:47:44 | 芝居
10月2日あうるすぽっとで、サイモン・スティーヴンス作「広い世界のほとりに」を見た(劇団昴公演、演出:真鍋卓嗣)。



英国マンチェスター郊外のストックポートで暮らすホームズ家の物語。
家の修理工ピーターと妻アリス、彼らの二人の息子、そしてピーターの父と母。
ピーターの長男アレックスに恋人ができ、そのことに15歳の弟の胸はざわめく。
また、ピーター夫婦とその父母たちは小さな不満を感じながら生活している。
そんな時、ある事故をきっかけに家族それぞれの思いがすれ違っていく。
結びつきを失った三世代の家族の再生を描く(チラシより)。

その初日を見た。
18歳の長男アレックス(笹井達規)が、彼女サラ(賀原美空)を連れて実家に帰る。
両親に会う前に、15歳の弟クリストファー(福田匡伸)が会いたいと言うので、3人で会う。
クリストファーはサラに一目ぼれしてしまう。
アレックスがタバコを買いに行っている間二人きりになると、「キスして」と言い出す。驚くサラ。
みなよくタバコを吸う。
父母はサラに良い印象を持つ。
クリストファーは祖父母宅に行き、祖父チャーリー(金尾哲夫)のカードマジックを見て感心する。
彼はサラにプレゼントを買うため、祖父から5ポンドもらう。
何に使うのか聞かれて答えると、祖父は「アレックスがプレゼントするのが普通じゃないか?」
「そうなんだよね」自分でも分かっているらしい。
父親ピーター(江崎泰介)にも直接言う。「サラのことが好きだ」
父「お前、一度しか会ってないだろう」「うん、おかしいよね。狂ってるよね」
うーん、この子は・・どうしたものか。
サラとアレックスが実家に泊まると、彼は夜、sexの音がするかどうか壁にコップを当てて耳をそばだてる。

二人は町を出てロンドンに2~3年住む計画でいるが、もう月曜の切符を買ってあるというのに、アレックスはまだ親に言っていない。
それを知ってサラは怒り出す。
アレックスがようやく母親アリス(落合るみ)に伝えると、思った通り母は怒り出す。
特に、自分に話す前に、すでに切符を買ってあると聞いて。

祖父は常に酔っている。
ある日、妻エレン(姉崎公美)に食ってかかり、もみ合いになり、彼女が床に倒れたところにクリストファーが来る。
クリストファー「おばあちゃんを殴ったの?!」
二人は否定して取り繕うが、クリストファーはショックを受け、「おじいちゃんなんて腰抜けだ!クソだ!」と吐き捨てて去る。
彼は兄と父にもこのことを話したらしい。

アレックスは何とか母をなだめ、二人は両親に見送られて出発する。
アレックスは母に「今夜電話するよ」。

ピーターは家の内装や修理の仕事をしている。
スーザン(舞山裕子)という女性の家で改装工事を請け負う。
彼女は妊娠中で、場面が進むにつれて、少しずつお腹が出てくる。
ピーターは彼女に「次男が事故死した」と話す。
「人に話すのは初めて」と言うが、我々観客もびっくり。
あの子が、あっけなく死んでしまったのか・・・。

<休憩>

サラはアレックスとけんかして出て行く。
アレックスは実家に戻り、母アリスは喜ぶ。
彼女は「もうどこにもいかないで。ずっと私の目の届くところにいて」と言い出す。
(この人狂ってる!)
アレックス「それは無理だよ」

エレンが息子の家に来て嫁のアリスに会う。
夫が癌だと言われた、と言うのでアリスは同情する。
「あなたは大丈夫なの?」「ええ、私、また働くことにしたんです」「それがいいわ」
と、そこまではよかったが。
話は微妙にそれて行き、「ピーターにもっと優しくしてほしいの」「ピーターは私の息子よ」
「これまであなたのピーターに対する態度を見てきたけど・・」と、姑は言いたい放題。
ついにアリス「出て行って!」

入院中の祖父をピーターが見舞う。
彼の浮気について尋ねる。エレンを殴ったことも。

スーザンは仕事中のピーターにマンゴージュースを渡そうとするが、その前に、なぜか自分で一口飲んでから渡す。

サラはアレックスのところに戻る。
「謝ってほしくて来た」
二人はまた缶ビールを飲む。
アレックスの友人ポール(赤江隼平)は彼らの家に放火し、捕まって刑務所にいるという。
二人は仕事も見つからず(うまく行かず?)、アレックスの実家に戻って来る。

働き始めたアリスが、ある日、会社を出ると、若い男が待っていた。
彼はクリストファーを車ではねたジョン(須々田浩伎)だった。
彼はしきりに謝るが、アリスは聞く耳を持たない。
しまいに彼は、自分の電話番号を書いた紙を無理矢理彼女の手の中に押し込んで去る。

次の場面で二人はコーヒーか何かを飲んでいる。
ジョンは自分の専門の数学の美しさについて語り、アリスは楽しそうに聴いている。
二人は再会を約束する。
二度目には、ジョンの部屋で二人は赤ワインを飲んでいる。
アリスは手料理をご馳走になったらしい。
アリスは夫と出会った時のこと、まだ17歳の高校生で、成績でA を取って大学に行くつもりだったけど、
数回デートしたら妊娠。
いったんは中絶することにしたが、ピーターがプロポーズし、結婚して大学は諦めた。
アリスは次男クリストファーが「そんなに好きじゃなかった」。
「あんなことになって、自分のせいかと思った・・・」
ジョンはアリスにタバコを勧め、アリスは「夫に知れたら・・」と言いつつ吸う。
ジョンが彼女に迫ると、彼女は歯ブラシを借りて歯磨きする。
その姿を見た彼は早合点し、勇んでネクタイをはずしてシャツを緩めるが、アリスは彼を振り切って帰宅。

ピーターは仕事が終わり、スーザンから小切手をもらう。
彼女は丁寧に感謝の言葉を述べ、彼の腕を触る。
(この人も変だ。夫との仲は大丈夫なのだろうか)

祖父はアレックスに、子供の頃、父だか祖父だかによく殴られた話をする。
暴力は連鎖する、と言いたいのだろう。
アレックスもそれを聞いて、少し祖父のことがわかってくる。

ピーターは妻アリスが浮気していると疑っている。
酒を浴びるほど飲む。
帰宅したアリスに「わかってるんだぞ・・」
アリスは相手が事故の加害者であることは告げず、会社の人で・・と言う。
でも寸前で「踏みとどまったの」
そして「あなたに私の頭を乗っけてもいい?」
ピーターは床に横たわり、アリスは彼に寄り添う。

食事会。アリスがチキンを焼き、祖父母、父母、アレックスとサラの3世代が和やかに食卓を囲むところで幕。

~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~

セリフの訳語がちょっと難しい。
サッカーのチームや人気選手の名前が頻出。
2時間50分という長尺。短いシーンがくるくると続くが、全体にダラダラした印象。
登場人物はほとんどが奇妙でアブノーマルで感情移入できない。
長男を偏愛・溺愛して縛り付けるアリス。
優柔不断で、見ていてイライラさせられるアレックス。
職人にジュースを差し出すが、先にそのコップに口をつけて飲む女。
やたらとビールを飲みへべれけになる酔っ払いたち。
何かというとタバコ、タバコというヘビースモーカーたち(15歳の子も!)。
ヤクも吸うし、汚い言葉を平気で口にする人々。
ワイフビーター(妻を殴る男)。
息子の嫁に余計な口出しをして嫌われる女。
まともなのはジョンくらいか。

役者では祖父チャーリー役の金尾哲夫が好演。
アリス役の落合るみは声がいい。

この作品は、2006年にローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞を受賞したという。
こういうことが時々あるから、最近では賞というものが信じられなくなった。

