遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

四家道散歩

2021-02-26 16:08:59 | 日記

令和3年2月26日(金)

四家道散歩

 

四家道マップ

 

慶長15年(1610年)、名古屋城築城に伴って、

「清洲超え」が行われ、多くの商人たちが住み慣れた

清洲城下から名古屋へ移り住み城下町が誕生した。

元禄13年(1700年)の大火で、1600軒余り

の民家が消失した。

この時の4代尾張藩主の徳川吉通は、堀川沿いの商家

を火災から守るために、中橋から五条橋迄の道幅を4

間(≒7m)に拡張したのが、四家道の始まりとされる。

昭和20年(1945年)の名古屋大空襲の折りに、名

古屋城に近かったこの地域(那古野)は被災をまぬがれ

古い街並みが残された。

近年、名駅前開発が進む中で、この一画だけが残され、

白壁の土蔵や格子戸の町家、二階屋根に祀られる屋根神

が残る街並みは、保存地区に指定された。

 

名古屋地下鉄の桜通り線の「国際センター駅」で下車、

徒歩で桜通りを東へ進むと、左手民家の裏手に大きな

銀杏の木が見える、、小さな「浅間神社」がある。

其処に道標「四家道」が在る。

其処から堀川沿いに古い街並みが続き、格子戸の家、

白壁土蔵作りの古民家を利用したレストラン、屋根神

子守地蔵尊等が在り、北の端の円頓寺商店街に出る。

右手に五条橋の袂に、「中山道」の道標がある。

 

屋根神様

住宅の密集する町は火災の被害は深刻で、日除けの神

として有名な「秋葉神社」が祀られる。

亦、伝染病等の疫病退散を願い、天王信仰の「津島神

社」が屋根神信仰と結び付いたロされる。

これに「熱田神宮」が加わり、この地域に多く祀られ

る様になった。 その起源は定かでないが、幕末の頃

からと言われ、明治から昭和にかけて尾張、三河地域

等へと広まったとされる。名古屋空襲で焼け出された

所が多く、終戦後にその数は激減していった。

 

古い昭和の街にタイムスリップ、散歩の終り、、、

円頓寺商店街に入り直ぐ左手に、喫茶「まつば」

に入り昼食、、、、

此処で、コーヒーと海老カツ、ロースかつサンドを

温かく、とても美味しく頂いた。

今日の1句

四家道の往時を偲び春哀し    ヤギ爺