7月5日こまばアゴラ劇場で、河合祥一郎作・演出「ウィルを待ちながら」を見た。
2018年初演。その改訂再演。田代隆秀と高山晴夫の二人芝居。
タイトルから分かるように、ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」を模しているようで、冒頭それらしいシーンが続き、イライラさせられる。
白いドクロをじっと見つめたり、暗転の後、そこにもう一人が床から首を出していたり。
ドクロを見つめるシーンは「ハムレット」から取ったと言いたいのかも知れないが、それでも全然面白くない。
落語を2つはさむが、どちらもさっぱり面白くない。素人がへたに手を出すものではないのかも。
たった90分の芝居なのに「リア王」の1シーンが3度も演じられる。4幕6場、盲いた老グロスターが、気違い乞食(松岡訳です、念のため)に身をやつした
息子エドガーに導かれてドーバー目指して歩くシーン。作者はこのシーンがよっぽど好きらしい。それは構わないが、他にもいい芝居は山のようにあるのだから、
何も3回も同じことを繰り返さなくてもいいではないか。役者が覚えるセリフをなるべく少なくしてあげたかったのか。
いや、こんなのは見せられる方もいやだが、演じる方だっていやだろう。
何しろチラシに「全40作品から名セリフを集めて1本の芝居に!」とうたっているのだ。大風呂敷もいいところではないか。期待した方がいけないのか。
役者はセリフをよく覚えたと思う。特に、途中英語の原文になったり河合訳になったりする上に、舞台下手に字幕があり、日本語のセリフをポロポロ間違えるのが、
観客に全部分かってしまうのだから、気の毒なくらいだ。こういうやり方は役者には酷だ。
ただ、見る方としては、字幕がないと、まるでお手上げなので助かる。
途中、小さなレコーダーで昔上演された「ロミオとジュリエット」を聴きながら、二人は酒を飲み鍋をつつく。いわゆる異化効果というやつだ。
それぞれ自分とシェイクスピア劇との関係、これまで、どの劇団でどんな芝居のどんな役をやってきたかを語る。
でも・・全然面白くない!
その後、舞台上方に並べられた、おびただしい数の本がバラバラと落下し、しまいには舞台を埋め尽くしてしまうが、その意味するところは不明。
しかも全然面白くない!!
作者、河合祥一郎氏は、東大で英文学を教える先生で、シェイクスピア劇の翻訳もしている。
結局私たちは、自分も一度芝居を書いてみたい、という彼の思いにつき合わされた、ということ。
昔、福田恆存作「分かってたまるか!」とかいうおぞましい芝居を見たことがある。
彼はシェイクスピア劇の名翻訳者として名を馳せ、評者も高校生の頃から大変お世話になった(と言っても直接ではないが)方だが、彼もまた、
長年シェイクスピア作品を扱ってきて、自分でも芝居を書きたくなったのだろう。そのことを思い出した。
ま、今回は、あの時ほど不愉快ではなかった。
2018年初演。その改訂再演。田代隆秀と高山晴夫の二人芝居。
タイトルから分かるように、ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」を模しているようで、冒頭それらしいシーンが続き、イライラさせられる。
白いドクロをじっと見つめたり、暗転の後、そこにもう一人が床から首を出していたり。
ドクロを見つめるシーンは「ハムレット」から取ったと言いたいのかも知れないが、それでも全然面白くない。
落語を2つはさむが、どちらもさっぱり面白くない。素人がへたに手を出すものではないのかも。
たった90分の芝居なのに「リア王」の1シーンが3度も演じられる。4幕6場、盲いた老グロスターが、気違い乞食(松岡訳です、念のため)に身をやつした
息子エドガーに導かれてドーバー目指して歩くシーン。作者はこのシーンがよっぽど好きらしい。それは構わないが、他にもいい芝居は山のようにあるのだから、
何も3回も同じことを繰り返さなくてもいいではないか。役者が覚えるセリフをなるべく少なくしてあげたかったのか。
いや、こんなのは見せられる方もいやだが、演じる方だっていやだろう。
何しろチラシに「全40作品から名セリフを集めて1本の芝居に!」とうたっているのだ。大風呂敷もいいところではないか。期待した方がいけないのか。
役者はセリフをよく覚えたと思う。特に、途中英語の原文になったり河合訳になったりする上に、舞台下手に字幕があり、日本語のセリフをポロポロ間違えるのが、
観客に全部分かってしまうのだから、気の毒なくらいだ。こういうやり方は役者には酷だ。
ただ、見る方としては、字幕がないと、まるでお手上げなので助かる。
途中、小さなレコーダーで昔上演された「ロミオとジュリエット」を聴きながら、二人は酒を飲み鍋をつつく。いわゆる異化効果というやつだ。
それぞれ自分とシェイクスピア劇との関係、これまで、どの劇団でどんな芝居のどんな役をやってきたかを語る。
でも・・全然面白くない!
その後、舞台上方に並べられた、おびただしい数の本がバラバラと落下し、しまいには舞台を埋め尽くしてしまうが、その意味するところは不明。
しかも全然面白くない!!
作者、河合祥一郎氏は、東大で英文学を教える先生で、シェイクスピア劇の翻訳もしている。
結局私たちは、自分も一度芝居を書いてみたい、という彼の思いにつき合わされた、ということ。
昔、福田恆存作「分かってたまるか!」とかいうおぞましい芝居を見たことがある。
彼はシェイクスピア劇の名翻訳者として名を馳せ、評者も高校生の頃から大変お世話になった(と言っても直接ではないが)方だが、彼もまた、
長年シェイクスピア作品を扱ってきて、自分でも芝居を書きたくなったのだろう。そのことを思い出した。
ま、今回は、あの時ほど不愉快ではなかった。