当日パンフを見て知ったが、作者は「ハーパー・リーガン」を書いた人だった。
そうと知ってたら来なかったかも。
だってあれは、あまり好みではなかったから。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「セチュアンの善人」

2024-10-04 22:10:03 | 芝居
9月26日俳優座劇場で、ベルトルト・ブレヒト作「セチュアンの善人」を見た(脚色・上演台本・演出:田中壮太郎、音楽:寺内亜矢子・森山冬子)。



人間が人間を搾取する架空の町セチュアン。
そこに住む男娼のシェン・テは、神様に一晩の宿を提供し、そのお礼にちょっとしたお金を手に入れる。
シェン・テはそのお金で小さな店を開くと、噂を聞きつけた知人や親戚が店に押し寄せ、居候。
困ったシェン・テは架空の人物、従兄のシュイ・タに変装。
優しいシェン・テがこさえる問題を、時折現れる従兄のシュイ・タが冷徹に解決していくのだが・・・(チラシより)。

俳優座創立80周年・俳優座劇場創立70周年・桐朋学園芸術短期大学創立60周年記念事業。

ブレヒトの有名な戯曲を初めて見た。

善人シェン・テ(森山智寛)は夜、公園で首を吊ろうとしている男ヤン・スン(八柳豪)を見つける。
ヤンはパイロットになる資格を取ったが、職がなく、絶望して死のうとしていた。
彼女は恋に落ちてしまい、金があればパイロットになれる、という彼の話を信じる。
じゅうたん屋の夫婦が金を200貸してくれる。
ヤンの母親(青山眉子)が来て、息子がパイロットになれそうだが、そのために500いる、と言う。
シェン・テは、その場でじゅうたん屋が貸してくれた200を渡してしまう。

女家主ミー・チュー(坪井木の実)がシェン・テに半年分の家賃を請求する。
シェン・テは店を売りたいと言い出す。
売った金(300)で恋人にパイロットになってもらうつもりなのだ。
だが、その後シュイ・タ(森山智寛の二役)がヤンから話を聞くと、航空会社に知り合いがいて、一人辞めさせれば、その代わりにパイロットになれるが、
そいつはベテランで落ち度がない、と言う。
どうも難しそうだ。

水売りの少年ワン(渡邊咲和)は床屋シュー・フー(加藤頼)に手を殴られ、傷つき、右手が使えなくなる。
訴えるから証人になって、とその場に居合わせた人々に頼むが、みな後ろ暗いところがあるので警察と関わりたくない、と断る。
一方、床屋シュー・フーはシェン・テに惚れる。

ヤンは、残りの300をもらいにシェン・テの元に来る。
そこにいたのはシュイ・タ。
スンは彼に「シェン・テは頭が悪い、あの女には理性なんてないんだ・・」と言う。
シュイ・タ(実はシェン・テ)はやっと男の正体に気がつく。
シン(山本順子)はシェン・テに、床屋と結婚するといい、と勧める。
シェン・テもその気になる。
床屋とヤンが鉢合わせし、そこにシェン・テが来て・・だがヤンが泣き出すと、シェン・テはすぐにほだされ、抱き起こしてキスする。
驚く床屋を置いて二人は出てゆく。

結婚式。スンは赤いスーツ。彼の母はシェン・テの従兄シュイ・タを待たなきゃ、と主張する。
シェン・テは二人に、シュイ・タは来ません、と言うのだが。
シュイ・タはなかなか来ない。(そりゃそうだ)
牧師は、次の式の時間があるから、と行ってしまう。
スンは「俺はシュイ・タと妙に気が合うんだ。あいつと俺は一心同体なんだ」と、これまた妙なことを言い出す。
牧師が帰ったので式もお流れとなり、みな帰り、スンは歌う。
<休憩>
また3人の神様が来る。
ワンと話す。シェン・テの結婚がダメになったことなど。
神様「経済のことはちょっと・・・」(笑)
他の人々が来ると、神様3人は下手に退き、ジャングルジムに登って顔を葉っぱなどの描かれた紙で隠す。

床屋は太っ腹なところを見せようと、からの小切手を切ってシュイ・タに渡し、好きな金額を書き込むようシェン・テに言ってくれ、と言う。
シュイ・タは「1万」と書く。周りの人々は驚く。
この金で店は大きくなり、シュイ・タは居候たちを雇って働かせることにする。
スンと母親も来る。
母親は「息子はもらった200を使い込んでしまいました。とんだドラ息子・・」と嘆く。
シュイ・タはスンも雇う。
彼はうまく立ち回り、現場監督になる。
突如ショスタコーヴィチの5番が鳴り響き、場面は2年後。
Shentes Coffee という銀色のライトが頭上にきらめく。
スンはシュイ・タに、コーヒーにニコチンを入れたらどうか、と密かに提案。

ある日、シュイ・タは青いスカーフを肩にかけ、口紅を塗ろうとしてシンに見られる。
シンは驚くが、口止め料の代わりに役員にしてくれ、と要求。
役員会はシュイ・タと役員2名だったが、これで計4名になる。
ここで車のブレーキの大きな音が響く。
4人での初の会議で、シュイ・タは、昨晩スンが車に轢かれて死んだ、と報告。
だが事故か事件かわからない、とも。
彼が「シェン・テに会いたい。会わせろ、でないとコーヒーにニコチンが入ってることをばらすぞ」と自分を脅していた、とも。
そして、自分は近々ここを去らなければならない、しばらくシェン・テの代わりをするつもりだったが、長くい過ぎた、とも。
みな驚いて反対するが、シュイ・タは聞かない。

シュイ・タは店の従業員たちの前に立ち、実は・・と告白。
だが皆、さほど驚かない。前から気がついていたらしい。
そこにワンと神様たちが来る。
ワンは明るい色の服を着て、ペットボトルの水をたくさん載せた車を引いている。
「湧き水を見つけて売ったら、観光客が買ってくれて、しかも高くするほどよく売れるんだ。お陰でちょっとした小金持ちになったよ」
シェン・テとワンは再会を喜び合う。
めでたしめでたしかと思いきや・・
シン「ちょっと待って!じゃあシュイ・タがシェン・テだったってわかってなかったのは私とスンとワンと神様たちだけだったっての?」
これがおかしい。
この後、死んだヤンも出て来て、シェン・テと再会したり・・
ワンが「カフェとコンビニと百均があれば・・」と愉快なことを言ったり・・
神様たちは、この世になぜ悪がはびこり、善人が報われないのですか?と問い詰められると、
困った顔をして言う。
「そうですか・・・では、これからは善も悪もありません。・・・多様性・・でしょうか。
2000年後に、また来るかも知れません。来ないかも知れません」
・・・ワンは「だって」と言って客席の上方を見上げる。
暗転の後、舞台上に「2000年後」の文字が掲げられ、みな楽しげに歌い踊る。幕。

~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~

少年ワン役の渡邊咲和が声もよく通り、演技もうまい。
シェン・テとシュイ・タ役の森山智寛も声がいい!
神様役の3人のうち1人は危なっかしい。セリフが止まりがちでハラハラ。
他の役者さんたちは、みなうまい人がそろっていて楽しい。

ブレヒトの言いたいことはよくわかるし、この人は真面目で誠実な人だと思う。
途中、皆でこの世の不条理を神に問いかけ、歌い踊るシーンが圧巻。
神様たちが、まるで頼りなくて自信なさげなのがおかしい。
3人なのは、三位一体を表しているのだろう。
キリスト教を揶揄し、茶化し、おちょくっているけど、面白い。

今回、疑問が一つ、シェン・テは「男娼」とパンフにあり、確かに男性俳優が演じているが、
彼に求愛する二人の男は、相手を男だとわかって求愛しているのだろうか?
かつて、例えば日本では、市原悦子や栗原小巻がこの役を演じたというが?

