ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

たった1%の可能性しかありません。あなたはどうしますか?

2015-01-05 16:57:47 | AI・BigData
NHKスペシャルのNEXT World
http://www.nhk.or.jp/nextworld/
の第一回で、全てが予測できる社会みたいなことをやっていて、
そこで、人間の意味は?みたいな、

・・・おいおいおい・・・

みたいなことを言っていたので、ちょっと書いてみる。




■予測は、確率を表すだけである。それを聞いて行動するのは人間

 まず、はっきりさせておきたいのは、

   予測とは、ある誤差範囲を持った、確率的に表現された情報

 だということ。その確率を聞いた上で、判断するのは、人間である。
 たとえば、表題の件

  たった1%の可能性しかありません。あなたはどうしますか?

 これが、
「雨の降る確率はたった1%の可能性しかありません。あなたはどうしますか?」
といったら、普通の人は、かさを持たない。

 でも、
「手術をして、助かる可能性はたった1%の可能性しかありません。あなたはどうしますか?」
といったら、手術する人がいても、不思議ではない。

あ、これはアンフェアか。手術しなければかならず助からない(0%)というニュアンスがあるもんね。0%より、1%のほうがいい・・・

じゃ、こういうのはどう?
「宝くじで100万円当たる可能性はたった1%の可能性しかありません。あなたはどうしますか?」
たからくじなんて、買わないほうが儲かるのに決まってるけど、
高額当選の可能性なんて1%もないけど、
それでも買うよねえ~

 つまり、確率だけで、人間は動かないのだ。
 だから、本当に100%の完璧に予測が出来るのでなければ、極少でも
 違う答えが出るのであれば、人は、予測に反して賭けることはあるのだ。

 では、本当に100%の予測が出来ると「いえる」のか?
 もし、100%の予測ができるのであれば、上記のように予測に反することは無意味になる。

 では、100%の予測が出来るといえないことを証明しよう。

【証明】

 100%予測するために、すべての物事を100%完璧にシミュレーションする機械Aがあったとする。
 そして、その機械を監視し、もし、機械Aが100%完璧にシミュレーションしていたらYESを、シミュレーションしていなかったらNOを出す機械Hもあるとする。

 Aは、「すべての物事を」完璧にシミュレーションするのであるから、
 機械Hの動作も100%シミュレーションできることになる。

 このとき、Aは停止しなければ、HはYESかNOかいえない。とまらなければ検証できないから。
 でも、Hは、Aを完璧にシミュレートしているのだから、AがとまればHもとまる。から検証できない。

 簡単に言ってしまおう。「100%シミュレーションできました」というのは、この世が終わったあとに検証しないと言い切れないが、じゃあ、その検証を誰がするの?この世は終わっているのに・・・





■予測は所詮平均値である。平均を外れたところに、新規ビジネスは発生する

 予測は、基本的に確率統計で行う。
 これは過去の値を使い、それが誤差を含んでいることを考慮して、
 平均的な答えを出してくる。

 だから外れないけど、外れないってことは、レッドオーシャン、過当競争の中にある。

 本当に儲かるのは、外れたブルーオーシャンにある。

 さっきの例でも、1%に賭けた人間が成功を手に入れる。

 平均にかけても、かならずしも人生は成功しないのだ・・・

 たしか、鉄腕アトムが、アメリカで売り出すとき、マーケティング的には、変えるべきとなっていたのを、それじゃ、アトムでなくなるというので、代えなかった部分があるとかないとか・・
NHKスペシャル「日本とアメリカ 第2回 日本アニメvsハリウッド」
で見た気がする。

 芸術の場合、かりにそれが当たらないと分かっていていても、
 自分の思い・志から、それを通すことがある。




■因果が分からないと(相関では)人は動けない

 予測では因果ははっきりしない。相関しかわからない(番組中、よくわからないけど、こうなるというような説明が連発していたと思う。あれ)。
 そもそも実社会は、複雑な因果関係となる。そうなると、わけわからなくなる。
 だが、人間が追いきれないロジックで、相関関係が出てくることがある。
 このような、「因果は不明だが相関はある」というものも、予測は扱う。

 しかし、そのような予測は、根拠が分からないので、従いにくい。
 また、因果は教えてもらえないので、その結果を元に応用するのには制限がある。

 具体的には、SVMのカーネルトリック、ニューラルネットなどは、結果は分かるけど、説明できない。このようなものは、説明できない為、「結果を信じろ」というしかない。

 しかし、では、因果関係が分かれば、すべてうまくいくかというと、因果の組み合わせで現実社会は成立するので、全て因果を考えていると、組み合わせ爆発で予測できなくなる。

 結局、相関による確率的な部分は、必要なんだけど、
 どこまで因果を追っていけるようにするかが、問題となる。




■人間は、見たい数字しか見ない

 人間は見たい数字しか見ない。
 出てきた予測値は同じでも、そこには見る人のバイアスがかかる。

 だから、違う人が、同じ事象を見て、予測しても、同じ結果になるとは限らない。

 あることをいろんな人がググったとき、入れるキーワードが違って、
結果、希望の答えが見つかる人と、見つからない人がいるのと同じ話。




■予測値で人生を決める・・・というのは、すでにやっている。

まるで、
  現在は統計予測に頼らないで生きているけど、
  2045年になったら、統計予測で人生を決めている
ように見える番組だったけど、いやいやいや、今だって、かなり多くの人が、統計予測値で人生を決めている。


大学の偏差値がそれだ。

あれって、確率的にしか出てこないんだけど、あの偏差値で、大学進学先を
決めている(人生決めている)

上記に書いたように、
・小さい確率でも受験する人はいるし、
・予測では落ちるとなっていても、志から受験する大学もあるし
・一生懸命勉強すると偏差値上がると思ってるし(因果に引きずられてる)
・偏差値は、見たいようにしか見ていない
という様相を呈している。

あの大学偏差値が、2045年、いろんなところに影響するようになった・・・
・・・というだけなんだけどね。

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