6月22日新国立劇場小劇場で、井上ひさし作「キネマの天地」を見た(演出:小川絵梨子)。
昭和10年、築地東京劇場。日本映画界を代表する大スターの女優4人(高橋惠子、那須佐代子、鈴木杏、趣里)がやってくる。超大作の松竹蒲田特撮豪華版・喜劇映画
「諏訪峠」の打ち合わせに呼ばれたのだ。4人は自らを誇示し、鞘当てしあいながら、上演中に突然死した女優・松井チエ子のことを思い出す。
松井の夫でもある映画監督・小倉(千葉哲也)は実は犯人探しが目的で、松井の一周忌記念興業「豚草物語」の再演を提案する。万年下積み役者・尾上(佐藤誓)を
刑事役として雇い、稽古中の4人を見張らせる。果たしてこの中に犯人はいるのか・・・(チラシより)。
・・さて、この文章は、あまりよくない。突然死と言っておいて、いきなり犯人探しというから分かりにくい。何の犯罪のことを言っているか分かりますか?
実は監督は、妻が誰かに殺されたのではないかと疑っていた。だから「犯人」というのは、松井チエ子殺害の犯人という意味だ。そこをちゃんと書いてくれないと困る。
この芝居は、2011年に紀伊國屋サザンシアターで見たことがある(演出は栗山民也)。
大きな劇場だったので今回とはだいぶ違っていた。この作品には、今回のような小さな劇場がちょうどいい。
三田和代、麻実れい、秋山菜津子・・・という豪華な顔ぶれだった。
あの時と比べて今回の座組を見ると、ずいぶん若返った感がある。
4人の女優がそれぞれ登場するシーンが、それだけでおかしい。みなスター然として登場するが、上には上があるということ、格上の先輩女優が後から
次々に登場するので、彼らの態度から、女優たちの、言わば「序列」が、見ている方にもはっきり分かってしまう。
劇中劇のシーン。年長の2人は映画女優なので、自分のセリフが終わると客席に顔を向けてにこやかにほほえみ続ける。芝居とは無関係に!
「だってお客様はスターの顔を見に来ていらっしゃるのよ。見せて差し上げるのが私たちスターの仕事なのよ!」というわけだ。
舞台出身の(三女役の)女優はそれに我慢できず「リアルじゃない」と言うが、「また横文字!」と嫌がられる始末(これは時代でしょう)。
病気自慢もおかしい。長年スター女優をやっていると膀胱炎、頻尿、視力低下、等々に悩まされるが、若手女優は先輩方に比べると、まだそれほど辛くもない。
だがそれは、裏を返せば、スターとしてのキャリアが足りない、というわけ。
あらすじでもその一部が分かるが、それ以上に、この芝居は何重もの構造になっている。
どんでん返しは作者の得意とするところであり、観客を大いに楽しませてくれる。
ラストは井上ひさしの芝居には珍しく三谷幸喜風。前回(2011年)にも書いたが、ひょっとして彼は三谷を真似したのだろうか。
演出には疑問がある。第2幕の冒頭、第1幕の幕切れより何行も前からの芝居が繰り返される。そのため著しく感興がそがれる、つまり平たく言うと、しらける。
なぜそんなことをするのか。見ている方もいやだし、演じている方だっていやだろう。
そういう風にした方がいい芝居ももちろんあるが、この芝居はそうではない。幕切れのセリフが発せられた直後から第2幕を始めればいいではないか。
役者たちは期待通り、みなさん好演。
高橋惠子はエレガンスそのもの。張りのある甘い声がとにかく素晴らしい。
衣装(前田文子)も最高。4人の女優のそれぞれの個性と役柄に合っていて、特に高橋の鮮烈な青いドレスが艶やかだ。
鈴木杏のボルドー色のブラウスと黒のパンツも、那須佐代子の淡い黄色い着物も似合っている。
那須の着物姿は初めて見た。いつも翻訳劇で見ていたので。
「若草物語」のパロディが「豚草物語」(!)で、その中に出てくる「プレゼントのないクリスマス」を「お餅が一つしかないお正月」にしたり、
亡くなった女優の日記に「私はKTに殺される」と書いてあったというので、よく見ると、4人の女優の名前のイニシャルがみなKTだったり。
とにかく細部までおかしい。何度見ても、よくできた芝居です。
昭和10年、築地東京劇場。日本映画界を代表する大スターの女優4人(高橋惠子、那須佐代子、鈴木杏、趣里)がやってくる。超大作の松竹蒲田特撮豪華版・喜劇映画
「諏訪峠」の打ち合わせに呼ばれたのだ。4人は自らを誇示し、鞘当てしあいながら、上演中に突然死した女優・松井チエ子のことを思い出す。
松井の夫でもある映画監督・小倉(千葉哲也)は実は犯人探しが目的で、松井の一周忌記念興業「豚草物語」の再演を提案する。万年下積み役者・尾上(佐藤誓)を
刑事役として雇い、稽古中の4人を見張らせる。果たしてこの中に犯人はいるのか・・・(チラシより)。
・・さて、この文章は、あまりよくない。突然死と言っておいて、いきなり犯人探しというから分かりにくい。何の犯罪のことを言っているか分かりますか?