音楽の使い方がうまくて快感。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヴェニスの商人」について

2024-09-29 17:06:17 | シェイクスピア論
<カタルシスを得られるか>

「ヴェニスの商人」はユダヤ人差別を含む内容なので「問題劇」とされているが、そればかりではない面白さがあるので、わりとよく上演される。
以下は、前にも書いたことがありますが、今回もう一度考えてみようと思います。

まずは、あらすじから。
ヴェニスに住むバサーニオは借金返済のため、ベルモントの亡き大富豪の娘ポーシャと結婚しようとするが、求婚するにも金がいる。
そこで商人で親友のアントーニオに金を借りようとするが、たまたま彼は全財産を何隻もの商船に投機しており、手元に金がなかった。
仕方なく、バサーニオはユダヤ人シャイロックからアントーニオの信用を元手に金を借りようとする。
だが高利貸しシャイロックは、日頃から自分のやり方を非難するアントーニオを嫌っており、この機会に復讐してやろうと思いつく。
彼は、金を貸してやってもいいが、期日までに返済できなければ、アントーニオの体から肉1ポンドを切り取る、という条件でなら、と
とんでもないことを言い出す。バサーニオは断ろうとするが、アントーニオは承諾する・・・。

求婚の方はうまくいくが、アントーニオの持ち船はすべて難破し、彼の財産は海の藻屑と消えてしまう。
シャイロックは復讐の時が来た、とばかりに、アントーニオの肉1ポンドを要求し、公爵の判決を待つ。
バサーニオはすぐにヴェニスに引き返し、裁判に臨むが、そこに若い学者バルサザーが登場する。
彼は、実はポーシャが男装した姿だった・・。

作者であるシェイクスピアはキリスト教徒だが、彼のまなざしは公平そのものだ。
アントーニオが破産した、と聞いて、シャイロックは「例の証文を忘れないでもらおう!」と3度も繰り返す。
それを聞いた男が「おい、いくら違約したからって、まさかあの人の肉を取りはしないだろう―――取ってなんの役に立つ?」と言うと
シャイロックは答える。

 魚を釣る餌になる。腹の足しにはならんが腹いせの足しにはなる。
 やつは俺の顔をつぶした、俺の稼ぎを50万ダカットは邪魔しやがった。やつは俺が損をすればあざ笑い、儲ければ馬鹿にし、
 俺の民族をさげすみ、俺の商売に横槍を入れ、俺の友だちに水をさし、敵を焚きつけた―――理由はなんだ?
 俺がユダヤ人だからだ。ユダヤ人には目がないか?ユダヤ人には手がないか?
 五臓六腑、四肢五体、感覚、感情、喜怒哀楽がないのか?
 キリスト教徒と同じものを食い、同じ武器で傷を受け、同じ病気にかかり、同じ治療で治り、
 同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じないというのか?―――針で刺されても血は出ない?
 くすぐられても笑わない?毒を盛られても死なないのか?
 そして、あんたらにひどい目にあわされても復讐しちゃならんのか?(松岡和子訳)

この熱のこもった迫力あるセリフは、差別される側の心の叫びを代弁している。
ラストで無理やりキリスト教に改宗させられる原告シャイロックの悲しみと、彼をからかう下劣なヴェニス市民(キリスト教徒)たちの姿は、
むしろ作者の属するキリスト教社会の暗い罪を告発しているかのようだ。
シェイクスピアの洞察力の深さには驚くほかない。
このあたりは、にがい思いなしで見るのは難しい。
だが、殺されかけたアントーニオが救われるところでは、喜びを感じられるのではないだろうか。

2013年にこの劇が蜷川幸雄演出で(オールメールで)上演された時、シャイロックを演じた市川猿之助は、
インタヴューで次のように言っていた。
「法律上の正論はシャイロックにあるのに、多勢に無勢で詭弁が喝采を受け、彼は罪人にされていく」と。
そうだろうか。
もちろん差別があったことは事実だし、当時キリスト教徒の間では利子を取ることは悪いこととして禁じられていたため、
利子を取り立てていた金貸しシャイロックをアントーニオがいじめていたことは確かだが、彼はシャイロックの命を取ろうとしたことは一度もなかった。
「目には目を、歯には歯を」と言う。
この言葉は誤解されがちだが、復讐を奨励しているのではなく、復讐する場合、相手にやられたことと同じだけにするように、と上限を設けたのだった。
人は他人から危害を加えられた場合、ともすれば、やられた以上にやり返してしまいがちだ。
だがそうすると、どんどん暴力がエスカレートしていって、収拾がつかなくなってしまう。
そういう事態を防ぐために作られたのが、「目には目を、歯には歯を」という掟だった。

すべてを奪われるシャイロックに同情はするが、日頃の恨みを晴らすために奸計を弄して(だって例の証文をほんの冗談だと信じさせようと骨折っている)
相手の命を狙ったのは、どう見たってやり過ぎだろう。
社会全体にも問題があったとは言え、彼は自分で自分の首を絞めたのではないだろうか。

アントーニオは多くの人から慕われていた。
だから彼の命がかかった裁判と聞いて、心配した人々が大勢押しかけたのだし、最後にポーシャによって、彼の命を救う一筋の道が示された時、
居合わせた人々は皆、ほっとして光を見出したように喜ぶのだ。
客席で見ている我々もまた、ここで解放されたかのように、ほっと息がつける。
それを「詭弁」としか感じられないならば、残念ながらこの作品を十分楽しむことは難しいだろう。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「L.G.が目覚めた夜」

2024-09-16 22:57:20 | 芝居
9月3日シアターχで、ブシャール作「L.G.が目覚めた夜」を見た(翻訳・演出:山上優)。



作者はカナダの劇作家の由。

著名な死体保存処理の専門家(タナトプラクター)となったミレイユは、母の死をきっかけに30年ぶりに
故郷であるケベック州アルマに戻ってきた。ミレイユ自ら母の遺体の防腐処理をするために。
疎遠となっていた兄ジュリアンとその妻シャンタル、弟のドゥニとエリオットら家族とも再会する。
母の遺体の処理に関わりながら、その周囲で交わされる過去の、現在の、日常の家族の会話。
やがて母が死の直前に残した遺言が明かされる。母が死を前にして行った決断とは?
そして後には、すべての謎を解く、隠され続けていた秘密の告白という必然が待っていた。
・・・L.G. (ロリエ・ゴードロ)とは誰なのか。
ロリエ・ゴードロが目覚めた夜に一体何があったのか(チラシより)。

舞台は白壁に囲まれた殺風景な部屋。
遺体が一つ、ベッドに寝かされ、灰色の髪の毛がこちらを向いている。
ミレイユ(平栗あつみ)がカートを引いて登場。客席に向かって語り出す。
 「私が小さい頃、夜眠れない時、近所の家に入って、人々の寝顔を見た。
 どこの家も玄関に鍵などかけていない頃だった・・」
彼女が母の遺体に近づいていると、部屋に助手が入って来て驚く。
「ここに来てはいけません!」
だが彼女は有名なミレイユのことを知っていて、彼女の書いた本も読んでいた。
少し話すうちに助手は態度を変え、彼女に指図されてエンバーミング(遺体衛生保全)を手伝い始める。

三男(小柳喬)が来る。少し精神的な障害があるらしく、治療を受けている。
彼は母と二人暮らしだった。
彼は、姉に言われて母の手にマニキュアを塗る。

長男ジュリアン(本多新也)とその妻シャンタル(一谷真由美)が来る。
ジュリアンはミレイユを見て気絶する!

