【2010年9月23日】 第5日目
前日、ようやくの思いで、午後2時45分、仮営業の「千枚小屋」到着した。
今回の山行の出発の準備をしていた数週間前に、ルートの要にある千枚小屋が火災で焼失したと知ったときはびっくりした。出発の直前に仮営業をはじめると聞いたときはともかく予定のコースで行けるとホッとしたが、どんなかたちの仮営業か気にはなっていた。
元、小屋があったと思われる場所にテントが張られていた。
とりあえず、テントの下で荷物を整理し雨に濡れた衣服を着替え一服した後、ビールとウィスキーの水割りでのどを潤す。
【到着して、仮設テントで一服】
そこから数十メートル行った所にプレハブの仮設小屋があった。
宿泊を申込、仮設小屋の部屋に落ち着く。
【プレハブで仮営業の千枚小屋】
夕食はどんなんかといえば、全てレトルト食品である。メニューを見て「中華どんぶり」を注文する。
吸い物が付いたが、さすがレトルトは味気なかった。
それはさておき、思ったほど混雑もなく、ともかく宿泊でき一夜を屋根の下で明かすことができた。
○ ○ ○
最終日。後は下山するのみ。ただ、職場の休みは今日までしか取っていないので、どうしても今日中に京都まで戻る必要がある。車を停めてある駐車場までの「東海フォレスト」さんの送迎バスは午後に2便しかない。午後2時の便を乗り過ごしたら今日中に戻れない。
地図上での椹島までの所要時間は6時間10分であるが、今の自分らの体力では8時間は見ておいたほうがいい。
3時40分に起き、朝食は摂らずに4時半すぎに千枚小屋を出発する。
曇天だが雨が降っていないだけましである。それまでずっと紅葉はまだ早いと思っていたが、このあたりに来てようやく色づいた木々を見る。
【色づくナナカマド】
最初は、急だった下りも途中からは林道と交差しながらな歩きやすい道だ。2時間ほど下り6時半に「見晴台」まで下りて来て、荒川三山を振り返る。ここから見る悪沢岳は悠然としている。手前の千枚岳が高く見える。コースタイムも悪くなく、ほぼ地図通りだ。
少し安心できたが、ここで標高2千メートルあまり。まだまだ歩かねばならない。
【悪沢岳・千枚岳を振り返る】
いつも痛くなってくる膝が今回はあまり痛まない。ゆったりした下りのせいだろうか。それとも予備に施しておいたテーピングが効いているのか。でも、テーピングしているのは膝でなくふくらはぎから踝にかけてだ。ともかく、痛まないのは幸いである。
【あともう少しで椹島も近いと思ったら】
道は更になだらかになって歩きやすい。蕨段、清水平を通過する。椹島ももう間近いと思うが、高度計を見るとまだだいぶ下らなければならない。この調子で下ったら、10時前には着けるかと思ったり。
と、道が急に上り坂に変わる。少しの間の巻き道と思ったらどんどん上り返すではないか。しかも、木の根っこと大きな岩が行く手を邪魔して、はしごも架かり、疲れた身体に堪える。最後になって、この悪戦苦闘は何なのだと思う。
ようやく難所を通り過ぎ、道も平坦になり、いよいよゴールは間近なはずである。脇を見ると、何かの動物の頭蓋骨が転がっている。こんなのを見るのは初めてである。
【 何の骨? 鹿?】
ようやく地図上にある「吊り橋」まできた。もう、あと少しである。ここにきてやっと、今日中に帰れると確信する。
【吊り橋上のYさん】
Yさんもだいぶ疲れた様子である。
最後の、川を渡るところがわかりにくかったが、他の登山者とようやく渡渉点を見つけ、50メートルほど行くと林道との合流点にポツンと出た。
【 分岐点、一般道に合流、あと数百メートルで基地に】
午前10時40分、椹島に到着。やれやれである。見慣れた看板が出迎えてくれる。
【 椹島に到着 】
4日間歩きつめて、ようやく風呂の入れる平地に戻ってきた。風呂に入ってすっきりした体でビールが飲めることをどれだけ待ったことか。ようやくそれが出来る喜びに気持ちがはやる。靴をぬぎ、荷物を整理し、着替え準備する。
ニッカーをトレパンに履き替えようと、ソックスを下ろそうとしたら、左足にひりひりした痛みが走る。なんだと思ったらテーピングしたところがずれて、テープごと皮がめくれているではないか。アンダーラップ・テープを巻かないで直接アンカー・テープをふくらはぎの回りに巻いていたものが、下山時の下に引っ張る力でずれて、幅3センチくらいふくらはぎの周囲が「因幡の白ウサギ」状態だった。それまで痛みをそれほど意識しなかったのに、見たら急にじんじん痛み出した。
どうしようと思ったが、とりあえず風呂場で体を洗うついでに、傷口も少し化膿して膿みもあったので洗い流すことにした。湯船にはその足を浸けずに上げて入り、消毒薬とガーゼをわけてもらおうと、管理人室に行くと、親切に対応してもらった。
消毒用のイソジンを惜しげもなく使い、ガーゼも包帯もわけてくれた。1年以上たちましたが、この場を借りて改めてお礼申し上げます。
【Yさんと乾杯】
手当が終わり、身も体もさっぱりしていよいよ乾杯!