実は監督は、妻が誰かに殺されたのではないかと疑っていた。だから「犯人」というのは、松井チエ子殺害の犯人という意味だ。そこをちゃんと書いてくれないと困る。
この芝居は、2011年に紀伊國屋サザンシアターで見たことがある(演出は栗山民也)。
大きな劇場だったので今回とはだいぶ違っていた。この作品には、今回のような小さな劇場がちょうどいい。
三田和代、麻実れい、秋山菜津子・・・という豪華な顔ぶれだった。
あの時と比べて今回の座組を見ると、ずいぶん若返った感がある。
4人の女優がそれぞれ登場するシーンが、それだけでおかしい。みなスター然として登場するが、上には上があるということ、格上の先輩女優が後から
次々に登場するので、彼らの態度から、女優たちの、言わば「序列」が、見ている方にもはっきり分かってしまう。
劇中劇のシーン。年長の2人は映画女優なので、自分のセリフが終わると客席に顔を向けてにこやかにほほえみ続ける。芝居とは無関係に!
「だってお客様はスターの顔を見に来ていらっしゃるのよ。見せて差し上げるのが私たちスターの仕事なのよ!」というわけだ。
舞台出身の(三女役の)女優はそれに我慢できず「リアルじゃない」と言うが、「また横文字!」と嫌がられる始末(これは時代でしょう)。
病気自慢もおかしい。長年スター女優をやっていると膀胱炎、頻尿、視力低下、等々に悩まされるが、若手女優は先輩方に比べると、まだそれほど辛くもない。
だがそれは、裏を返せば、スターとしてのキャリアが足りない、というわけ。
あらすじでもその一部が分かるが、それ以上に、この芝居は何重もの構造になっている。
どんでん返しは作者の得意とするところであり、観客を大いに楽しませてくれる。
ラストは井上ひさしの芝居には珍しく三谷幸喜風。前回(2011年)にも書いたが、ひょっとして彼は三谷を真似したのだろうか。
演出には疑問がある。第2幕の冒頭、第1幕の幕切れより何行も前からの芝居が繰り返される。そのため著しく感興がそがれる、つまり平たく言うと、しらける。
なぜそんなことをするのか。見ている方もいやだし、演じている方だっていやだろう。
そういう風にした方がいい芝居ももちろんあるが、この芝居はそうではない。幕切れのセリフが発せられた直後から第2幕を始めればいいではないか。
役者たちは期待通り、みなさん好演。
高橋惠子はエレガンスそのもの。張りのある甘い声がとにかく素晴らしい。
衣装(前田文子)も最高。4人の女優のそれぞれの個性と役柄に合っていて、特に高橋の鮮烈な青いドレスが艶やかだ。
鈴木杏のボルドー色のブラウスと黒のパンツも、那須佐代子の淡い黄色い着物も似合っている。
那須の着物姿は初めて見た。いつも翻訳劇で見ていたので。
「若草物語」のパロディが「豚草物語」(!)で、その中に出てくる「プレゼントのないクリスマス」を「お餅が一つしかないお正月」にしたり、
亡くなった女優の日記に「私はKTに殺される」と書いてあったというので、よく見ると、4人の女優の名前のイニシャルがみなKTだったり。
とにかく細部までおかしい。何度見ても、よくできた芝居です。