ジュリアンは母が遺言で、全財産と別荘を「あの男」に遺した、と怒っている。
みんなはそれを聞いて驚く。
「ミレイユをレイプしたロリエに!?」
みな立ち去り、一人になったミレイユは、前に出て語り出す。
 「ロリエ・ゴードロは16歳。素敵な若者だった。サッカー部で・・・
 私は彼の寝顔を見るのが好きだった・・」
 あの夜、彼の部屋の洋服ダンスの陰に隠れていると、彼は目を覚ましてビールを飲み・・」

次の場面で、母の遺体は横向きにされ、土色の顔がむき出しになっている。
部屋に豪華な花が次々と運び込まれる。
花と共にカードが世界中から届く。
ほとんどが、ミレイユがかつてエンバーミングした人々の遺族からだった。
彼女はヨハネ・パウロ二世の遺体も処置したという。

次男ドゥニ(玉置祐也)が来る。
彼はミレイユに「何しに来た?」とけんか腰。
ミレイユが何十年も帰省せず、ドゥニの妻が男を作って出て行ったことも知らない。
兄弟たちがどうしているかも知らない、となじる。
ミレイユは語り出す。
 「あの夜、ロリエ・ゴードロの部屋にいると、ロリエが目を覚ましてビールを飲み、・・・」
途中でジュリアンがシャンタルに「外で待ってろ」と言って、彼女を部屋から出そうとするが、シャンタルは聞かない。
ミレイユは話し続ける。
  「誰かがやって来て、ロリエ・ゴードロはその人にキスした・・
  私は持っていたボールを落としてしまった。
  ボールはロリエ・ゴードロのところまで転がって行き、ロリエ・ゴードロは私を見た。
  私は大声を上げた。
  ジュリアンは・・・
  ロリエ・ゴードロの両親も、うちの両親もやって来た。
  ジュリアンは「ロリエ・ゴードロが僕の妹をレイプしようとしたけど、僕がその前に止めた」と言った。
  ロリエ・ゴードロは何も言わなかった。
  12歳の私も何も言わなかった・・」。

ドゥニとエリオットは衝撃を受ける。
だがシャンタルはわけが分からず、「ロリエの相手の女性は誰?」と聞く。
義弟たちは彼女に「察しろよ!」と言い、ドゥニは兄に向かって「このホモ野郎!」となじる。
ようやく真相を知ったシャンタルは椅子に座ったまま呆然とし、ジュリアンは床に座り込んで両手で顔を覆う。
それを見て、エリオットは言う。「母さんと同じだ!死んだ時、母さんも、こうやって顔を隠してた」

ミレイユは母が死ぬ少し前、母に電話して真実を話した。
母はすぐにエリオットに電話帳を持って来させ、恐らくロリエ・ゴードロに電話したらしい。
その後、公証人にも連絡し、遺言を書き換えたのだった。

あの事件の後、ロリエ・ゴードロの人生は激変した。
ドゥニが回想する。
高校の部活も辞め、かつての仲間たちに「この幼児性愛者!」と罵られ、激しい暴力を振るわれた・・。
ジュリアンとドゥニも一緒にやるように言われて・・・ジュリアンは震えながら・・
だが皆が去ると、ジュリアンは傷ついてボロボロになったロリエを抱き起して、服をかけ、やさしく抱きしめた・・
その時、ドゥニは兄がなぜそんなことをしたのかわからなかった。

皆、部屋から出て行き、シャンタルとミレイユだけが残る。
しばらくたつとシャンタルはミレイユに言う、「私にはジュリアンがすべてなの。いろいろあったけど、これまでも乗り越えて来た。
今度も乗り越えるわ」(この時、ジュリアンは部屋の入り口で聴いている)
彼女はミレイユに14歳の息子の写真を見せる。
「この子には父親のことは知らせない方がいいと思うの」
ドゥニの二人の娘の写真も見せる。
ジュリアンが入って来て、帰宅する妻を見送った後、ミレイユと二人だけになると「もう二度と戻って来るな」と冷たく言い放つ。幕

~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~
後味の悪い芝居だった。
謎は解けるが、悪い奴が幸せになり、罪の意識に苦しむわけでもない。
遺産が全部、犠牲者であるロリエ・ゴードロに行くからいいのか。
カタルシスとはほど遠い。
ジュリアンが幸せになっていいのか?
こいつのウソのために二人の人間が人生をメチャメチャにされたというのに。
・・・と、見終わった直後は思ったが、よくよく考えてみると、ミレイユが夜、よその家に侵入していなければ、
また、彼女が手にしたボールを落とさなければ、そして大声を出さなければ、二人はいつものように(?)
二人だけの楽しみにふけっていただけだし、誰に迷惑をかけたわけでもない。
現代の感覚から言えば、特に悪いことをしていたわけでもない。
そう考えると、ジュリアンから見てミレイユが疫病神みたいな存在だというのも理解できる。

また、ジュリアンとロリエとの間では、その後、ああするしかなかったという了解と許しが、すでに出来上がっていたのだろう。
だからジュリアンは、母の遺産を彼に贈って埋め合わせをする必要も感じず、
むしろ妹が余計なことをした、と思ったのではないだろうか。
弟たちに秘密を知られて罵倒され、今後もずっと恥ずかしい思いをしなければならなくなったし。

ただ引っかかる点も残る。
①「レイプ未遂」のはずが、いつの間にか「レイプされた女」「レイプした男」になっているのが妙だ。
②途中で「別荘が火事だ」という知らせに、みんな駆け出していくが、その話はそれきり触れられない。
 果たして別荘は燃えてしまったのだろうか?まさに尻切れトンボだ。

そもそも女の子が夜、他人の家に勝手に入り込んで、人の寝顔を見るのが密かな楽しみだった、って、どうなんでしょう?
昔の日本の田舎なら、縁側から上がり込むとか想像できるけど、カナダって、家の造りが日本とは全然違うはずだし。
だからなかなか想像できないけど、もしかしたら、地域によってはそんなことが可能だったのかも知れない。

カナダのフランス語圏の話だから、恐らく人々はカトリックだろう。
彼らが子供の頃、同性愛者であるとわかったら、どんな迫害を受けることになるか、青年たちは怖かったに違いない。
ゲイだとバレるより、「小児性愛者」「レイプ犯」と言われる方が、まだましだったのだろう。
だからロリエも、愛人ジュリアンのとっさの嘘を敢えて否定せず、レイプ犯の汚名を着る方を選んだのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シンベリン」

2024-09-05 22:45:26 | 芝居
8月30日すみだパークシアター倉で、シェイクスピア作「シンベリン」を見た(イエローヘルメッツ公演、脚本・演出:山崎清介)。



王シンベリンは、王妃の連れ子と結婚させようとしていた王女イモージェンが身分の低い紳士ポステュマスと結婚したため、激怒。
ローマに追放されたポステュマスは一人の男にだまされ、妻の不貞を信じ込み絶望・・・。
王の後妻である王妃は、息子のために王位継承権を狙って毒薬作りにいそしみ、ウエールズではかつて国王の元から二人の王子を
盗み出した臣下・ベレーリアスが彼らと共に暮らしていた・・。

訳は小田島雄志訳を元にしている。

この芝居は2012年4月に彩の国さいたま芸術劇場で見たことがある(蜷川幸雄演出、大竹しのぶ、阿部寛、鳳蘭、勝村政信ら出演)。
今回は劇場がずっと小さくて、役者の数も少ない。
この劇団を見るのは久し振りなので、知らない人が多く、誰が何の役をやるのかさっぱり見当もつかない。
というわけで、あまり期待せずに出かけた。

