10月5日天王洲 銀河劇場で、井上ひさし作「組曲虐殺」を観た(栗山民也演出)。
組曲と銘打つからには、またも音楽劇か、と恐る恐る出かけたら、やっぱり今回もそうだった。
音楽(小曽根真)は、ピアノソロの部分はいいが、合唱部分がやはり恥ずかしい。
演奏(同じく小曽根真)も、ピアノはうまいが、役者たちの歌が下手で、いつもながら聴くに堪えない。
もう井上ひさしの芝居を観るのはやめよう、とまたしても思ったのだった・・・。
劇の最後の音が解決しない(終止形でない)ところに作曲家のセンスを感じた。
特高警察の拷問によって虐殺された左翼作家小林多喜二を描くと言っても、ドラマチックな逸話は少ない。だがそこは手だれの作者のこと、彼を尾行する巡査の一人が小説(捕物帳)を書き出したり、と相変わらずのアイディアで話を盛り上げる。
しかしながら、プロレタリア同志ふじ子が「私、(用心のために)この部屋の鍵も持たないようにしているんです」と言った後で部屋の外に出て、外から鍵をかける音がした時には、開いた口がふさがらなかった。言っておくがここは決して笑う場面ではない。役者たちもスタッフも誰一人として「これは変です」と言い出す人はいなかったのか。作者はもはや裸の王様になってしまったのだろうか。
多喜二の姉役の高畑淳子が、期待にたがわず劇の中心となって好演。彼女なしではこの芝居は成り立たなかっただろう。
組曲と銘打つからには、またも音楽劇か、と恐る恐る出かけたら、やっぱり今回もそうだった。
音楽(小曽根真)は、ピアノソロの部分はいいが、合唱部分がやはり恥ずかしい。
演奏(同じく小曽根真)も、ピアノはうまいが、役者たちの歌が下手で、いつもながら聴くに堪えない。
もう井上ひさしの芝居を観るのはやめよう、とまたしても思ったのだった・・・。
劇の最後の音が解決しない(終止形でない)ところに作曲家のセンスを感じた。
特高警察の拷問によって虐殺された左翼作家小林多喜二を描くと言っても、ドラマチックな逸話は少ない。だがそこは手だれの作者のこと、彼を尾行する巡査の一人が小説(捕物帳)を書き出したり、と相変わらずのアイディアで話を盛り上げる。
しかしながら、プロレタリア同志ふじ子が「私、(用心のために)この部屋の鍵も持たないようにしているんです」と言った後で部屋の外に出て、外から鍵をかける音がした時には、開いた口がふさがらなかった。言っておくがここは決して笑う場面ではない。役者たちもスタッフも誰一人として「これは変です」と言い出す人はいなかったのか。作者はもはや裸の王様になってしまったのだろうか。
多喜二の姉役の高畑淳子が、期待にたがわず劇の中心となって好演。彼女なしではこの芝居は成り立たなかっただろう。