【一気に飲み干す-最高の一杯】
【怪我はしたけれど、至福の時】
ここ椹島は上高地のような派手さはないが、広い芝地が広がりのんびり時を過ごすには最高の所である。敷地内には山岳写真家の「白籏史郎」の記念館がある。(奈良田にもあったと思うが、あちらが出身地か?)時間がなかったので中に入るのはやめたが、今度来たときは入ってみようかと思う。
【白旗史郎記念館】
風呂に入り、ビールの飲んでのんびりしていたら送迎バスの発射する時間が来てしまった。あわてて再度リュックに荷物を詰め込んでバスに乗り込む。
【送迎バスを待つ】
【東海フォレスト-椹島基地】
今回は「東海フォレスト」さんにお世話になりました。親会社の「東海パルプ」創設者の大倉喜八郎のパネルがあったが、昔の人は儲け一辺倒でなく、気骨があったんだなあと感じる。
【大井川鉄道-終着の井川駅】
駐車場に1時間で到着し、そこでYさんの車の乗り換え、来る時は寸又峡温泉に寄ったが、帰り道は「大井川鉄道」の終着駅の井川駅に立ち寄る。SLも走るというこの鉄道にもいつか乗ってみたい気がする。
午後6時に掛川ICで名神に乗り、浜名湖SAで夕食をとり、11:15上賀茂到着。荷を解いた後、12:30就寝。
難問の待っている職場には、翌日いつも通り出勤。
こうして去年の山行は終わった。
(終わり)
「南アルプス-赤石・荒川三山を登る」ー連載の最初・第1回から見る
前日、ようやくの思いで、午後2時45分、仮営業の「千枚小屋」到着した。
今回の山行の出発の準備をしていた数週間前に、ルートの要にある千枚小屋が火災で焼失したと知ったときはびっくりした。出発の直前に仮営業をはじめると聞いたときはともかく予定のコースで行けるとホッとしたが、どんなかたちの仮営業か気にはなっていた。
元、小屋があったと思われる場所にテントが張られていた。
とりあえず、テントの下で荷物を整理し雨に濡れた衣服を着替え一服した後、ビールとウィスキーの水割りでのどを潤す。
【到着して、仮設テントで一服】
そこから数十メートル行った所にプレハブの仮設小屋があった。
宿泊を申込、仮設小屋の部屋に落ち着く。
【プレハブで仮営業の千枚小屋】
夕食はどんなんかといえば、全てレトルト食品である。メニューを見て「中華どんぶり」を注文する。
吸い物が付いたが、さすがレトルトは味気なかった。
それはさておき、思ったほど混雑もなく、ともかく宿泊でき一夜を屋根の下で明かすことができた。
○ ○ ○
最終日。後は下山するのみ。ただ、職場の休みは今日までしか取っていないので、どうしても今日中に京都まで戻る必要がある。車を停めてある駐車場までの「東海フォレスト」さんの送迎バスは午後に2便しかない。午後2時の便を乗り過ごしたら今日中に戻れない。
地図上での椹島までの所要時間は6時間10分であるが、今の自分らの体力では8時間は見ておいたほうがいい。
3時40分に起き、朝食は摂らずに4時半すぎに千枚小屋を出発する。
曇天だが雨が降っていないだけましである。それまでずっと紅葉はまだ早いと思っていたが、このあたりに来てようやく色づいた木々を見る。
【色づくナナカマド】
最初は、急だった下りも途中からは林道と交差しながらな歩きやすい道だ。2時間ほど下り6時半に「見晴台」まで下りて来て、荒川三山を振り返る。ここから見る悪沢岳は悠然としている。手前の千枚岳が高く見える。コースタイムも悪くなく、ほぼ地図通りだ。
少し安心できたが、ここで標高2千メートルあまり。まだまだ歩かねばならない。
【悪沢岳・千枚岳を振り返る】
いつも痛くなってくる膝が今回はあまり痛まない。ゆったりした下りのせいだろうか。それとも予備に施しておいたテーピングが効いているのか。でも、テーピングしているのは膝でなくふくらはぎから踝にかけてだ。ともかく、痛まないのは幸いである。
【あともう少しで椹島も近いと思ったら】