山崎さんは、冒頭にいきなり5幕4場を持ってきた。
ブリテン軍とローマ軍の戦いの折、ポステュマス(大西遵)は死を求め、敢えて負けていたローマ軍の側の人間だと偽り、捕らえられている。
後半、また同じシーンが繰り返される。つまり枠構造のような形。これには当惑してしまった。
このマイナーな芝居を初めて見るお客さんたちのことを考えているのだろうか。
わざわざ原作をいじって変える必要はまったくないし、かえって分かりにくくて不親切だ。

イモ―ジェン(すずき咲人心)の寝室が何もないのは仕方ないが、最低限、ベッドは欲しい。
今回、イモ―ジェンは机の上に突っ伏して寝ちゃったが、やっぱりベッドに寝ていて欲しい。
だってそんな格好だと、いつ目が覚めるかわからない上に、腕輪をそっと外したり、胸元のほくろを見たりするのは
至難の業でしょう。

邪悪な王妃役の星初音がうまい。鳳蘭よりよかったです!
ポスチュマス役の大西遵も好演&熱演。阿部寛よりもちろん滑舌がいいし(笑)。
ヤーキモー役兼ベレーリアス役の谷畑聡もうまい。窪塚洋介よりよかったです。
谷畑聡はヤーキモーとベレーリアスを兼ねるので、後半やたらと忙しい。
舞台から何度もそっと引っ込んでは衣装を変えて出て来る。
息子たちに「父上、今まで一体どこに?!」と聞かれて「物陰から一部始終を聞いておりました」と
答えるのがおかしい。
この戯曲はセリフのある役だけでも21人必要なのに、それをたった8人でやるため一人何役も兼ねるが、それがかえって面白い。
逆境を逆手にとって笑いをとる、なるほどこういう手があったか。

ラストで、ローマ軍の将軍リューシャス(伊沢磨紀)は「ジュピターの神殿で平和条約を批准し、宴会をもって調印することにしよう・・・」と言った後、
客席の方を向いて「だが、世界中に戦争は絶えない・・」と語る。
これは原作にはない。
今回の上演にあたってここに加筆したのは適切で、好感が持てた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の夜の夢」について

2024-08-21 10:32:46 | シェイクスピア論
<女たちの友情を男が壊す話>

ちくま文庫版「夏の夜の夢」の翻訳者・松岡和子氏が「訳者あとがき」で書いていることが面白い。
すでに多くの人が指摘していることかも知れないけれど、以下に引用します。

  この戯曲は、一言で言えば「愛の回復」がテーマになっていると言える。だが、その裏には
  女同士の蜜月的とも言える親密な関係が、男性の侵入によって壊される(あるいは、壊されかける)という
  一面が隠れていると思う。
  まずヒポリタ。シーシアスと結婚する彼女はかつてアマゾンの女王だった。アマゾンは女性だけの国だ。
  それがシーシアスという男性とその軍隊によって滅ぼされ、ヒポリタはアテネに連れてこられたのだ。
  「私は剣をかざしてあなたを口説き / 害を加えて愛を勝ち得た」

  ティターニアはインドの子供を可愛がっていて、その子を小姓にしたいというオーベロンの要求をはねつける。
  子供の母親はティターニアの信者で、二人がどんなに親しかったかは、彼女の口から語られる。
  お産がもとで死んでしまった「あの女のためにあの子を育てているのよ。/ あの女のためにもあの子を
  手放すわけにはいきません」

  そして、言うまでもなくハーミアとヘレナ。「ちょうど双子のサクランボ、見かけは二つ別々でも / もとはひとつに
  つながっている。/ ひとつの茎になった可愛い二つの実」だった二人が、ライサンダーとディミートリアスの出現によって、
  いっときとは言え敵対するはめに陥る。

ハーミアとヘレナの関係が男たちによって壊されかける、というのは分かりやすいので、芝居を見ればすぐに気がつくことだ。
だが、その前に、そもそもこの物語の枠構造であるアテネの公爵シーシアスとアマゾンの女王ヒポリタの関係もそうだと言われると、確かにそうだ。
そして、妖精の女王ティターニアと王オーベロンの関係にもまた、同じことが言えるという。なるほど確かに。
これはどういうことなのだろうか。

シェイクスピアの戯曲にはたいてい元ネタがあるのだが、この作品にはない。
劇中劇の「ピラマスとシスビー」の物語と、シーシアスとヒポリタの物語とを、他の作品から借りてきてはいるが、
主筋は彼のオリジナルだ。
彼がその中に、こんな風に女たちと男との独特の関係を持ち込んでいるというのがちょっと不思議だし、興味深い。
男女が逆の場合(つまり男たちの友情が女によって壊れる)は、シェイクスピアに限らず古今東西多いけれど。

<シェイクスピアで遊ぶということ>
 
2009年に英国の劇団プロペラが来日した時のこと。
「夏の夜の夢」1幕2場で、公爵の御前で上演する芝居の稽古のために、大工クインスが村の職人たちを集めて一人一人に芝居の役を割り振るシーンで、
ふいご直しのフルートという男に「お前はシスビー(役)だ」と言うと、フルートがニヤニヤ笑いながら「シスビー?オア・ノット・シスビー」と言うので吹き出した。
こう言われたクインスは、相手の顔をじっと見て ”That is the question ?” と応答。
もちろんこれはハムレットの最も有名なセリフ、“To be or not to be ・・・“のパロディだが、こんなしょうもない駄洒落を言ってのける
この若い連中がいっぺんで好きになった。

その後ラスト近くでは、公爵役の俳優がなぜかヴァイオリンを抱えて登場し、やおらブルッフの協奏曲をひとくさり弾いてみせた。
芝居の内容にはまったく関係ないが、実に見事な腕前だったので、我々観客は大いに楽しませてもらった。
これもまた公爵の結婚式の余興の一環と思えば、ごく自然に受け入れられる。
もちろん深刻な悲劇ならこういうことは無理だが、ハッピーエンドで祝祭的な喜劇ならここまで遊んだっていいのだ。
そういう自由さがシェイクスピアにはある。

<妖精をどう演じるか>

森の妖精は、背中に羽根が生えている時もあり、妖精の王様の命令で素早くどこへでも飛んでゆく。
だが生身の人間は、そんなに簡単に空中を飛び回ってみせることは難しい。
かつて見た英国の劇団では、妖精を太った役者が演じ、しかも驚くほど超スローに動いていた。
ちょうど太極拳の動きのように。
一種の開き直りだろう。
意外性を狙ったのだろうが、わざとらしくもあり、違和感があった。
妖精は妖精らしく、やはりスリムで機敏であってほしい。
その点、2007年ジョン・ケアード演出の「夏の夜の夢」(新国立劇場、麻実れい、村井国夫出演)でパックを演じた成河(当時の名前はチョウソンハ)はピッタリだった。



「夏の夜の夢」にはパックの他にも妖精たちが大勢登場するが、ちょっと面白い趣向の演出を見たことがある。
1999年東京グローブ座でのペーター・ストルマーレ演出の公演でのこと。
上杉祥三演じるパックが、手の中に入るくらいの小さな妖精(つまり観客からは見えない)と出会い、彼女?を耳元に持って行って、
そのセリフを代弁し、それに答えていた。
つまり二人分しゃべっていた(相手のセリフの時は高い声を使っていた)。
そういうやり方もあるのか、と驚いた記憶がある。
演出家はここで、言わば役者に丸投げしたわけだ。
ちなみに、この時の演出は徹底して日本趣味だった。
舞台装置、衣装、音楽もすべて。



加納幸和がヒッポリタ役で、ラストは白無垢の打掛姿で登場。これが実に美しかった。
クインス役は間宮啓行。これがまた紋付姿で、しゃべり方はまるで落語家(笑)。
パックとオーベロンの会話も原作から大胆に逸脱してゆくが、まあ面白いので楽しめた。
総じて、ここまでアドリブを入れても大丈夫、という見本のような演出だった。

丸投げと言えば思い出すのは、2010年3月、蜷川幸雄演出の「ヘンリー六世」第一部でのこと(彩の国さいたま芸術劇場)。



5幕3場には、乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)が悪霊たちを呼び出して会話するというびっくりなシーンがある。
ところが舞台にはジャンヌ役の大竹しのぶ一人。
彼女は照明のわずかな変化の中、悪霊たちとのやり取りを一人でやってのけた。
悪霊たちにセリフはないが、ト書きに指定された動きがいろいろある。
だが、それらは全部、大竹ジャンヌがセリフと演技でカバーしていた。
こんなことは普通しないが、彼女は演出家の無理な要求に立派に応えたわけだ。
役者の力量次第では、こんなこともできる。

ジャンヌ・ダルクと言えば、フランス人にとっては救国の聖女だが、当時の敵国イギリス人から見れば、当然ながら憎むべき魔女であり、
シェイクスピアも、下品で淫売で親不孝な女として描いている。
「夏の夜の夢」から話がそれてしまった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オーランド」

2024-08-06 22:42:10 | 芝居
7月27日パルコ劇場で、ヴァージニア・ウルフ作「オーランド」を見た(翻案:岩切正一郎、演出:栗山民也)。





16世紀の英国貴族の男性オーランドは、ある日突然、女性に変わる。
そればかりか、さらにその後何百年も生き続ける、という途方もない物語。
チラシにある通り、彼は「時代も国境もジェンダーも飛び越えて、数奇な運命に立ち向かい、真実の私を探究する」。
宮沢りえ主演。ヴァイオリンの生演奏つき。
ネタバレあります。注意!

男として黒い衣装で登場するオーランド(宮沢りえ)。
ある日、父の屋敷をエリザベス女王(河内大和)が訪問する。
オーランドは指を洗う水の入った鉢を捧げ持つ重要な役目。
女王は彼の美しさに目をとめ、彼のほっそりした足や「すみれ色の目」が美しい、と言って、彼を財務大臣に任命する。
彼はその後も女王に追い回されるが、何とか愛撫を避けるうちに女王は死ぬ。

オーランドは樫の木が好きで、詩を書き、詩人ニック(山崎一)に見せるが、あまり評価されない。

ルーマニアの皇女・ハリエット(ウエンツ瑛士)が突然、彼の部屋を訪問する。
宿にオーランドの肖像画が掛けてあり、それが亡き妹にそっくりなので、たまらずやって来たと言う。
彼女は彼に、愛しています、と迫るが、オーランドはまたも必死になって避ける。

その後、オーランドは英国を離れ、トルコのコンスタンチノープルに行く。
彼の家は代々貴族だが、ひいおばあさんは羊飼いだったという。
彼は、その血が自分の中にも流れているのを感じる。
ここには樫の木はないが、草原がある。
4人の男たち(羊飼い?)がオーランドの噂をする。
 あの男は俺たちと違うものを見ている。
 乳しぼりや羊の世話に身が入らず、座り込んで何か書いている。
 文字というものを。
 若い奴が「あいつを殺してやる」と言っている・・。
その後、彼は英国に戻る。
その途中、眠っていて目覚めると、女になっていた。
「わけがわからない」
「またすぐ男に戻るのかなあ」
彼、いや彼女は自分の屋敷に戻る。
記者(山﨑一)がやって来て召使いたちに取材する。
召使い「旦那様は旦那様として出かけられ、奥方様としてお帰りになられました」
記者「あっちで性転換したのでは?もともと男であることに違和感があって・・?」
召使い「いえ、そんな風には見えませんでした。男性だった時はとても勇敢な方でした」
記者「でもどうして名前がオーランドのままなんでしょう?ロザリンドとか(に変えればいいのに)?シェイクスピアの『お気に召すまま』みたいな?」
召使い「女性には相続権がないんです。女になった途端に生活するのも困難になってしまいますから。名前くらいはそのままにしておかないと」
記者「ハリエット皇女が睡眠薬を飲ませて無理やり性転換させた、という噂もありますが?」
召使い「いや、それもないでしょう」

男装のハリエット(ウエンツ瑛士)来訪。
オーランドは驚いて「あなた誰?!」
ハリエット「実はルーマニア大公ハリーです。女装していました。男なんです」
彼は、オーランドが同性愛者を嫌がるかと恐れて、敢えて女のふりをして近づいた、と言う。
だが、オーランドが女性になったので、本来の姿に戻ってやって来たのだった。
つまり、彼にとってオーランドが男か女かということは、どうでもいいことらしい。
こうしてハリーはまたしてもオーランドに迫るが、オーランドは「ゲームしましょう」と彼を誘う。
ハエが3つの角砂糖のどれにとまるか賭けるという奇妙なゲーム。
召使いがポケットからハエを出して放つ。
ヴァイオリンが羽音を奏でる。
オーランドと召使いは、ズルをしてハリーを負かす。
2度目にズルするところを目撃して、ハリーは泣き出す。
そんな彼の背中にオーランドがヒキガエルを入れると、さすがにハリーは逃げて行く。

オーランドは独白する。「私は処女だ。でも童貞じゃない。何人もの女性と・・」
「女と男って、どう違うんだろう。どっちが・・・」
オーランドは女郎屋へ行く。
「実は女なの」・・

<休憩>
死んだ男(ウエンツ瑛士)がゆっくり歩いて来る。
腰に白布を巻いただけでほぼ全裸・・。
時代は先へ先へと進む。
イギリス人はマフィンを食べるようになり、食後にはポートワインでなくコーヒーを飲むようになった。
オーランドは一人の船乗り(谷田歩)と出会い、恋に落ちるが、彼は太平洋に向けて出航する。
オーランドは詩人ニック(山﨑一)と再会。
いつも持ち歩いている小さなノートを見られ、これは売れるかも、と言われる。
「美魔女だし」
「男から女になったという・・話題性もあるし」
こうして出版された彼の詩の本が文学賞を取り、彼は「ちょっとした有名人」になる。