道は更になだらかになって歩きやすい。蕨段、清水平を通過する。椹島ももう間近いと思うが、高度計を見るとまだだいぶ下らなければならない。この調子で下ったら、10時前には着けるかと思ったり。
と、道が急に上り坂に変わる。少しの間の巻き道と思ったらどんどん上り返すではないか。しかも、木の根っこと大きな岩が行く手を邪魔して、はしごも架かり、疲れた身体に堪える。最後になって、この悪戦苦闘は何なのだと思う。
ようやく難所を通り過ぎ、道も平坦になり、いよいよゴールは間近なはずである。脇を見ると、何かの動物の頭蓋骨が転がっている。こんなのを見るのは初めてである。
【 何の骨? 鹿?】
ようやく地図上にある「吊り橋」まできた。もう、あと少しである。ここにきてやっと、今日中に帰れると確信する。
【吊り橋上のYさん】
Yさんもだいぶ疲れた様子である。
最後の、川を渡るところがわかりにくかったが、他の登山者とようやく渡渉点を見つけ、50メートルほど行くと林道との合流点にポツンと出た。
【 分岐点、一般道に合流、あと数百メートルで基地に】
午前10時40分、椹島に到着。やれやれである。見慣れた看板が出迎えてくれる。
【 椹島に到着 】
4日間歩きつめて、ようやく風呂の入れる平地に戻ってきた。風呂に入ってすっきりした体でビールが飲めることをどれだけ待ったことか。ようやくそれが出来る喜びに気持ちがはやる。靴をぬぎ、荷物を整理し、着替え準備する。
ニッカーをトレパンに履き替えようと、ソックスを下ろそうとしたら、左足にひりひりした痛みが走る。なんだと思ったらテーピングしたところがずれて、テープごと皮がめくれているではないか。アンダーラップ・テープを巻かないで直接アンカー・テープをふくらはぎの回りに巻いていたものが、下山時の下に引っ張る力でずれて、幅3センチくらいふくらはぎの周囲が「因幡の白ウサギ」状態だった。それまで痛みをそれほど意識しなかったのに、見たら急にじんじん痛み出した。
どうしようと思ったが、とりあえず風呂場で体を洗うついでに、傷口も少し化膿して膿みもあったので洗い流すことにした。湯船にはその足を浸けずに上げて入り、消毒薬とガーゼをわけてもらおうと、管理人室に行くと、親切に対応してもらった。
消毒用のイソジンを惜しげもなく使い、ガーゼも包帯もわけてくれた。1年以上たちましたが、この場を借りて改めてお礼申し上げます。
【Yさんと乾杯】
手当が終わり、身も体もさっぱりしていよいよ乾杯!
【一気に飲み干す-最高の一杯】
【怪我はしたけれど、至福の時】
ここ椹島は上高地のような派手さはないが、広い芝地が広がりのんびり時を過ごすには最高の所である。敷地内には山岳写真家の「白籏史郎」の記念館がある。(奈良田にもあったと思うが、あちらが出身地か?)時間がなかったので中に入るのはやめたが、今度来たときは入ってみようかと思う。
【白旗史郎記念館】
風呂に入り、ビールの飲んでのんびりしていたら送迎バスの発射する時間が来てしまった。あわてて再度リュックに荷物を詰め込んでバスに乗り込む。
【送迎バスを待つ】
【東海フォレスト-椹島基地】
今回は「東海フォレスト」さんにお世話になりました。親会社の「東海パルプ」創設者の大倉喜八郎のパネルがあったが、昔の人は儲け一辺倒でなく、気骨があったんだなあと感じる。
【大井川鉄道-終着の井川駅】
駐車場に1時間で到着し、そこでYさんの車の乗り換え、来る時は寸又峡温泉に寄ったが、帰り道は「大井川鉄道」の終着駅の井川駅に立ち寄る。SLも走るというこの鉄道にもいつか乗ってみたい気がする。
午後6時に掛川ICで名神に乗り、浜名湖SAで夕食をとり、11:15上賀茂到着。荷を解いた後、12:30就寝。
難問の待っている職場には、翌日いつも通り出勤。
こうして去年の山行は終わった。
(終わり)
「南アルプス-赤石・荒川三山を登る」ー連載の最初・第1回から見る