ラスト、瓦礫のようなもの(紙)が上から大量に落ちて来て舞台を埋める。
男4人は倒れる。
オーランドも倒れるが、起き上がり、瓦礫の中から何か拾い上げる。
ぬいぐるみかと思ったら、何と人間の赤ん坊(の人形)!
素っ裸。
オーランドはそれを抱きしめて、奥に歩み去る。

~~~~~~~ ~~~~~~~

途中、主役の長いモノローグがはさまれる。
原作を読んでおけばよかったと後悔した。
特に今回のような翻案ものは、どこをどう変えたのか知りたいので。
ラストもだいぶ変えたらしい。
原作では船乗りの夫が無事に帰還するシーンで終わるらしいが、それでは今風でないと思ったのだろう。

「人は女に生まれない。女になるのだ」というオーランドの独白が響き渡る。
これってボーヴォワールの「第二の性」でしょ?!
ボーヴォワールがウルフの小説から取った言葉だったのか??
それとも翻案の岩切正一郎氏が遊び心で挿入したのか??
たぶん後者だね、きっと。

ヴァージニア・ウルフの原作の、時代を超えた新しさに驚いた。

宮沢りえが圧巻。
男装の時のスリムで凛々しい美しさ!(女装になった時ももちろんだが)
前半はずっと、少し低めの声で、後半、女性になってからは(心は男のままなので)意識的に女らしい高い声にする。
いずれも美声なので、聴いていて非常に心地良い。
セリフ回しも演技も素晴らしい。
この人と同時代に生きていることが嬉しい。
衣裳(前田文子)もいい。
共演の山崎一らのキャスティングもよかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シャーリー・ヴァレンタイン」

2024-07-30 18:20:40 | 芝居
7月23日下北沢OFF・OFFシアターで、ウイリー・ラッセル作「シャーリー・ヴァレンタイン」を見た(演出:加藤健一)。





平凡な主婦シャーリー・ヴァレンタイン(加藤忍)。
それは彼女の結婚する前の名前。
その頃の彼女は生き生きと冒険心を持って生きていたはずだった。
しかし今、年月が経ち、中年となった彼女は、台所の壁に向かって、夫や子供たち、そして自分自身への
愚痴をしゃべる日々を送っている。
そんな虚しい毎日を送ってきたシャーリーが、ふとしたきっかけにより出かけたギリシャへの一人旅で、
自分の姿を再確認していく姿を描く。

現代を生きる女性たちの普遍的な叫びをすくい上げた傑作ヒューマンコメディ(チラシより)。

加藤忍の一人芝居。その初日を見た。

息子ブライアンは自称「詩人」。
女性校長との嫌な思い出、学生時代のクラスメイト・マージョリー、
隣人ジリアン、娘ミランドラ、バツイチの友人ジェーン。
ジェーンが一緒にギリシャに旅行しよう、と誘ってきたけど、シャーリーはまだ迷っている。
台所の壁に向かってこんなことをしゃべりつつ、彼女はチップス(フライドポテト)と目玉焼きを作る。
彼女は48歳。
料理しながら白ワインをおいしそうに飲む。
本当は木曜の夕食はお肉と決まっていて、スーパーでひき肉500gを買っていた。
だが、近所の人に犬の世話を頼まれていて、その飼い主がヴェジタリアンで、その犬は大きな狩猟犬なのにヴェジタリアンにされているので
可哀想になって、そのひき肉をやってしまったという。
そのために今日の夕食はチップス&エッグになった。
きっと夫は怒るだろう・・。
案の定、夫は怒って皿を押しやり、妻の膝に卵などが流れて・・。
その時、彼女は決心する。
それから3週間かけて準備万端。
2週間分の料理を作って冷凍。
自分がいない間は、毎日母に来てもらって、それらを解凍してもらう約束もとりつけた。
(この夫は解凍もできないのだろうか?)
<休憩>
ギリシャ。日焼けしたシャーリー。ビキニ姿。その上に白いTシャツを着る。
一緒に来たジェーンは、飛行機の中で知り合った男にディナーに誘われて行き、4日も戻って来ない。
その男は島の反対側に別荘を持っているとか。
夜、海辺のレストランに行き、テーブルを浜辺まで持って行っていいかとボーイに尋ねる。
それがコスタスとの出会い。
彼は、その夜遅く閉店すると、グラスを片づけに来るが、その時シャーリーは泣いていて、ワインはまだ飲んでいなかった。
コスタスはそばの砂浜に座る。
「明日、兄の船に招待します。沖に出ましょう」
迷うが、彼が強引に誘うのでOKする。

翌朝ジェーンが戻って来て「ごめんなさいね!」と謝っているところにコスタスが迎えに来る。
呆然とするジェーン。
「これだから旅慣れてない中年女は!こっちの男のいいカモなのよ!」
これを聞くと、シャーリーはまっすぐ部屋を出て行った。

楽しい一日。
彼女は船の上で服を全部脱いで海に飛び込み、コスタスも続く・・。
だが別れの日が来る。
空港で、ジェーンと列に並び、スーツケースがベルトコンベアに乗って吸い込まれて行った時、
ここを離れてはいけない、と思った。
すぐに後戻りする。
後ろでジェーンが大声で叫んでいた。

コスタスの店に戻ると、彼が女性客に話しかけていた。
初めて会った、あの夜に、シャーリーに話しかけたのと全く同じ口説き文句だったw。
彼は彼女を見ると椅子から転げ落ちそうになった。
だが彼女は落ち着いていた。
「大丈夫よ。あなたの邪魔はしないわ。ここで働かせて欲しいの」
こうして彼女は、主に英国人観光客相手に接客の仕事を始める。

夫から2度電話があった。
今日、夫がここに来る。
彼女に会いに、そして連れ戻しに。
だがこれからどうするかは、まだ彼女自身にもわからないのだった。

~~~~~~~ ~~~~~~~

チラシのあらすじを読んで、つまらなそうだなと思ったが、残念ながら予想通りの展開。
まず主人公に感情移入できない。
子育ても終わり、夫と二人だけの生活。
親の介護もなく、実母とは良好な関係。
家事をすればいいだけの優雅な暮らしなのに、何が不満なのか。
長年の夢は海外旅行。特に葡萄の採れる土地の海辺でワインを飲むことだが、夫は旅行が苦手。
ただそれだけ。
生活のためにあくせく働かなくても済むことに、感謝の気持ちがない。
夫のいない昼間、ありあまる時間を使って好きなことができるのに。
特にやりたいことがないのだろう。
自分でも自分のことをバカだ、と言っているが、とにかく衝動的で、家族や友人を振り回す。
わざわざ遠い外国に行かないと自分探し(自己実現)ができないのか。
ストーリー的には、ギリシャですぐに仕事が見つかるのも都合が良すぎる。

デイテールには面白いところもあった。
かつてのクラスメイト・マージョリーに憧れていたが、何十年も後に再会して話をしてみると、何と彼女もシャーリーに憧れていた、とか。
「歩くワイドショー」のようなジリアンというおしゃべりな隣人が、彼女の旅行のことを聞いて、邪魔するかと思いきや、
「あなたは勇気がある」と尊敬の眼差しを向け、ステキなピンクのガウンをプレゼントしてくれる、とか。

それと、加藤忍がうまいことが、改めてよくわかった。
彼女は何人もの声を自在に使い分ける。
ポテトを手際よくカットするのも、見てて面白い。

芝居をしながら料理するというのは、かつて蒼井優主演の、英国の劇作家の作品でも見たことがある。
2019年12月、デヴィッド・ヘア作「スカイライト」(演出:小川絵梨子、新国立劇場小劇場)。
あの時は、大量の野菜を次々と洗って切って炒めてパスタソースを作り、パスタを茹で、しまいにちゃんと食べていたっけ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」

2024-07-25 22:46:05 | 芝居
前回の続き。7月4日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 9 ある孤独に関する物語」を見た(演出:小川絵梨子)。



  性的不能と宣告された夫は妻に事実を告げる。
  夫を励ます妻だが実は妻には既に若い恋人がいた。
40歳の外科医ロマンは、同業の友人から性的不能になったと診断され、
若い妻であるハンカと別れるべきではないかとほのめかされる。
夫婦は診断結果を話し合い、お互いに別れる気はないことを確認するが、
実はハンカは若い大学生マリウシュと浮気をしていた・・・(チラシより)。

ロマン(伊達暁)は優秀な心臓外科医。
彼は友人の医者に診断結果を聞く。
医者は彼に質問する。
 これまで何人の女と寝た?
 8人・・・いや15人。
 じゃあ十分だ。奥さんと結婚して何年になる?
 10年。
 じゃあそっちも十分だ、と言って友人は診断書を見せる。
全く可能性がないと言われる。
 奥さんは魅力的?
 かなり。
 じゃあ離婚するんだな。
ロマンは酒の誘いを断って帰宅。

彼は妻ハンカに結果を報告し、「君はもっと若くて元気な男と・・・」
だが彼女は「私のこと、愛してる?」
「愛情は下半身だけじゃないわ」
彼女は夫を抱きしめて慰める。

夫が家に一人でいると電話がかかってくる。
出ると男の声で「ハンカいますか」
いないと言うと、名乗らずに切れた。
これが彼の疑惑の始まりだった。
妻が帰宅。
「君に電話あったよ。名乗らなかった」
そこにまた電話。
彼女の浮気相手のマリウシュからだった。
「会いたい」
そばに夫がいるのでハンカは何とかごまかす。

夫はもう一台ある電話機に細工して盗聴できるようにする。
彼はまた、車の座席の下に大学の教科書が落ちているのを発見する。
物理学科2年マリウシュ・・と書いてあった。
彼はハンカのバッグから手帳を出し、マリウシュの電話番号が書かれているのを見つける。

ロマンの病院に若い女性患者がいる。
彼女はロマンに話す。
「母は私に歌手になってほしいと言うけど、私はどうでもいい」
好きなのはバッハとマーラー、それから何やら長い名前の人だと言う。
二人共タバコを吸う。
医者は「よくない」と言いつつ。
娘「母は手術をしてほしいと言うけど」

ハンカとマリウシュは、ハンカの母が以前住んでいたアパートで逢引きしていた。
その母から電話が来る。
「もうあのアパート使わないし、引き払おうかしら」
「そのことは、また話しましょ」

ある日ハンカはロマンに「母の部屋に行って、傘と黒いショールを取って来て」と頼む。
夫と別れると、マリウシュにばったり会う。
彼が「お母さんの部屋宛てに絵葉書を送ったけど、もう読んでくれた?」と言うので慌てる。
すぐに母の部屋に電話すると夫が出たので、「あちこち触らないでね、郵便物もそのままにしておいてね」と言う。
ロマンは早速郵便受けを開け、マリウシュからの絵葉書を読む。
(やぶへびだった)
これで彼の疑いは確信に変わる。

もう家には電話しないで、と言っていたのに、またマリウシュは電話してくる。
ロマンは別室で盗聴。
逢引きの日、彼が母のアパートの階段の陰で待ち伏せしていると、二人が来る。
夫は若い男と逢引きする妻の姿を初めて見てショックを受ける。
その夜、家に電話し、手術で遅くなる、何時になるかわからない、と伝える。
帰宅した夫の様子がいつもと違うので、ハンカが「誰か亡くなったの?」と尋ねると、「うん、死んだ」。
ハンカが触ろうとすると「触るな!」と大声を出して離れる。
ハンカはマリウシュに電話する。
夫はまた盗聴。
翌日、またアパートに入る二人。
だがその前に、夫は部屋のクローゼットの中に隠れていた。
ハンカは早速服を脱ごうとするマリウシュを止め、「ここで会うのは今日が最後よ。もうやめましょ。
あなたは同じくらいの年の子とつき合うの」
 どうしたの?ご主人に何か言われたの?
 ううん、彼は何も知らない。これからも知ることはない。
ハンカは彼を追い出して座り込み、下を向いて悲しそう。
と、その時、泣き声が聞こえる。
クローゼットの中で夫が泣いている。
「出て来て!」とハンカは驚いて叫ぶ。
「出なさい!」
ハンカがカーテンを開けると、夫がよろよろ出て来る。
ハンカは怒り出す。
 ここで何してるの?私たちがセックスするのを覗き見しようとしたの?
 じゃあ昨日来ればよかったわね!
 来たよ、昨日。
 階段のところで聞いてた・・。
 僕には嫉妬する権利もない。
夫がこう言うのを聞くと、ハンカは彼を抱き寄せて「あるわ」。
その時ブザーが鳴り、ハンカがドアを開けるとマリウシュ「僕が卒業したら結婚しよう!」
(客席から笑い)
ハンカ慌ててドアを閉める。

ハンカ「あなたがこんなに苦しむなんて思ってなかった。
    前にあなた言ってたわよね。子供がいたら違ってたかもって」
「養子を取りましょうよ」。
そのためには彼が性的不能だという証明が必要だという。
   だが、1980年代末に書かれたという時代のせいだろうか、この点はおかしい。
   不妊に関しては、精子の数と活発さ、そして卵子の若さとかが問題ではないだろうか。
   そもそも、冒頭で性的不能を医者に診断してもらうというのが腑に落ちないけど・・。
   作者はそれをわかった上で、ある意味ファンタジーとして描いているのかも知れない。

 男の子は希望者が多くて長く待たされるので、女の子をもらうことにするが、それでも数か月かかると言われる。
 私たち、少し休みましょ。
 あなたはどこか保養地に行くの。
 いや、それより君がどこかに行った方がいい。
 でないと彼がここに来るかも・・。
 そうね。

こうしてハンカは雪山にスキーに行く格好で空港へ。
ところが彼女を見送ったロマンは、帰りに、妻と同じような格好をして空港に向かうマリウシュとすれ違う!

一方リゾート地でマリウシュとばったり会ったハンカは驚く。
彼はハンカの会社の同僚から、彼女が〇〇に行った、と聞いたんだ、と嬉しそうに言う。
ハンカはロマンに疑われると恐れたらしく、すぐに公衆電話で自宅に電話するが、ロマンはいるのに電話に出ない。
そこで、次にロマンの職場に電話しようとすると、後ろに並んでいる男に「2度はずるい」と言われる。
急ぎの用なの!と口論になるが、結局電話を譲り、イライラしながら待つ。
ロマンの職場にかけると、彼は今日は休みを取っていると言われる。
そこで、ロマンから電話があったら、私は今日のうちに自宅に戻ります、と伝えてくれ、と頼む。

ロマンはマリウシュの自宅に電話し、鼻をつまんで声を変え、「マリウシュいますか?」
彼の母親が出て「いません。〇〇に行ってます」
そこはハンカが向かったところだった。
ロマンはショックで帰宅。
病院に電話すると、あの娘が説得されて手術を受けることになったという。
担当はロマンだったが、今日は体がボロボロでできない、と断ると、何とかしよう、と言われる。
その後、彼は自転車を猛スピードで飛ばし、暗転。大きな音。

ハンカは帰宅し、電話にメモがはさんであるのを読んで泣く。
上手から、車椅子に乗り、全身包帯を巻かれたロマンがスタッフたちに付き添われて入って来る。
一人が、奥さんは今日中に自宅に戻られるそうです、と言うと、彼は驚いた表情を浮かべる。
口を動かすのが難しいので、話しにくそうに「で、ん、わ・・」と言う。
番号は?と聞かれ、自宅の番号をゆっくり言うと、スタッフはダイヤルを回してロマンの膝の上に電話機を置き、
受話器を彼の耳にあてがう。
ハンカが出る。
長い沈黙の後、
 ハンカ。
 あなた、そこにいるの?
 いるよ。
 いるのね!
 ああ、いるよ。
少しずつ言葉に力がこもって来る。
二人の顔が喜びに輝き出す。暗転。

~~~~~~~ ~~~~~~~

まだ30代のハンカにとって、夫が性的不能というのは耐え難いことだった。
彼女にとって、マリウシュはただのセフレだった。
浮気をしてはいたが、彼女は夫を深く愛していた。
彼女はいつも、夫の悩みを聞き、彼を慰め、彼の力になろうとしてきた。
彼を傷つけたことを知り、彼女は関係修復に向けてできる限りのことをする。
彼の誤解を招くような事態に陥ると、必死になって誤解を解こうともがく。
そのことが、ラストで救いをもたらす。

十戒の第9戒は、カトリックでは「隣人の妻を欲してはならない」。

3ヶ月にわたる連続上演の掉尾を飾る作品らしく、後味の良い戯曲だった。
誤解から自暴自棄になったロマンが、辛うじて死を免れ、愛する人と共に、再び生きる希望を取り戻したことを、
観客も二人と共に心から喜ぶことができたと思う。
マリウシュの若さ、楽観性がまぶしい。
彼は、一時的には傷つくかも知れないが、その若さ故にすぐに立ち直ることだろう。
この日、「デカローグ10」が先に上演されたのも、とても良い判断だったと思う。
10篇の作品すべてにおいて、人間というものを温かく見つめるまなざしが感じられる。
いつか、元となった映画をぜひとも見てみたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする